幕間1
濃厚な紫の絵具を塗りたくり、その上に爪楊枝で白を点々と付けていった様な満天の星空。今宵は新月、月は仕事をサボタージュし、その皺寄せを星々が担っているのだが、何千何万と彼らが輝いたところで夜の闇は深い。
時刻は深夜二時を過ぎ、夜行性の動物と一部の人間以外は眠りに就いているであろう時分に、未だ齢二十歳に届かない少年は快楽に溺れ転がっていた。
「アッ、ハァ……クッ。良い、気持ち良いなぁ。まるで俺の為に在るのかと思わせる場所だ。そうは思わないかい、皆?」
転がる度に薄く、決して致命傷にはならない程度に切り刻まれる露出した肌。
転がる度に淡く、愉悦に吐息を漏らし常人には理解出来ない快楽に溺れる少年。
着ているのはカッターシャツにスーツズボンと、宛ら新社会人と見て取れる服装の彼だが自身の体に走る無数の傷から流れ出る血にそれらは真っ赤に濡れており、宛ら人何人かを殺してきたマフィアのようだ。
雪にも負けない真っ白な髪も所々赤黒く、切れ長の銀の瞳を携える整った顔もガーゼや絆創膏、新しく出来た生傷だらけという有り様である。
「それにしても暇だなぁ、出血多量で死にそうだ。退屈は人を殺すって言う格言も強ち嘘では無いね、昔の名言職人さん達には恐れ入ったよ」
独り言を楽しげに話す少年は、リッパーリーフという名称の鋭利な草が生い茂っている草原の端、何も生えていない禿げ地に転がり着き、「よっと」と短く息を吐いて起き上がった。
「ねぇ皆、凄く唐突だけど世界は楽しかったかい?」
刃の原一面は、肉が焼け焦げた臭いと鉄の臭いで充満していた。その内の一つは、血だ。
だが、もちろん少年の流した血液では無い。彼一人の血を全て抜き取ったとしても、吹き抜けの大地ではこれほどはっきりと残らない。明らかに体に害が有りそうな程、気の弱い者なら嗅ぐだけで卒倒するであろう程に、そこは死臭に包み込まれていた。
「楽しかった? 苦しかった? 喜怒哀楽溢れる豊かな人生を送れたかい? 気持ち良いことやその逆も余す事無く全て味わえたかな?」
少年は腕を広げ、何年か振りに会う恋人を待ち合わせ場所で見付けた時のような満面の笑顔で星空を仰ぎ、くるくるくるくると回り始めた。
「輪廻転生とかっていう実にご都合主義な考え方は実際には有り得ないんだ、人間も動物も微生物だって人生は等しく一回きり、それが百歳までの大往生だったとしても親の健康状態に因る死産だったとしてもさ。そんな人生だ、正しく産まれ落ちたなら、楽しみ尽くさなければ損だし、いざ楽しみ尽くそうとしても楽しみは無限大に存在するんだ。端金の為に死ぬなんて勿体無さ過ぎる。俺は皆にそう言ったよね?」
少年が転がった場所に、彼の血で作られるはずの赤い軌跡は存在していなかった。特段彼に特殊能力が有る訳でも、闇夜で見え難いという理由では無い。
元々、少年が居る草原一帯は紅く塗りたくられていた、それだけの話なのだから。
「仲間がいれば、仲間と力を合わせれば困難を乗り越えられる、どんな強敵にだって必ず勝つチャンスは訪れる。そんな勇者妄想を人間は抱きがちだけど、それは愚かな事この上無いと思うんだ。自然界を逞しく生き抜き、少しでも危険を感じたら生存本能で即座に逃げ出す野生動物の方がよっぽど賢い、比べるの自体が失礼な位にね。その点、途中で逃げ帰った何人かは賢明だと思うし自分の判断を誇っていいと思う。で、俗に言う勇者な君達の人生はこんな所で終わっても悔いの無い、満ちに充ちたモノだったのか?」
指の本数では足りない、何十何人という人体が草原のリッパーリーフを押し退けて不規則に倒れていた。どれも既に死体であるのは間違いなく、軽い者ならば鎧を突き破られ胸に風穴を開け、酷い者ならば元が人だったかも分からない惨状で、全員焦げている。
「死体に説法なんてオカシイと思うかもしれないけどさ」
少年は回るのを止め、一瞬だけフラつくもしっかりと両足で地面を捉え、草原を見渡す。
「君達、死なないと黙って俺の話聞いてくれないから」
少年はニヒルな微笑みを顔に浮かべて新月を仰ぐ。自身に纏う己が血を抜くと爽やかな好青年に他ならない。
そんな彼の脇を一陣の湿気を含んだ生温い風が吹き抜け、その濡れた綺麗な白髪を弄んでいった。彼はこの風を酷く愛していた。
「だけど人を殺した罪を俺は軽んじないよ、自殺志願者だった君達の分まで……俺はこの世界を楽しむよ」
少年は、ズボンのポケットから一枚の半紙を取り出した。




