第8話 どうやら王子はバカではないようです
何が起こった? 本来なら倒れるのはあいつのほうだろう? いや、それよりもまず体勢を立て直さなければ。
足元から近づいてくる重い足音に俺は咄嗟に立ち上がろうとして、すぐに腹部の痛みに気づいた。それと同時に喉の奥から湧き上がってきた強烈な不快感に、強制的に吹き飛んでいたここ数秒の記憶を呼び覚まされた。
そうだ。俺はアルフレッドに蹴られたのだ。気持ちよく剣で打ち合っている最中、唐突に、それもカウンター気味に。
まったく、何が見せかけだ。何が剣舞だ。リゼットはその口ぶりからしてアルフレッドのことをかなり低く見積もっているようだが、過小評価にもほどがある。今この瞬間だけを切り取れば、ボコボコにされそうなのは俺の方で、無様な姿をさらしているのも俺の方じゃないか。
得意げな顔で上から見下ろし、ずかずかと大股で近づいてくるアルフレッドを前に、俺は相手が王族であると分かった上で、一瞬躊躇しながらも脳裏にチラついた顔を振り払うように、また覚悟を決めるように手でつかんだ砂を投げつけた。
出会いこそ最悪で、平穏を人質に取ってまで人を顎で使うような強引な奴だが、その情熱だけは本物だ。それは人目を忍んで俺に割いた一週間という時間と、今こうしてアルフレッドと向かい合っているという現実を見ればよくわかる。
だが俺の命をかけるほどではない。そんなことは分かっている。ただ今そうしなければ、俺は一生、惨めな気持ちで生きていかなければならない。負い目とは言わないまでも、喉の奥に何かがつっかえたまま生きていかなければならない。
奇跡でも偶然でもなく、リゼットが考え、作り上げた状況を、理由はどうあれ、余裕をかました結果、俺は台無しにしようとしているのだから。
それに格上相手にここまで勝ち進んだから十分? 俺はよくやった? そんな風に惨めったらしく自分自身を納得させて食う飯が美味いわけがない。別に死に急いでいるわけではないが、やるだけやれば、後悔しても納得はできるはずだ。
そう、俺はまだ負けたわけではない。
「……まさか本当に投げてくるとはな」
砂を嫌がって飛びのいた、というより避けなければ決着がついていたところをわざわざ飛びのいて距離を取ってくれたアルフレッドは真顔で俺を見下ろす。その無表情がまるで怒り過ぎてそうなってしまったかのように見えてしまうのは、アルフレッドが周囲の目を気にして、ここまで笑顔ばかり見せていたせいだろう。いや、頼むからそうであってくれ。でなければ、ここからさらに好感度を下げるような負け方をさせたら俺の命があと追加で二、三個は必要になってしまう。
まあそれも現状、取り越し苦労になりそうな感じではあるのだが。というのも先ほどから立ち上がろうと足に力を入れているのだが、どういうわけか力が入り切らない。いや、理由ならわかっている。腹を蹴られた影響だろう。いまさら気づいたことだが、アルフレッドはこうなることをまるで予期していたかのように、鉄靴を履いてきていた。
別にそれ自体は反則でもなければ、故意に足元を狙うような展開にでもならない限り脅威にはならないのだが――何なら重たい分、機動力が削がれて俺に有利まであるのだが――いかんせんアルフレッドに服ばかり意識させられて、蹴られるまで気づかなかったがために、お互いの優劣を決定づける一手にまでその価値を高めてしまった。
いま思えばアルフレッドが先に入場し、俺が後から入場したのも、試合が始まってから俺が考え込んでいても攻めてこなかったのも、あえて両手を広げてみせて俺から攻めるように誘導したのも、すべてはアルフレッドの策だったのかもしれない。仮にもしそうだとしたら剣で打ち合うだけではない、より実践的な蹴りにも納得できるというものだ。
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか。殿下に剣をご指南されたのは、どなた様でいらっしゃいますか」
「答えたところでお前のような下衆に何が分かるというのだ。見え透いた時間稼ぎはよせ」
やはりだ。アルフレッドはバカじゃない。




