第65話 どうやら同じ琥珀色のようです
「船乗りになるなら、連邦で農家になるね。俺は」
「農家に?」
ゴールドシュタインは呵々と、腹の底から気持ちのいい笑い声を響かせて、
「そいつはいい、今すぐなりな。何なら連邦の知り合いを紹介してやってもいい」
「たとえばの話だ。少なくとも檻の外に凶悪な誘拐犯がいるうちは、なれそうにないな」
「私を檻の外に出したのはアポロニアさ」
「アポロニアが?」
俺は天を仰ぎそうになって、ぐっと我慢した。リゼットが巻き込んだのか? いや、ガナッシュか?
俺が渋い顔をしていると、ゴールドシュタインがふっと自嘲気味に笑って、
「安心しな。檻の外にいるからといって、罪が消えたわけじゃない。ただどうせなら海の上で死にたい、そう思っただけさ」
「根っからの船乗りってわけか。お前の一番の間違いは陸に上がったことかもな」
「船に乗ってりゃ、誘拐もせずに済んだって? いまさらだね」
ゴールドシュタインは一瞬だけ物憂げな表情を見せるも、すぐに背中を向けて、
「オットー!」
話は終わりだともう一人の誘拐犯を呼びつけた。
「小舟を下ろすよ! このバカだけで漕いでたら明日の朝までかかっちまう! このデカブツは私に任せて、二人連れてきな!」
「おうよ!」
ゴールドシュタインの声を皮切りに、急にあわただしくなる船上。このままこの帆船で港に入るのかと思いきや、どうやらそういうわけでもないらしい。
すぐに帆が畳まれて船の傾きが元に戻り、動きが緩やかになったところで横っ腹から吊り下げられた小舟が、穏やかな海面へとゆっくりと下ろされていく。その流れるような手際のよさには、ただただ感心するほかない。
滑車の漏らす悲鳴を聞きながら、俺は硬い甲板に膝をつき、革袋の紐を緩めて中をのぞき込んだ。
短剣二本に筒状に丸めた羊皮紙一枚。忘れ物がないことを確かめてから、いつでも出れるぞと革袋の口を閉じて顔を上げると、ちょうど縄梯子が手すりを越えて、海へと投げおろされたところだった。
まずはと先陣を切るように小舟へと降りていくオットー。続いて服の上からでも腕の太さがわかる屈強な男二人。最後に俺がと革袋を抱えなおしてから縄梯子に手をかけたところで、不意に背後から張り裂けんばかりの声で名前を呼ばれた。
いったい何事だと振り返ると、ゴールドシュタインを含めた船上の全員が俺に向かって頭を下げていて、
「何の真似だ?」
俺は思わず、頭を下げる船乗りたちに怪訝な目を向けた。するとゴールドシュタインだけが、すっと頭を上げて、
「バッカスから爵位をはく奪するのに尽力してくれたらしいな。アポロニアから聞いたよ。ま、要するにここにいる全員がお前に助けられたってことだ。だから、ありがとう」
「何を言い出すのかと思いきや」
俺は縄梯子を頼りに手すりを乗り越えて、
「別にお前らのためにやったわけじゃねーよ。それに爵位だのなんだのは、全部アポロニア家がやったことだ。ただ感謝の取り消しは受け付けないぞ! 俺が連邦で畑をやるときには、お前ら全員に貸しを返してもらうからな! 覚悟しとけよ!」
言うだけ言って小舟に降り立ち、出してくれと姿勢を低くすると、さっそく正面に座るオットーが船を漕ぎだして、
「農家志望の騎士か。まったく、なんで学園はお前を騎士候補生になんかにしたんだか」
「さあな」
リゼットにしかそれはわからないだろう。俺のそっけない生返事がお気に召さなかったのか、オットーはため息まじりに天を仰いだ。
♦
「あれ……?」
俺は気が付くと、馬車の客室らしき場所で足を上に頭を下に、背中を壁に預けてだらしなくひっくり返っていた。
確か王都の港についたあと、俺はオットーたちに礼を言って、桟橋の上で待っていたアメリアに小舟から引き上げられて、それから……。
そうだ。と俺は思い出す。俺はそのままアメリアに担ぎ上げられ、遅いだのなんだの悪態をつかれた挙句、王城に向かうという馬車の客室に投げ込まれたのだ。
まったく、アメリアも片手でよくやるものだ。
しかしこの老爺は誰だろうか? と俺はひっくり返ったまま首から上だけを動かして、たった一人の同乗者をまじまじと見る。
まるで眠っているかのように、眼鏡の奥で両目を閉じたまま微動だにしないが、その顔に刻まれた深いシワと真っ白に染まった髪、そして杖を握って馬車の座席に深く腰掛ける姿は、俺の人生を三回繰り返しても足りないほどの歳月を、静かな貫禄に変えてまとっているかのようだ。
アメリアが出てきているところを踏まえるに、アポロニアの関係者であることは間違いないだろうが、当然のように見覚えはない。
ありそうなところでいえば、コンの祖父、いや曾祖父とかそんなところか? と考えていると、不意に老爺の口が開かれて、
「ゴールドシュタインを檻から出すのにかかった金。共和国との交易に従事していた商船団から一艘を強引に引き抜き、その過程で損じた莫大な利益。そして、迎えの船として仕立て上げるのにかかった金……」
老爺はゆっくりと瞼を押し上げて、
「すべてあの子の頼みゆえ、聞き入れた。まさか、あの子を裏切り、手ぶらで戻るような無能ではあるまいな?」
ガラクタの真贋を確かめるような目で、無様に転がる俺を見下ろしてきた。ただ眼鏡の奥で光る瞳が、俺のよく知る赤毛の少女と、コンと同じ、夕陽を閉じ込めたような琥珀色をしていて――。




