第62話 どうやら本当に身分証だったようです
「いいのか? 俺を呼び戻しに来たってことは、王選が行われるからだろ?」
「あー、その辺のことはよく知らないんですよ。何なら俺はアルマさんが何者かも知らないですし」
俺がそう言うとアルマはあきれた様子で頭を抱えようとして、途中で思い直したように手を下ろして、
「カイル、お前は頼まれてと言ったが、いったいどこの誰に頼まれてここまで来たんだ?」
「それは――」
リゼット・ヴァレンタインに、と言っていいものかわからなくて、俺はそっと口を閉ざした。そしてふと、このままだと使わないまま帰ることになりそうなものを一つ思い出して、足元に置いていた革袋に手を突っ込んだ。
俺には何の変哲もないように見えるそれがどうやったら身分証になるのか想像もつかないが、剣に詳しい人間が見ればわかるのかもしれない。
革袋の中を探って短剣をつかみ取り、食卓の真ん中に置くと、俺が武器を取り出したことにアルマは一瞬ぎょっとしながらも、すぐに平静を取り戻して、
「短剣?」
「身分証だとか」
「なるほど」
アルマはたった一言説明しただけで、何もかも察したように短剣を手に取り、慣れた手つきで柄の側面に打ち込まれた鋲を押し出すと、柄を半分ほど引き抜き、露出した茎に刻まれた剣を軸に咲く一輪の薔薇の紋様を見て、
「おいおい、お前リゼットさんの使いだったのか」
こんなことなら聞くんじゃなかったと後悔するように、苦々しい顔で短剣を元の状態に戻して食卓の中央に置くと、
「くそ、ステラ、俺は帰らざるを得ないかもしれない。リゼットさんには連邦への留学の件含めて、恩がありすぎる」
「そうなの? ならいい機会だし、私も王国に行ってみようかな。アルマの恩人なら私からもお礼を言わせてほしいし、アルマのご両親にだってまだ――」
「だめだ、だめだ」
アルマは首を横に振り、
「リゼットさんはステラと住む世界が違いすぎるし、王家は汚くて嫌な連中ばかりなんだ。会わせられないよ。というか会わせたくない。第一、俺とステラには畑があるだろう?」
「うーん、作付けはしばらくないし、一週間もあればだいたいのことは覚えられるかなぁ。カイルさん、留守番、お願いできませんか?」
俺!? と俺が目を見張ると、アルマが苦笑して、
「カイル一人には任せられないよ。畑がそんなに簡単じゃないってことはステラが一番わかってることだろう?」
「そうだけど……」
「カイル、そういうわけだから、リゼットさんには悪いが俺は帰れないと伝えてくれ。ただ受けた恩には報いるべきだと思っているし、お前を手ぶらで返したら、俺はここにいられなくなるかもしれない。だからお前に託すことにする」
言うが早いか、アルマは席を立ち、家の奥へと消えたかと思うと、リゼットが俺に持たせたものとは対照的に、贅の限りを尽くした装飾品のような短剣とこれまた高そうな羊皮紙を手に戻ってきて、
「俺が王国で王位継承権を持つ身であると証明する短剣と、その委譲状だ。こんなこともあろうかと思って、用意しておいた。カイル、くれぐれも渡す相手を間違えないでくれよ。王国が即、内乱に陥らないとも限らない代物だからな」
「いや、実は三日後の朝に戻るよう言われてて、もう間に合いそうにないから、受け取りたくないなぁ、なんて」
「いいから受け取れ、リゼットさんならその辺もうまくやるさ」
アルマは短剣と羊皮紙を強引に俺に押し付けて、
「それに信じがたいが、カイルはあのリゼットさんが、ヴァレンタイン家の当主の全権を象徴する継承の短剣を――いわば公爵としての身分証を信じてあずけるようなやつなんだ。一日や二日の遅れぐらい、きっとすぐに取り戻せるさ」
もはややることはやった、あとはお前次第だからとでも言うように、どこか他人事のように俺の肩をポンとたたいた。
しかし公爵としての身分証か。確かに身分証には変わりないだろうが、あいつがそんなものを俺に持たせていたとは思わなかった。それに今や俺の手元には王位継承権まであるときた。ただの平民の騎士候補生にそんなものをポンポンと持たせるリゼットとアルマの気が知れないが、俺に野心があったらどうなっていたことか。
とりあえず帰り道で野盗に襲われないか今から心配で仕方ないのだが、連邦のうららかな風土で育った野盗なら、有り金だけで許してくれそうな気がしないでもないので、そこは心配しなくてもいいのかもしれない。
まあそもそもの話をするなら、短剣も委譲状も俺は持ち歩きたくないのだが……アルマを連れ歩くよりは、神経を使わない分いくらかマシかと自分を納得させながら、あずかりものを革袋にしまっていると、
「カイル、村を出るのは明日の朝か?」
席に戻ったアルマがパンをかじりながら聞いてきたので、さっさと革袋の口を閉じて、俺もとうますぎるパンをかじりながら、うなずいた。




