第37話 どうやら俺は場違いなようです
リゼットと校舎裏で再会してから、しばらく経ったある日の夜。
久しぶりに何もしなくてもいい日常を謳歌していた俺は、一枚の招待状に誘われるがまま、学園の敷地の中央に位置する巨大な複合講堂、その舞踏の間に明らかに場違いと感じながらも初めて顔を出していた。
初めて、というのもこの中央講堂は学園の権威と伝統の象徴であり、基本的に貴族の領域なのだ。進級して騎士候補生になったとはいえ、平民の俺が足を踏み入れるような場所ではない。
そう、ここは常闇の薔薇園とも言われる貴族たちの社交の場。俺のような庶民にも一目で特別な空間であると理解できるように、窓の外を見やれば月明かりに薔薇の庭園が、内へと目を向ければシャンデリアに組み込まれた輝石の明かりに磨き抜かれた大理石が光り輝いている。ただところどころにしかれた踏む気が失せるほど高級そうな絨毯はいちいち汚さないようにと神経を使わせるし、壁にかけられた派手な肖像画は落ち着いた食事の席には合わないと言わざるを得ない。まあここに飯を食いに来ているのはおそらく俺だけなのだが。
背中に突き刺さる奇異の視線、正面の給仕が浮かべるひきつったような愛想笑いもなんのその、切り分けてもらった肉と白身魚とパイを片手に、次は何を食うかと豪華な大皿料理が並べられた壁際を見て回っていると、不意に流れていた音楽が変わって、俺は会場の隅へと目を向けた。
それまで楽団が演奏していたのは談笑の邪魔にならないような繊細な調べ。それが優雅さはそのままに、軽やかな三拍子に変わったかと思うと、中央の空間に次々と男女の二人組が歩み出てきて、何が面白いのかその口元に微笑を浮かべながら、曲調に合わせて右へ左へ、時にはくるくると回り始める。
……食い物よりも優先することか?
俺には理解できない価値観だが、普段から美味い料理を食べなれている者たちからしてみると、豪華な会場で着飾って踊るほうがいいのだろう。
興味もないし、見ていてもよくわからないのでそっちは任せたと盛り上がる中央に背を向けて、俺は空になった皿を手に、こっちは任せろと壁際に並んだ料理に目を落とした。まだまだ満腹にはほど遠い。そもそも料理といっても、そのほとんどが立食しやすいように、一口で食べられるように工夫され、洗練された軽食だ。そういったあとからでも詰め込めるものを俺が求めるのはもう少し先になるとして、ここはやはりでかい肉を、それも手の込んだでかい肉、たとえばだがこの蜂蜜に付け込まれ、表面をカリッと焼かれた骨付きのハムをがっつり食べたいところだ。
ただその前に――と、
「ああ、すみません、その盆の上のものを頂戴できますか?」
俺の背後を通り過ぎようとした給仕を呼び止めて、どうぞと差し出された盆の上に乗っていたグラスを三本、すべて飲み干した。ついでに浮かんでいた名前も知らない果物までバリバリと食べてグラスを返すと、給仕はぎょっとしながらも無言で周りに目を向けて、ああこいつはそういうやつなんだなと納得したように空のグラスとともに来た道を引き返していった。
やれやれ、俺が貴族でなくてよかったな。俺が貴族だったら小言の一つや二つ、その背中に言っていてもおかしくなかったぞ。まあ俺みたいなのが貴族なわけがないのだが。
さて、のどもうるおったことだし、目の前のハムをたらふく食うか。目を向けただけでなぜかぎょっとした給仕の表情に気づかないふりをして、ハムを切り分けてほしいとお願いすると、ひかえめにというかおそるおそるといった感じで一枚でいいかと返ってきたので、俺は期待に応えるように、
「五枚、いや十枚ほどお願いできますか」
と言うと、不意に見知った顔が横に並んできて、
「いい加減になさいな。ここは由緒正しき夜会の場。調べに合わせてステップを刻む社交の場であって、決して飢えた獣が食い溜めをするための場所ではありませんのよ?」
最初から最後までそのらしからぬ口調と落ち着いた声色に驚きながらも、笑みを浮かべて、
「よ、元気にしてたか? コン」
「ちょっ、アンタってやつは――」
コンは周囲の目を気にするように俺の腕をつかみ、そのまま会場の隅へとグイグイひっぱっていく。そして俺の耳たぶをつまんで強引に引き寄せると、
「別に普段はいいけど、いや普段もよくないんだけど、ほかの貴族の手前、その、なんていうかさ。わかるでしょ?」
「わかったわかった。ハムは三枚にしておくよ」
「そうじゃなくてっ」
コンは分からずやと俺の足を踏んづける。
「アンタや私がよくても、周りが許さないって言ってるのっ。だから私を呼ぶときはアポロニア家のご令嬢か、せめてコンスタンツェ様にしなさい。わかった?」
「ああ」
俺はコンの頭をなでようとして、さすがになしだなと肩を叩こうとして、そっと手をひっこめた。
「ところでコンスタンツェ様はなんでそんなに薄着なんです?」




