第36話 どうやらお嬢様は婚約破棄されるようです
「へー、よくわかりましたね。やっぱり学園内でもそう呼ばれてるんですか?」
俺がそういうとリゼットは追加であけた人一人分の空間をじりっと詰めてきて、
「ずいぶんと仲がいいんですね?」
さらに残った一人分を埋めるように、間に手をついて、ずいっと顔を近づけてきた。それに近い近いと俺が体をのけぞらせると、
「どうして逃げるんですか? やましいことでもあるんですか?」
リゼットがさらに距離を詰めてきたので、また恥ずかしくなって顔を赤くするのはお前なんだからその辺にしておけと、ぐいっと無理やりひじで押し戻した。
すると見る見るうちに、俺へと向けられた視線がむき出しの刃のようにするどくなり始めたので、
「俺に愚痴を聞かせるんじゃなかったんですか?」
とっさに話題を変えると、リゼットは話したがっていたわりに忘れていましたと言わんばかりに気まずそうにしながら、詰めてきた分と同じだけまた離れて、
「そうでした。貴方が劇場の前を離れたおかげで、私は三人も斬ることになったんでした」
居住まいを正しながら、聞く限り尋常ではないことをさっぱりと言った。しかし斬った、か。その平静そのものと言える口ぶりや顔色を見るに、あまり気にはしていないようだが、触れないというのもそれはそれで冷淡が過ぎるだろう。
俺はどう声をかけるか逡巡し、
「三人ですか。残念ながら俺の勝ちですね。俺がハーピーとヴァンパイアに襲わせた数に比べれば、びびたるものです」
「そうですね。私の負けです」
リゼットはなぜか嬉しそうに微笑を浮かべて、
「ただ私も貴方と同じでやむなくです。万が一を考えてのことでしたが、帰りは馬車ではなく徒歩を選んで正解でしたね。騒ぎの大きさに気づいて引き返すことが出来ましたから。おそらく私が駆けつけていなければ賊の狙い通り、王子をさらわれていたことでしょう」
「え? 王子殿下が、ですか?」
リゼットの予想では狙われるのは妹のほうだったはずだが、外れるだなんて珍しいこともあるものだ。俺が一人で勝手に驚いていると、
「そうなんです。それもその――言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、本来そこにいてはならない者たちがそこにいたからと言いますか……」
リゼットは俺に向けていた視線をそっと逸らした。それは言えないだとか、言いたくないだとかではなく、単純によく分からないから言いようがない、気のせいかもしれないが暗にそう言っているように見えた。
もしそうなら俺には言わずにそのまま黙っていてほしいところだ。リゼットを悩ませる何かなど、俺は知りたくないし、仮に聞かされたところで力になれるとも思えない。相談相手を探しているのなら他をあたるべきだろう。たまに相槌を返す壁を探しているのなら話は別だが。
そんなことを思って遠い目をしていると、
「そうですね。少しは騎士を信用すべきですよね」
リゼットが急に開き直ったように落としていた視線を上げた。
「とにかく貴方がいなかったおかげで私はとても疲れました。そのあとに貴方を探してさらに疲れました。だからいたわってください。私は貴方にいたわれるべきだと思うんです。もちろん、いたわってくれますよね?」
「いたわる?」
そこは謝罪を求めるところじゃないのか? とも思ったが、別にどちらでも溜飲が下がるのなら同じことかと、俺は浮かんだ疑問をどうでもいいこととして、すぐに忘れることにした。
「あー、その、肩でもお揉みしましょうか?」
「遠慮します」
なんでぇ? 俺がバカみたいにバカみたいな顔をしていると、
「恥ずかしいのでまたの機会にお願いしますという意味です」
リゼットからなぞの補足が苦笑まじりに入って、気のせいではなく指二本分ほど距離を取られた。それで俺は理解する。否、理解したくもないことを理解させられる。これはもしかしなくてもアレだ。アレしか考えられない。三度目ともなると六日ぶりでも見間違いようがないというか、リゼットは口にこそしなかったが、内心では俺のことをコンやアメリアと同じように『変態』と――。
「いい予行演習になりましたね?」
たしかに、と俺は夢から覚めるように思考の海から浮上する。現実へと戻ってきた俺をほとんど無意識にうなずかせていたのは、リゼットの穏やかな声だった。
「まあ本番はないんですけどね」
「え?」
俺が口を半開きにして、頭上に疑問符を浮かべていると、リゼットがあきれた様子で、
「言ったじゃないですか。アポロニア家の令嬢が貴方の活躍を喧伝していたと。王子から離れるほどはないですが、好感度は上がったと思いますよ? それ以上に私への好感度が上がってしまったのは計算外でしたが」
「つまりどういうことです?」
「賊の襲撃が苛烈を極めたこともありまして、王子の猜疑心が私に向いてしまい、それどころではなくなってしまったということです。護衛を引きはがしたこともそうですが、妹を優先して守ったのもまずかったようですね。正式に通達されるのはまだ先になるでしょうが、どうやら敵とみなされてしまった私はそう遠くない未来に、王子に婚約破棄されるようです」
「なるほど」
俺は口ではそう言いながらも、どうしてそうなった? と素直にうなずくことができずに天を仰いだ。リゼットはたしかに護衛を故意に引きはがしはしたが、現場に引き返して応戦までしている。それに護衛が優先するのは王子なのだから、守りの薄くなる妹をリゼットが気にするのは当然だろうに。
って、うん? 俺はそこで忘れていたことを思い出す。リゼットは公爵家の令嬢で、何事もなければ次期王妃なのだ。本来であれば王子や妹とともに守られる側の人間であって、別に王子を守る必要もなければ、守らなかったからといって文句を言われる筋合いもない。
急に湧き上がってきた不快感に俺が眉間にしわを寄せていると、
「心配はいりませんよ。こうなったからには、盛大に王子の好感度を下げてやりましょう」
いつの間にやら立ち上がっていたリゼットに上から顔をのぞきこまれて、
「次は私の番です」
余裕たっぷりに不敵な笑みを見せつけられた。




