第25話 どうやら根っからの悪人というわけではないようです
「ありがとうございます!」
俺は全力の愛想笑いを浮かべて顔を上げた。するとラットボーンはすでに背中を向けていて、
「ただし三十分だけです」
言うが早いか、明かりを手に歩き出すとすぐに檻の中からは見えなくなった。それからしばらくして階段でも上り始めたのであろう、上へと遠ざかっていくコツコツとした足音。完全に聞こえなくなったところで、俺は静かにため息を吐いた。
三十分か。それが長いか短いかは分からない。ただラットボーンがその口約束を守るかどうかはおいておいて、とりあえず目先の難からは逃れられた。それに居座られる可能性もあったわけだ。そうならなかったのは僥倖と言えるだろう。
さて、ここまでは上々、ここからはどうか。俺は期待を胸に、俺を真っすぐに見据えるコンへと目を向けた。
「コン、話したいことがあるなら聞くが?」
「ない!」
コンは勢いよく顔を背けて、
「アンタに話すことなんか、ぜんぜんない!」
その鋭い視線を何を思ってか、鉄格子の外へと向けた。なんだ? どういうことだ? ああと、俺は視線を追ってその意図を理解する。どうやらコンは暗闇の中に誰か潜んでいるかもしれない、聞き耳をたてられているかもしれない、そう考えて話すことを躊躇しているようだった。
ならば、と俺のほうから踏み出し、距離を詰めると、
「近寄らないで!」
コンに手の平を突き出されて、拒絶された。どういうことだろう。俺は立ち尽くしたまま、分からないと頭をかく。時間が三十分しかないということは、コンも分かっているはずだ。動き出すなら早い方がいい。
ここで限られた時間を浪費することにいったい何の意味が……待てよ。たとえばだがすでに条件が満たされているとしたら、コンの目的が達成されているとしたらどうだろう。もしかしなくても、この三十分を守り抜けばコンと俺は助かる、そんな状況にもうなっているとしたら。
そんなことを考えていると、近づくなと言ったコンのほうから近づいてきて、
「アンタがいま何を考えてるか知らないけど、私はアンタが私にひどいこと言うから私は怒ってるの!」
強引に俺の腕をつかみ、目の端にうっすらと涙を浮かべて、
「私はアンタが助けてくれるって! また助けてくれるって! アンタがいれば、もう大丈夫だって……そう、思ってたのに……」
作った拳を振りかぶることすらせずに、そっと脇に下ろし、
「もうやだぁ、私死ぬんだぁ、あんなのと結婚したくないぃ……」
堰を切ったように号泣し始めた。まったく、俺は何をやっているんだか。自分で自分が嫌になってくる感覚に、顔をしかめそうになって天を仰いだ。そこには今の自分と大差ない、汚い天井があった。
ホント、見るに堪えないとはこのことだな。勝手に勘違いしたあげく、こんなか弱い少女の肩におんぶにだっことは。どう考えても助けるのは俺のほうで、助けられるのはこの子のほうだろうに。
俺は立ったまま取り乱すコンを落ち着かせるべくその頭をなでようとして、すぐに違うだろと、コンがそうしたようにそっと脇に手を下ろした。
「知ってるか? 誘拐犯ってのはなぜか逃げた方向とは真逆でつかまるんだ」
コンは何も言わない。ただ立ったまま大粒の涙を流し続ける。止めどない濁流。両手でぬぐってもぬぐい切れずに、そのほおを伝って流れ落ちていく。その原因が誰にあるのかなんて言うまでもない。多少は誘拐犯にあるとしても、すべては俺の責任、俺の落ち度、今はそう言いたい気分だった。
「これはもう人間の習性ってやつだろうな。いるかもしれないと思われているところにいたくない。ただそれだけのことなんだろうが」
俺はおどけるように肩をすくめる。たとえコンが見ていないとしても、それでも構わない。コンが黙っているのなら、俺が倍しゃべればいい。そう、コンが楽しそうにしていた、夜の王都を並んで歩いていたあのときのように。
「しかし逆側に行ってどうする? 当てはあるのか? いっそのこと王都を出るのも悪くない? そうはいかない。なぜなら馬車は出入りの際、密輸防止のために重さを量られるからだ。まあ、コン一人分くらいはごまかせるかもしれないがな」
俺は冗談まじりに微苦笑を浮かべた。
「それもコンがもう少し軽ければの話だったかな? 通りで抱えて逃げようとしたとき、見た目より重くてびっくりしたぞ。さすがに俺を一発でのすだけはある。ただ誘拐犯相手には、通用しなかったみたいだけどな」
「うるさい、戦おうともしなかったくせに」
「相手に見る目があったと言ってほしいね」
「節穴の間違いじゃないの?」
「そうとも言う」
俺は笑顔こそ見せてくれないが、泣き止んではくれたコンの耳元に手を伸ばし、赤毛にひっそりと添えられた、白百合を模した髪飾りに優しく触れた。
「これ、借りてもいいか?」
「あ……うん。それ、ラットボーンが私にくれたものなの」
「へえ?」
いいところもあるじゃないか。別に形見だろうと背に腹は代えられないので使うつもりだったが、それなら気兼ねなく使えるなと、俺は取り外した髪飾りを手に、鉄格子のすきまから腕を伸ばして、躊躇なく鍵穴に差し込んだ。




