第15話 どうやら噂以上のようです
「冗談だろ?」
俺はほとんど無意識にそうつぶやいていた。きっと心の底からそうであってくれと願ったからだった。ただ現実はどうか。まだ妹とやらの顔すら見ていないというのに、目の前で確かに何かが始まってしまった。
誰か――そんなふうに他力本願な自分を一度は周囲に目で押し付けてみるも、残念ながら都合よく応えてくれる相手はいない。どうやら俺だけがその瞬間を目の当たりにした、らしいことは周りの変わらない無反応と無関心な人々の横顔がこれでもかと物語っていた。というか、できれば俺もその一人でいたかったところだ。
「まだ何も始まってすらいないってのに」
のに、その後に続く悪態を喉の奥へと飲み込んで、俺は仕方なく駆け出した。王都の治安維持は騎士の仕事だろう。何が一夜限りの夢だ。そんなものにうつつを抜かしてないで、今すぐ俺を手伝え。いや代われ。肝心な時にいない相手をそれでも一人ぐらいいるんじゃないか? と期待の目で大通りを探しながら、頭では現実的に劇場の守衛にでも頼んでみるか? と考えてみる。
そしてすぐにダメだなと頭を振る。たとえどれだけ物分かりのいい守衛だったとしても、職務を投げ出すのには、劇場を離れるのには抵抗があるだろうし、そんな相手を短時間で説得できる気もしない。それなら素直に少女の後を追いかけたほうがいいだろう。余計な寄り道で少女を見失うことにでもなったら、目も当てられないからだ。
要するに今の俺にできるのは、求められているのは、とりあえず少女の後を追いかけながら、その道中、助けを求める。そんな効率的な動きだ。
それにこの後のことを考えれば、それが一番――、
「早い?」
俺は苦笑した。今からあるのかどうかも分からない誘拐の予定を気にするなんて、どうかしている。それに早とちりや勘違いの可能性だってまだあるのだ。俺は普段の行いを信じるように、また少女のためにもそのほうがいいと、そうであってくれと半ば願うように、明るい大通りから暗い路地へと飛び込んだ。それから数秒の全力疾走ののち、俺が走りながら頭を抱えたのは言うまでもない。
細く長い道の先に、いかにもな外套に身を包んだ二人組と、その肩に担がれた暴れる袋を見つけたからだった。
やれやれ。どうやら俺がたまたま目撃したのは、れっきとした誘拐の現場、ただ単に知り合いに腕を引かれる少女の姿ではなかったようだ。
俺は足音と息を殺すように走る速度を緩めた。そうして前を行く二人組と一定の距離を保ちながら、そっと服のポケットから取り出した食べごろのリンゴを振りかぶり――ポケットに戻した。
食べ物をそまつにしてはいけません。食べ物で遊ぶな。学園で騎士になるべく学んだすべてが、実を結んだ瞬間だった。そう、決してもったいないだとか、あとで食べようだとか思ったわけではない。
そもそも投げたところで当たるとは限らないし、当たったところでたかがリンゴだ。せいぜい「いたっ!」そんな声を二人組のどちらか、あるいは袋の中身であろう、少女が上げて終わりなのが目に見えている。
しかしどうしたものか。走って追いつくのは簡単だが、さすがに相手の素性も分からぬうちから二対一を挑むほど俺は勇猛、いや無謀ではない。というか少女を人質にでもされたら、とたんに俺に出来ることなど何もなくなってしまう。
「万が一、か」
まさか俺の危機感がこんな形で役に立つことになるとはな。俺はリゼットに望んで仕込まれた、追跡者としての力を試すように、二人組の足下、履いている靴へと目を向けた。
平凡な形の革靴、目立った塗装も装飾もなければ、遠くからでも分かるその年季の入りよう。まるで足音を気にしていないかのような走り方、しかし人目を避けられるだけの土地勘はある。今のところ、俺に分かるのはこのぐらいだ。リゼットならさらに詳しく革靴の素材、靴底の減りに補修跡の数から懐具合を推測して、靴を購入した場所に生活圏、犯行に及んだ目的とその背景まで言い当てそうだが、とにかく二人組のどちらかは王都の人間で、それも専門家ではなく、訓練を積んでいない素人の可能性が高いと、そこまで分かれば俺には十分だ。
となると武器さえ調達すれば、正面からでもやり合えそうなものだが……ここはあえて無茶をする必要もないか?
ちょうど使えそうなものが目に入り、俺は路地の壁からそれをむしり取った。大通りでは見かけなかったので安心していたのだが、路地ではまだ現役らしい。しかし七十五日か。噂の内容が途中で更新された場合には、そのまま数え続けていいのか、それとも一日目からやり直しなのか、どちらなのだろうか?
俺は苦笑まじりに一気に加速し、逃げる二人組の進路を塞ぐように正面へと回り込んだところで足を止め、
「おい、おまえら! 俺 の 名 を 言 っ て み ろ !」
と、自己紹介がてら顔の横に迷惑な張り紙、もとい誇大広告を並べて、これでもかと不遜な笑みを浮かべた。




