第1話 どうやら俺に拒否権はないようです
「私と結婚して王子と妹の仲を引き裂いてほしいんです」
「お前は何を言っているんですかい?」
学園での生徒としての一日の予定が終わり、差出人不明の恋文もどきに呼び出され、人の寄り付かない校舎裏へと顔を出した俺は、うっかりというべきか、そこで受けた衝撃の反作用というべきか。気が付いた時にはもう、相手との身分の差も忘れてバカみたいな口調でバカみたいに眉をひそめていた。
そう、吹けば飛ぶような平民である俺が、ヴァレンタイン公爵家のご令嬢を相手にだ。いや、それだけならまだ挽回、あるいは弁明のしようもあったのかもしれないが、残念ながらというべきか。目の前のご令嬢はただのご令嬢ではなく、王位継承権第一位である王子の婚約者でもあるというのだから、質が悪い。
要するに何が言いたいかというと、俺はしっかり間違ったのである。
それもこの国の最高権力者である王族の――気分を害したというだけで罪に問われるとまで言われる連中の――仲間入りを確実視されている、ご令嬢を相手にだ。
だからだろう。すでに何かしらの刑が確定しているのならと、引っ込みがつかないのならと、あえてその辺を無視して踏み込むことにしたのは。
「そもそもヴァレンタイン家のお嬢様には、誰もが知る立派な婚約者がいたはずでは?」
「アルフレッドとの婚約は近々破棄されるでしょう。妹との恋路を邪魔するのですから当然ですね。それから私のことはリゼットと、そうお呼びください」
「ほーん」
聞けば聞くほど訳が分からん。俺は逃げるようにその場を後にしようとして、
「貴方を進級させたのは私。この意味が分かりますね?」
リゼットのナイフよりも鋭利な言葉に俺は足を止めた。否、強制的に足を止めさせられた。
「兵士になるべく入学された貴方を学園にとどめ、騎士としての道を歩ませているのは誰か。もちろん、今からでも戦地に赴きたいというのであれば、お望み通り西の前線――いえ、南の国境に送り出すことも可能ですが」
「やれやれ、そういうことか」
俺はこれみよがしに頭をかく。
「おかしいと思ってたんですよ。平民で、それも特別優秀でもない俺が兵士として卒業するでなく、騎士として進級するなんて」
不可解に思いながらも、時間の経過とともに薄れていった違和感。その正体が今になって明らかになったわけだが、どうもすっきりしないのはどうしてだろうか。
同じ学園で学んではいるものの、そこは貴族と平民、こうして言葉を交わすどころか目を合わせることすらないだろうと思っていた相手が、なぜか微笑を浮かべて俺の前にいるからだろうか?
不意に校舎裏を駆け抜けていった陽気な風が、リゼットのつむじ風のようにクルクルと巻かれた金髪を強引になびかせる。と同時にわずかに細くなるリゼットの目元。俯瞰で見れば柔和な表情であることに変わりはないが、知性の塊のような碧眼が答えを急かしているような気がして、ごまかすように俺は天を仰いだ。
「南、ねえ……」
西で人間を相手にするか、南で亜人を相手にするか。進級していなければそのどちらも当然ありえたわけだが、こうもはっきり南行きをチラつかされるとなんとも断りづらい。というのも亜人は人間を食うのだ。いつかはそうなると分かっていても、できれば、いや、分かっているからこそ心情的には楽な方を選びたくなる。
だからこそ分からない。なぜ脅すような真似までして、俺に二人の仲を引き裂かせようとするのか。リゼットの人となりは一言でいえば高潔だとか正義の人だとか聞いていたが、これでは真逆、悪役そのものではないか。
「まあ、亜人を相手にする方が、何だかんだ王子を相手にするよりはいいかもな」
「いいわけないだろ」
ドスの効いた低音が正面から響く。見ればリゼットの顔から笑みが消え、きつい眼差しだけが後に残っていた。
「なるほど」
どうやら俺に拒否権というものは初めからなかったらしい。




