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ニュースで報道されてはいなかったが、流出したというオイルの出所もまた地球上の某国であった。
国境を挟んだ隣国と紛争中のその国では、せっかく発見した海底油田に手を出す余裕もなくしていた。
掘削用の施設も、建設途中のままで放り出されている。
その施設内を、巨大な甲虫が何匹も這いまわっていた。
放棄された建物の中には海水が寄せては引いているが、甲虫たちは水の中でも平気で活動できるようだ。
次々とパイプを引きちぎり、その割れ目から中へ潜り込んでいく。
「オイルはやつらの大好物ですから」
少し離れた断崖の上で、ヒューバットが言った。上目遣いに、隣に立つジャメリンの機嫌をうかがいながら、思い切ったように言葉を加える。
「しかしジャメリンさま、我々はなぜこんなことをしているのでしょうか」
うっ、とジャメリンは詰まった。
地球上で最も人工的な機械ばかりの都市を見つけろとヒューバットに命じたのもジャメリン、その街をオイルで覆って住人ごと洗い流せと言ったのもジャメリンである。
そのオイルはどこから取ってくるのですかと聞き返して、ヒューバットも一度は片方の耳をねじ切られそうになっている。
しかたなく、配下の虫の中からめぼしいものを探し出し、突貫工事で改変を加えて放ったはいいものの、釈然としない気持ちは高まるばかりだ。
「あの甲虫は腹いっぱいになるまでオイルを食ったら、残りを背中の甲羅の下に貯めこむ習性があります。それを利用して、食欲中枢に制限をかけることで貯蔵するオイルの量をできるだけ増やしているのです」
「その説明は前にも聞いたぞ」
「でしたら、貯蔵したオイルを吐き出したらあの虫どもは死んでしまうのだ、と言ったことも覚えておいででしょうな?」
恨みがましい顔をしてヒューバットは言った。
「すでにもう何十匹もの虫を死なせて、あの街をオイルびたしにいたしました。それなのにどうしてまだ、オイルを集めなければならないのですか」
「そ、それはグランロゼ様が、人間は確かにいなくなったが、木や草がまだ生えたままではないかとご不満を……いやっ、なんでもない!」
ジャメリンは目を吊り上げてガミガミと怒鳴った。
「さしででがましいぞヒューバット! お前は私の部下なのだから、私のいうとおりにしておればよいのだ!」
「はあ、しかし……」
「こうやってこの世界を混乱に陥れることは、結果的にこの世界の滅びへ向かう加速度を増すための貢献となるではないか」
「しかしデュアル様のご命令では、この世界の滅亡には三千年を……」
「ううううるさいっ」
「そもそもこの世界を担当しているのは我々でもなく……」
「黙れというに!」
主従が言い争っている間にも、甲虫はせっせとパイプに入り込み、まん丸に太って再び戻ってきている。
本当は体内に納めたオイルをすぐにでも摂取したいのであろうが、ヒューバットの術でそれを封じられているため、いらただしげに羽を広げ、全身をぶるぶる震わせてている。
これが彼らにとっての、二回目の作戦である。
一度目はこの虫たちが体内に蓄積したオイルを次々と吐き出させ、それを空間に開けたの穴から目的の都市へ流し込んだ。
首尾よく人間たちを追い払うことには成功し、街もグランロゼにとっての美であるオイルで覆われ、中東の激しい太陽にギラギラと輝くようになって、ジャメリンは得意満面で報告を行った。
そころが意に反してグランロゼはいたくおかんむり。
曰く、街路樹も残っているし、花壇にはまだ花も汚らしく咲いているというのである。そのうちオイルが枯れてしまいますよとなだめてみたが、その枯れて有機物に戻っていく姿がおぞけをふるうほど気持ち悪いのだ、とおっしゃる。
「おお、かわいそそうなわしの虫たちよ」
虫笛で甲虫を呼び集めながら、ヒューバットがしわくちゃな顔をさらに歪めて呻いた。
一方のジャメリンは、さらに満足げにそっくりかえる。
「急ぐのだ、ヒューバット。明日の夜明けまでには、二度目のオイルを空間の裂け目から流して……いや」
顎を撫でてニヤリと笑う。
「もののついでだ。今回は虫ごと街の中へ解き放ってみよう。これだけ図体の大きな虫どもだ、街路樹などすぐになぎ倒してしまえるだろう。そうしてから、オイルを全身から噴出させて木や草を吹き散らせばよい。
いやあ、よかったなヒューバット。お前のお大事の虫たちが、最後の大活躍をするところを見物できるぞ」
「最後の、ですか……」
「辛気臭い顔をするな! 前回のように、全身からオイルを搾り取られて干物のようになるよりは、ずっと華々しいではないか。きっとこの世界の人間どもは、あわてふためいて右往左往するぞ。それでこそ、お前も苦労して育てた甲斐があろうというものだろう」
勝手なことを言って自分だけいい気分になっているジャメリンを、ヒューバットはじろりと睨めあげた。
だが、この男の本当の怖さを嫌というほど知っているのもまた、最側近のヒューバット自身である。あまり愚痴を言って機嫌を損ねたら、それこそ何が起こるかわかったものではない。
ヒューバットは虫笛を持ち換え、今度は戦闘準備を知らせる鋭い音を虫たちへ投げかけた。
さて、氷浦教授ご一行のほうである。
さすがというかなんというか、彼らの住む地方にある小さな空港に、先方からのプライベートジェットが迎えに来ていた。
本来は国内便しか存在しない小さな施設だというのに、政府からの肝入りで特別に臨時の出国審査官までが派遣されてきていた。オイルマネーおそるべし、である。
途中、給油のために立ち寄った他国の空港でも、彼らは下にも置かぬ扱いを受けた。それこそ希望すればフルコースの料理でも羽根飾りのついた椅子でも出てきただろうが、彼らとて第一義の目的は一刻も早く現地にたどりつくことである。
普段は食い意地のはっているフォウでさえ、準備してきた握り飯にかじりつくだけで、ひたすら飛行を続けた。
着いたところは立派な研究所である。
「やあやあ、これはドクター・ヒウラ。待ちかねましたぞ」
頭にブルカをつけ身には白衣をまとった研究者たちが、流暢な英語で両手を広げて一行を迎えた。
満面の笑みとは裏腹に、顔色には疲労の色が濃かった。
一団の先頭にいた一人は白衣ではなく背広姿だったが、これが一同のリーダーとして、進み出て氷浦教授に握手を求めた。
これが氷浦の出馬を要請した、政府のシンクタンクに属する経済学者というやつであろう。
「やあ、ブラフマンくん」
「ドクター・ヒウラ。遠いところを申し訳ありません」
二人は固く握手を交わした。
「紹介しよう、これが電話でも説明した私の助手。異空間からの干渉を感じ取る能力を持っている」
「で、こちらは?」
「ああ、それは私の息子だ」
「む、息子!?」
ブラフマンは驚きのあまりひっくり返りそうになってから、まじまじと和彦を見た。
和彦はしかたなく、こういう事態になったときのために会得している曖昧な微笑で誤魔化すことにした。
ただでさえ人目を引くナイスミドルの氷浦教授は、アメリカ時代にも言い寄る女たちをばっさばっさと切り捨てて、気楽なシングルライフを楽しんでいたという。それゆえに、研究所時代の氷浦しか知らない人ほど、和彦の存在に驚くのだった。
たぶん彼も平時であれば結婚したのかこの子は連れ子か相手は誰なのかと詰問したいところだったであろう。
現に何か言いかけてはいたが、言葉らしい言葉になる前に思い直したようだ。
ごほんごほんと空咳をして、改めて話を続けた。
「と、ともかくこちらへどうぞ。私のような門外漢の経済学者よりは役に立ちそうな、各分野の科学者たちを集めてありますので」
通されたのは立派な円卓のある会議室だった。
テーブルクロスをかければ晩さん会もできそうなほどの規模と装飾がほどこされている広い部屋である。
そこへずらりとブルカに白衣の研究者が着席し、かたずをのんで氷浦教授の着席を待っていた。
和彦とフォウの席も用意されていたので、しかたなく二人は氷浦教授の隣へ腰掛けた。
しかつめらしい顔つきを保って話を聞くふりをし、テーブルに準備されたコンピュータ画面に次々と映し出される資料に目を向ける。
先に我慢の緒が切れたのは、もちろんフォウのほうである。
「和彦さん、わかる?」
「わかるわけがないだろう」
和彦は同じくらいの小さい声でひそひそと返事をした。
「空間波動計を日頃からいじっている君のほうが、まだ話にはついていけているんじゃないのか?」
「とーんでもない」
二人がこそこそ話をしている間にも、白熱した研究者たちのやり取りは続いている。
氷浦教授も身を乗り出して熱心に彼らの話を聞き、ときおり助言を行っている。
しかしそのほとんどは、和彦とフォウにとっては知らない言語も同然の科学専門用語ばかりである。
やがて、ブラフマンが二人の様子に気付いてくれた。
けんけんごうごうと話し合っている研究者たちを後目に、すっと静かに立ち上がり、和彦とフォウの背後に回って身をかがめ、そっと囁きかける。
「つまりは、原因を突き止めるよりは今後のことを考えたほうがいい、という話になっているんですよ」
「今後のことって、もしかして、また同じようなことが起こったときの備えという意味ですか?」
フォウが眉をしかめた。
「確かに俺は空間の歪みを検知できますけど、だからといって向こうからやってくるものを押し返すこともできないし、空間の穴もふさげないですよ。できるのはせいぜい、侵入者と闘うことくらいですけれど、入ってくるのはオイルなんでしょう?」
「それに、フォウくんの武器は炎ですから」
和彦が急いで捕捉した。
「オイルに炎では困るでしょう」
「いや」
しかし、意外にもブラフマンは明快に首を振った。
「流出したオイルの処理方法は、基本的に囲んで燃やすが原則だよ」
「えっ、そうなんですか?」
「石油とはそもそも燃えるもので、燃えるからこそ役にたつわけだからね」
そう言ってブラフマンは笑った。
「タンカーの座礁でも採掘装置の故障でも、広がってしまったオイルは物理的に回収する、というのがもっとも簡単で確実だというのは、この業界の常識だよ」
「物理的って?」
「まったくもって言葉の通りさ。そこが海なら水面に囲いを作ってそれ以上流れないようにするし、地上なら遮蔽物で覆って一か所に集める。そうして、できるだけ被害が少なくなるようできるだけ集積してから高温で燃やしてしまうのだ」
「へええ」
フォウが感心の声を上げた。
「俺はまた、ものすごい科学技術でオイルを無効化するとか、すごい機械で吸い取ってしまうとか、そういうんだと思ってましたよ。わりと原始的な方法だったんですね」
「もちろんバイオ技術で流出した石油を無公害化するという研究も進んでいるよ。方法論としても確立している。バイオレメディエーションというのが総称で、やり方はいろいろあれど、実践投入されているのは微生物によるものが多い」
「へえ、微生物ですか」
「要するに、木の葉が地面に落ちて土に還るように、オイルを分解する微生物を汚染された土地にまいて、無害化されるのを待つわけだ。
けれど実際問題では、自然分解を待つには、人間の経済生活は忙しすぎるんでね。企業としても政府としても、解決は極力物理で、ということになる」
「でしたら」
目をキラキラさせてフォウが言う。
「燃やしちゃってもかまわないどころか、それが標準的な手段だということ、ですよね」
「とはいっても、空気に触れてゲル化してしまった石油は、なまじっかな温度では燃えないから話は難しいんだがね」
「その点は大丈夫!」
自信たっぷりに請け合ったフォウが、今度はその目を和彦のほうに向けた。
オモチャを見つけた子供のような表情をしている。
「なあ、和彦さん。オイルを凍らせるって、できる?」
「さあ」
和彦はかぶりを振った。
「いくら外見や特徴が似ているからといって、僕は水以外のものは操れないと思うよ」
「操るんじゃやなくて、凍らすだけでいいんだよ。ほら、リューンの腕輪の力で水だけでなく、周囲の地面やら建物やら空やらを凍らせたことが、今までだってあったじゃないか」
「あったかなあ、そんなこと」
「あったあった」
フォウの安請け合いに、和彦は苦笑するしかない。
しかたなく、自分もフォゥと肩を並べてブラフマンのほうへ向き直り、質問をした。
「ちなみに、石油は何度で凍るものですか」
その無邪気な質問にブラフマンはたじろいだ。
「何度といわれても……それは難しいな」
「なぜです?」
「一口に石油とはいっても、さまざまな形態があるんでね。元々のものは原油と呼ばれているが、それを精製してガソリンやら灯油やら軽油重油などの資源に変えるわけだ。灯油にしてしまうとマイナス二十度で凍ってしまうが、ガソリンならばマイナス百度近くまで凍らないなど、性質も変わってくる」
「マイナス百度か……」
「和彦さん、やれそうか?」
「まあ、それくらいなら」
「よしっ」
何がいいのか、とブラフマンは聞こうとしたようだ。
だが、彼の怪訝な表情が言葉と変わって口から出る前に、事態が動いた。
「う、わっ」
急にガクンとフォウが前にのめった。
ただでさえ身を乗り出して話をしていたので、完全に態勢を崩してしまった。
危うく椅子から転がり落ちかけたところに、慌てて和彦が跳びついた。かろうじて両手で抱え起こし、転落を防ぐ。
どうした、と聞くまでもなかった。
フォウの顔がぎゅっと強張り、瞳の輝きにも鋭さが増している。
空間の歪みを捉えたからだ。
つまり。
「来たぜ、やつらが」
食いしばった歯の間からフォウが唸った。
「けっこうでかい歪みだ。チョロチョロとオイルを流し込むとか、そういう規模じゃない」
彼の言葉に、和彦も下腹あたりがぎゅっと引き攣るのを覚えた。
いくらそのことを覚悟していようが、目の前に迫る闘いの予兆を自覚させられるのは、和彦はあまり好きではない。
「ああっ!」
科学者たちの間からも悲鳴が上がった。
「見ろ! あれはなんだ?」
幾つもの手が前方のモニタースクリーンを指さしていた。
さっきまで資料データが映し出されていたそこには、現在の街の様子がドローン撮影されている。
そこに、黒光りするものが動いていた。
大きい。多い。
通りという通りを埋め尽くさんばかりの、巨大な黒い甲虫である。中東のきつい太陽を背に受けて、まぶしいほどにてかてかと背中を輝かせている。
これほどの大きさのものがこんなにたくさん、急に周囲の砂漠から街へやってきたはずがなかった。
そもそも、地球上にいる虫とはスケールが違いすぎる。
どことなくカブトムシに似てはいるが、あくまで大雑把な印象としてである。よく見ればそれは、見知らぬ異世界の生き物だ。
ブブブ、と一匹が羽根を広げて身をゆすった。
甲羅の下から現れた薄羽根がまたたき、その動きに合わせて周囲に水滴のようなものが散らばった。
陽光に虹色の輝きを見せるそれは、いかにも油性の液体らしく周囲のビル壁にべちゃりと張り付き、ゆっくり滴り落ちた。
「オイルだ……!」
ブラフマンが愕然として、床に頽れ落ちそうになった。
「えっ。ということは、前回もあの虫が来て、オイルをふりまいたということですか? そんなのは初耳なんですが」
和彦の問いに、ブラフマンは明確に首を振って否定した。
「前回はただ、街にいつの間にかオイルが流されていただけだ。目撃者の話にもこんな虫の話は出てこなかったが……あれを見たまえ。オイル浸しの街にあんな化物が現れて、それがまたしてもオイルをふりまいている。これを偶然だと考えるほうがどうかしているじゃないか」
「確かに」
「感心してる場合じゃねえよ和彦さん。虫だぜ、虫。つまりは、あいつらの仕業だっていう何よりの証拠じゃねえか!」
虫使いといえば、ジャメリンの配下のヒューバットである。
地球上のものでない虫である点も、彼の関与を疑うに十分だ。
「しかしなあ」
和彦は釈然としない思いで顎をひねる。
「ジャメリンたちはなんのためにこんなことをするんだ? 僕たちから遠く離れた砂漠の街をオイル浸しにしたところで、僕たちにはなんのダメージにもならないだろうに」
この街に氷浦教授の知己がいて和彦たちが関わることになったのは、単なる偶然にすぎない。
それともジャメリンたちは、そこまで調べ上げたうえで騒動を起こしたというのか。彼らの今までのやり口から考えると、あまりに迂遠な方法ではないか。
「考えててもしょうがねえよ、和彦さん!」
どんとフォウが和彦の背中をどやしつけた。
「見ろよ、あの虫。放っておいたらあの調子で、体内からどんどんオイルを吐き散らしちまうぜ。さあ、化物退治だ!」
確かに、それがジャメリンの仕業だろうがなんだろうが、街がオイルの中へ沈もうとしているのは事実である。
放っておくわけにはいかないし、どうすればよいかという目鼻もある程度ついている。
「わかった、フォウくん。行こう!」
前後しながら会議室を飛び出していく二人の背中を見送って、科学者たちはただ、呆然としていた。
「い、いったい……彼らは、何をどうするつもりで……?」
ブラフマンに問われた氷浦教授は、苦笑と共に肩をすくめて応えた。
「まあ、あの二人はああなったら、止めても止まらないのでね。ともかく、しばらく静観して、彼らに任せてみてはくれませんか、皆さん」




