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そのニュースに研究所の面々が気付いたのは、事件が始まってから二日以上も経ってからのことだった。
テレビでもネットでも発生直後から報道されてはいたのだが、場所が遠いことと、いかにもありふれた事件の一つとして扱われていたので、まさか自分たちに関わってくるとは思っていなかった、といったほうが正しい。
「中東の街にオイルが?」
聞いてまず首をかしげたのはフォウだった。
「石油組み上げシステムに異常が起こって、近隣の街がオイルびたしに? そいつは確かに気の毒なことだし、早くなんとかなればいいとは思うけど、それと俺たちになんの関係があるっていうんですか」
「それがなあ」
氷浦教授も少し戸惑っているようだった。
「先方が、我々に救助を求めてきているんだよ」
「救助? 俺たちが」
フォウの目がますます丸くなった。
隣で聞いていた和彦も驚いた。
「しかし父さん、オイルにフォウくんの炎を持っていったら、もっと大変なことになるばかりなのでは」
「いや、そういう意味ではないんだ」
三人が、夕飯後の団らんを楽しんでいたときのことである。
連絡通知ブザーが急に鳴りだし、またぞろ九条先生からの無理難題ではないかと嫌がるフォウに、氷浦教授が笑いながら無線室に向かった後のことだった。
点けっぱなしにしていたテレビでも確かに、オイル流出のニュースは流れていたように思う。
しかし正直いってアナウンサーの口調もどこか他人事だったし、聞いていたフォウたちも特に気をとめてはいなかった。
それよりはCMで流れた新発売のカップラーメンだかなんだかにフォウが目を輝かせ、いつ町のスーパーに入荷するだろうという話になっていたところへ、見るからに困った顔をした氷浦教授が戻ってきたのである。
「俺ばっかりあげつらわなくても、和彦さんの水だってオイルには役立たずのはずだぜ」
口を尖らせてフォウが言った。
「なにしろ、水と油って言葉があるくらいだからな。それとも和彦さんは、流れるものならなんでも自在に扱えるのかよ?」
「いや、そういうわけでもないけど」
「だろう?」
フォウが大げさに両手を差し上げてみせた。
「炎もダメ、水もダメ。これで俺たちに何ができるっていうんですか、教授」
「君たち、ではないよ」
氷浦教授が指さしたのは、フォウのほうだった。
「必要なのは私と、フォウくんだ」
「俺っ!?」
フォウが素っ頓狂な声を上げた。
「俺の、何が?」
「空間の歪みを認知する力、だ」
氷浦教授の表情は真剣そのものだった。
フォウと和彦は思わず顔を見合わせた。
フォウは霊幻道士という出自のためか、異世界からの侵入者に対して敏感に反応する。
その感覚は彼の生業とする妖怪や悪霊だけでなく、平行世界から空間を歪めてやってくるデュアルの配下たちに対しても有効だ。
しかも本人に言わせると、彼らの歪める空間の振動は悪霊たちのそれとはまったく違っていて、はっきりと区別できるのだそうだ。
「ニュースでは、オイルは採掘装置の故障によって流れ出したということになっているが」
氷浦教授が説明した。
「私の昔の研究仲間によれば、それは異常現象をそれと受け止められない当局による言い訳にすぎないのだそうだ」
「父さんの、昔の?」
「ああ。アメリカ時代に同じ研究所にいた仲間だ。研究分野は違っていたのだが、向こうは私の研究にずいぶん興味を持っていて、よく私の部屋に話を聞きにきていたものだよ」
その研究者は経済学が専門で、現在は中東の某国で政府のシンクタンクの一員となっているという。
ゆえに今回のオイル流出事件の裏事情にも通じており、そこから氷浦教授への出馬依頼がやってきたというわけである。
「ということは、あれはただの事故ではなくて?」
「空中からいきなりオイルが流れ出してきた……としか考えられない異常事態だったらしい」
「空中から!?」
ようやくフォウの顔もきゅっと引き締まった。
異空間からの侵略。
それが本当ならば、まさに、和彦とフォウにとって最も関心のある話となってくる。
「そもそもが、石油採掘のために人工的に作られた町だったのだそうだ」
氷浦教授も重々しい口調で説明を続ける。
「砂漠のど真ん中にあるとはいえ、作業員や科学者、その家族が快適に住めるよう、空調も何もかも完璧にコントロールされていた。その外見と機能があまりにも整然としている様子から、鋼鉄都市ともあだ名されていたという」
「なんか、居心地悪そうな場所ですねえ」
フォウがまぜっかえした。
「香港だってコンクリとガラスで出来たような街ですけど、雑多というかなんというか、人間が生きてるって感じがそこかしこからプンプンにおってきますよ」
「人の住まない土地に、十分に練った都市計画を元にして作った街というのは、概して鋼鉄都市になってしまうものなのだよ」
氷浦教授が少し微笑んだ。
「君の香港は、人がそこに根をはって住んでいるところへ、後からビルが生えてきたのだろう? それはもう、ぬくもりのある街になるだろうさ」
「それはそれでキビしい街ではあるんですけどね」
そう言って、フォウは頭をかいた。
「すいません、話の腰を折っちまった。教授、どうぞ続けてください」
しかしフォウの軽口で、その場の雰囲気はずいぶん柔らかくなった。
和彦も詰めていた息をほっと吐き、氷浦教授も自分の椅子に腰掛けてから、テーブルに肘をついておもむろに話を再開した。
「いくらドームに囲まれた鋼鉄都市とはいえ、いきなり空中からものすごい量のオイルが流れ出てきたのでは、どうしようもない。通りという通りはねっとりしたオイルが川となり、住んでいた人々は命からがら逃げ出したものの、都市機能は壊滅状態だ」
「そのオイルは今も空中から流れ続けてるんですか?」
「いや。だからこそ政府も、採掘装置の故障だと言いぬけて、なんとかごまかせているのだ。だが、一度流れたものは、また起こらないとも限らない。街にあふれたオイルも我々の知っている物質とはいささか違っているようで、いっこうに街の中から流れ出ていかず、ぐるくると回り続けているのだというのだ」
「ああ、なるほど」
フォウがぽんと手を打った。
「超常現象ときたら、あの研究所の出番ですからね。なるほど、そこからの引きですか。まさかまたあのキース・メックリンガーなんかが絡んでいるんじゃあ……」
「いや、今回は彼の耳にもこの現象の話は入っていないはずだ」
氷浦教授が苦笑とともに言った。
「なんにでも首をつっこみだかる彼のことだ、あとから話を聞いたら悔しがるかもしれないがね。今回の話は本当に、研究所は通さず直接に私のところへ持ち込まれてきたのだよ。これが本当に時空間の歪みによるものかどうか、確かめてみることはできないかというのだ。だから私は、先方の要請に応える前に、とりあえずこちらのデータを分析してみようと思うのだ」
「えー」
とたんにフォウが情けない悲鳴を上げた。
「それってもしかして、こここ数日の空間波動計のデータを全て点検しなおしてみるとか、そういうことですかあ?」
「まずは、そういうことだな」
「うへえ」
げんなりしながらも、フォウはおとなしく氷浦教授に従って食堂を出ていった。
それが建前であろうがなんであろうが、フォウはともかく、この研究所に助手として派遣されている身の上なのである。しかも一応は助手として働いてもいる。
そして、すでに記録したデータを改めて走査するのは、どう考えても助手の仕事だ。
一人食堂に残された和彦は、くすくす笑いながら食器の片づけを始めた。




