第7話 追加業務は遠慮したい
朝は嫌いだ。
特に徹夜明けの朝はなおさらだ。
宿舎の洗面桶で顔を冷やし、指先にまだ残っている霜焼けみたいな痺れを揉みほぐす。
あの青白いガイコツ、最後に刺したときの冷気が骨まで残ってる気がする。
そういや、マルマルに剣を返してないな……まぁ、いいか。どうせ飾りだし。
ギルドは今日も変わらず騒がしい。
カエデの営業スマイルは満点、ただし俺への角度だけ二度ほど甘い。
掲示板には、西の森の追加駆除がどっさりだ。
……うん、あれは冒険者のお仕事。
「アル、こっちだ」
マルセル課長が目の下に堂々たる二重のクマを携えて手招きする。
「……で、倉庫街はどうだった?」
「アンデッドとデーモン。両方、処理済みです」
そう言った途端、課長の顔がさらに青ざめた。
胃が悲鳴を上げているのが、こっちにまで伝わってくる。
「詳しく聞かせろ」
俺は昨夜の光景を、できるだけ淡々と報告する。
――床に残った黒い焼痕。
――ひしゃげた金属片。
――デーモンが受肉する時、体内に魔道具を取り込んでいた可能性。
「……正直、夢であってほしい内容だな」
「俺だってそう思ってますよ」
課長が大きくため息をつき、机に置いた紙を指でとんとんと叩いた。
「報告書には倉庫街で異常を確認、詳細調査中とだけ書け。アンデッドやデーモンの件は――まだ外には出せん」
「了解です」
報告書を書きながら、俺は思う。
どうせ、後でまた現場に行く羽目になる。
あの黒い痕と金属片の出所を突き止めない限り、終わりはしない。
「ところで課長」
「なんだ?」
「青白い光って、何日も前から噂があったんですよね?」
「……ああ、そうだ。警備隊の調べでは、他の場所は問題なしって報告が来てる」
「じゃあ、他の場所の光は何だったんですか?」
課長が無言でこめかみを押さえる。
胃の次は、頭まで痛くなったらしい。
「……それを、これから調べるのがお前の仕事だ」
「ですよねぇ」
俺は肩をすくめて、報告書の余白にさらっとメモを入れた。
――複数地点で光の噂。真偽不明。要確認。
……要確認、ねぇ。
俺の仕事は、石橋を叩いて壊して、もう一度かけ直すことだ。
◇ ◆ ◇
「……調査の前に腹ごしらえ、いつも通りだな」
報告書を課長に渡した足で、そのまま食堂へ。
寿命が縮むような夜を過ごしたあとは、何か口に入れて落ち着かせるのが一番だ。
「いらっしゃい! あ、アル兄じゃない」
店先でテッタが両手を振っている。
朝っぱらから全力の笑顔、こっちが疲れる。
「軽く頼む。昨日から腹が冷えてるんだ」
「ふふん、ならスープだね。今朝は豆とベーコンの煮込み!」
どんぶりを抱えて席につく。
湯気が鼻をくすぐり、さっきまでの霜焼けみたいな痺れが溶けていく気がした。
やっぱり飯は偉大だ。
「ところでテッタ。最近、青白い光を見たって話、聞いたことあるか?」
パンをちぎりながら何気なく聞くと、テッタの眉がぴくりと動いた。
「うん、あるよ。昨日も客が言ってた。夜に東の街道で見たんだって」
「東か……」
「そうそう。荷馬車の御者がね、街道の端でふわっと光ったのを見たって。酒飲みじゃなく、素面だったってさ」
なるほど、酒のせいじゃ片付けられない証言。
スープをすすりながら、頭の片隅で地図を思い浮かべる。
倉庫街、西の森、南の森、そして今度は東の街道。線にはならない。
むしろ点が散っている。
「……ありがとな、テッタ。スープも情報も助かった」
「また、おまけつけとくからね!」
やれやれ。腹は満ちたが、今度は頭が騒がしくなってきた。
次に足が向いたのは、もちろん酒場だ。
昼間のジョナスんとこは「準備中」の札が出てるけど、そんなもん気にしてたら情報は拾えない。
軋む扉を押し開けると、カウンターでグラスを磨いていたジョナスが、顔も上げずにぼそっと言った。
「……準備中だ」
「知ってる。けど、ちょっとだけ噂をな」
俺が腰を下ろすと、ジョナスは渋い顔で棚にグラスを並べ直した。
その声は相変わらず低く落ち着いているが、耳はしっかりこっちを拾っている。
「青白い光と関係あるかは、わからん」
「それ、教えて」
「教会にな。幽霊を見たって真っ青な顔で、神父にすがりついてた陽気な調査員がいたらしい」
……陽気で、すぐ顔に出る調査員?
「……ナックだろ、それ」
ため息が口から漏れる。あいつ、仕事より大げさに驚く才能の方が一級品だ。
「ジョナス、サンキュー。こっちも北の倉庫街でひと騒ぎだったんだ」
「聞いてる。生き残っただけ上出来だ」
その目は一瞬だけ真剣に光り、すぐにいつもの渋い笑みに戻る。
酒の匂いの残る空間で、背筋にひやりとしたものが走った。
ジョナスの話だと、間違いなくナックが何か見たはずだ。
そういえば昨日の帰り際、あいつ「大変だ」なんて言ってたな。
……何があったんだ?
いや、課長に聞いた方が早いな。どうせナックの報告はもう上がってるはずだ。
だが、リスクがある。課長に聞いたら最後――「追加調査」の紙束が俺の机に積み上がるのは目に見えている。
仕事がこれ以上増えるのは、ごめんだな。
「ナックを探すか」
小さく呟いて席を立った。
あいつの性格からして、教会か、どこかの安酒場にいるはずだ。
どんな大げさな語り口で幽霊を見た話をするのか、少しだけ楽しみでもある。
酒場を出たところで、白衣の人影と鉢合わせした。
「お、先生。朝飯帰りか」
「ああ、テッタのところでね。アルの方は順調かい?」
治療院のハクユウだ。
相変わらず落ち着いた声色で、どこか人を見透かすような目をしている。
俺は肩をすくめるだけにとどめた。順調なんて言葉とは程遠い夜だった。
「時間があるなら、診ようか? どうせ大立ち回りをしたんだろう」
なんで知ってんだか……。情報通にもほどがある。
ナックはそのうち見つかるだろう。
こっちは先に、身体を整えておいた方がいいか。
「ああ、頼む」
ハクユウの口元に小さな笑みが浮かんだ。
ハクユウに続いて、食堂の裏手にある治療院へと歩き出す。
途中でなんで昨日のことを知っているのか聞くと、ハクユウは涼しい顔で答えた。
「さっきまで、ガーがいてね。あっちこっち凍傷を負っていたよ」
……情報元は親分かよ。
「アルがいて助かったって、褒めてたよ」
「はいはい、褒めても何も出ませんがね」
俺の返しに、ハクユウは口元をほころばせた。
治療院へ到着し、扉を押すと薬草の匂いがふわりと漂う。
「そこに座って」
慣れた手つきで器具を並べるハクユウに促され、椅子へ腰を下ろす。
先生の世話になるのはいつものことだ。最低でも月に一度はここに通っている気がする。
やれやれ、調査員の体は長持ちしない。
ハクユウが俺の手を取って診察する。
「軽い凍傷があるね。そのまま動かないで」
小さく頷くと、指先がじわっと温かくなった。
ハクユウの治癒魔法だ。ひりついていた痺れが、雪解けみたいに溶けていく。
「うん。これでいい」
一拍置いてから、彼は視線を上げた。
「肩はどうだい?」
「ああ、頼む」
上着を脱ぎ、背中を見せる。
ハクユウの指先が触れると、かすかに光が走った。
「……厄介な印だね。最近は痛むかい?」
「いや、一年前よりは随分、楽になってるよ」
どこぞの狂信者に受けた呪い。
それが俺の体を、今も蝕んでやがる。
消えない焼き印のように残り続けるのが、忌々しいぜ。
ハクユウが短く祝詞を唱える。
低く落ち着いた声が部屋の隅で澄んでいき、薬草の匂いと混じり合う。
指先から背中へ、柔らかな暖かさが伝わる。
痛みがジワリと引いていくのが分かった。
「まったく、こいつのせいで、魔力は上手く練れねぇわ。魔力を流すと痛みが走るわで、ろくなことがねぇな。俺は修行僧じゃないっての」
小さく苦笑を混ぜて呟くと、ハクユウは手を止めずに治療を続ける。
初期の頃はもっと酷かったってもんだ。幻聴やら幻覚も見えるんだ。
やってらんねぇだろ?
目の前の人が二重に見えたり、足元が微かにズレて見えたりな。
馬鹿らしくて笑うしかなかった。
自分でも、あの時期を思い出すと薄ら寒い。
ハクユウは額にしわを寄せ、慎重に背中の印を視線で追った。
「よし……やっぱり強いね、これは」
聞き慣れた評を聞いて、胸の中で何かが固まる音がした。
「治るのか?」
声を潜めて訊くと、ハクユウは少し間を置いてから答えた。
「解呪をしても、なかなか消えないね。相当強い術者の仕事だ。だが、焦らずに摘んでいけば消える。今の調子で定期的に治療を続ければ……あと、半年くらいじゃないかな」
「半年ね……分かった。頼むよ、先生」
ハクユウは軽く頷き、いつものように包帯を丁寧に巻き直す。
治療の手際に無駄はない。
月に一度どころか、俺にとっては必要不可欠な時間だ。
「先生、いくらだ?」
上着を直しながら尋ねると、ハクユウは道具を片付けながらふっと笑った。
「お代は、親分からもらってあるよ」
にこりと微笑む顔は、いつもの落ち着いたそれだ。
「そういうことか」
肩を軽く回し、調子を確かめながら手を上げて治療院をあとにする。
薬草の匂いが背中に残ったまま、昼の街路に踏み出した。
……さて、ナックはどこだ。
治療院を出て、足は自然とギルドへ向いていた。
ただし課長に見つかるのはごめんだ。
あの人の視界に入れば、間違いなく仕事が二つ三つ積み増される。
入口をそっとのぞき込むと、カウンターのカエデがちょうど書類をまとめていた。
「なぁ、ナック戻ってきてないか?」
「ナックさんなら、昨日の夕方に見たきりですね」
相変わらず、とびきりの笑顔で即答してくれる。
「お、サンキュー」
軽く手を振って、そそくさと踵を返した。
余計な目に捕まる前に離脱するに限る。
「……教会でも行くか」
独り言ちて、石畳の路地を東へと歩き出す。
教会へ向かう足取りは重い。いや、疲れてるってのもあるけど、それ以上に――。
「まったく、普段は用もないのにひょっこり顔出してくるくせに、肝心なときには見当たらないんだからな」
ナックのことだ。あいつに限って、こういうときは大抵どこかでのんびりしてるか、余計な騒ぎを起こしてるかのどっちかだろう。
「たまには俺の役に立ってくれよ。同僚なんだろ、お前は」
まあ、口にしたところで返事が返ってくるわけでもない。どうせ今も教会の片隅で青い顔をして、神父に泣きついてるのがオチだ。
聖堂の尖塔が近づいてくる。
石畳の上を歩きながら、俺はふと考える。
同僚ってのは、頼りたいときに限って不在になる生き物なのかもしれない――少なくとも、ナックに関しては。
信者が祈りを捧げる姿を横目に、聖堂前を通り過ぎ、教会に着いた。
さて、ナックが泣きついてるかどうか――とりあえず中をのぞいてみる。
祭壇前、ベンチ、脇の小部屋。ぐるっと一回りして……
「いねぇな」
肩の力が抜ける。
あいつなら、隅っこで鼻水垂らしててもおかしくないのに。
視線を動かすと、奥で書物を片付けているコレル神父の姿があった。
年季の入ったローブ姿はいつもどおりだ。
近づいて声をかける。
「神父さん、ナックが今日はここに来てませんか?」
コレルが顔を上げて、こちらへ振り向いた。
「これは、アル殿ではないですか。ナック? 金髪の?」
「そうそう、昨日泣きべそかいてたやつ」
コレルは記憶を探るように目を細め、やがて頷いた。
「昨日来たっきり見てませんね。聖水を探して出ていきましたが……」
聖水、か。
ナックのやつ、幽霊だか悪魔だか知らんが、とりあえず道具に頼ろうって発想は相変わらずだ。
「神父さん、聖水って効くのか?」
聖職者に聞いていい話題かどうかは置いといて、聞きたくなったんだ。
コレル神父は首を振り、目を細めて言った。
「聖水は、効果がないわけでありません。しかし、万能ではないのです。アンデッド相手なら一瞬ためらわせることはできるが、殺す気で来た存在──本気の悪霊やデーモンにはほとんど通用しません」
「要するに、気休め――というか、命綱にはならないってことか」
俺は短くまとめて返す。ナックの癖はわかってる。
オカルト系にすがるタイプだ。
だが今回みたいな相手は、それだけでは危ない。
コレルが肩をすくめる。
「本人が落ち着くならそれでいいですが、用心はさせておいてください。聖水で当面しのげる相手と、そうでない相手は確かにいます」
「わかった。ありがとう、神父さん」
教会を出る前に、どこで聖水を買ったかを訊くと、コレルはふと考えてから答えた。
「ここ近辺なら、聖堂の向かいの露店ですね。行商の常連です。ナック殿なら、そこへ行ったかもしれません」
露店か。情報の糸は細いが、繋がりはある。
教会を出て、石畳をぐるりと大回りして聖堂の正面入り口を目指す。
結局のところ、足はギルド方面へ逆戻りだ。
効率の悪さに苦笑しながらも、足を止めるわけにはいかない。
「……おい、鼻垂れ。お前はどこに行ったんだ」
小声で吐き出した言葉は、冷たい風に溶けていった。
あいつがどこで何を見たのか、それを掴めば青白い光の正体に一歩近づける。
聖堂の尖塔が再び視界に入り、石畳に長い影を落としていた。
「まずは露店を当たってみるか」
正面入り口の向かいに、コレルが言っていた露天商の屋台を見つけた。
木箱を広げ、瓶詰めや乾いた薬草を並べている。
「なぁ、おっちゃん。金髪で、背がちょっと高くて、情けない面をした……おそらく聖水を買い込んでいった奴、知らない?」
露天商の男は片眉を上げて俺をじろりと見た。
「随分、詳しいなあんちゃん」
「同僚なんでね。顔と癖くらいはよく知ってる」
男は鼻を鳴らして、積んでいた木箱を足で押しやる。瓶がカチャリと鳴った。
「……ああ、いたいた。昨日の夕方に来てな。聖水を二本、銀貨で買っていったよ。神妙な顔して、中央通りの方へ急いでった」
「中央通り、ね」
東か西かは言わなかった。
だが、東で青白い光を見たって証言があったのを思い出す。
点と点が、少しずつ線に近づいている気がした。
「ナックって言ったか。そいつ、ほんとに『聖水が効くのか』とか抜かしやがったんだ」と、露天商が鼻を鳴らす。「なんて答えたんだ?」と俺が食いつくと、男は得意げに肩をすくめた。
「おう? そいつに言ってやったよ。『光の魔法でもちょいと込めて投げつけりゃ、火つけたみてぇに煙が上がって、アンデッドなら悶え苦しむぜ』ってな。余計に神妙な顔してたな、ははは。」
「へー、面白いこと言うな。じゃあ俺も一本くれよ。」
「お、おう。まいど」男は手早く木箱から小瓶を取り出し、栓を確かめてから俺に差し出した。
いいネタを拾ったつもりで、俺は一瓶買った。
露天商が手際よく包んでくれるのを、ありがたく受け取る。
ナックの行方は依然としてわからん。
ただ、露天商の話を信じるなら、あいつは中央通りへ向かったらしい。
俺が昨日ギルドに顔を出したのは夕方だ。
つまり、ナックもその時間にここへ来て、聖水を買い込んでたってことになる。
課長の指示を受けて、現場へ向かう前に立ち寄ったのか? 一応筋は通る。が、あいつの性格を考えれば、もっと単純だろう。
現場に行きたくなくて、怖さをごまかすために聖水を握りしめてた。
たぶんそんなところだ。
そうなると、現場は東の街道なのか? それとも別の場所なのか?
結局のところ、確実なのは課長に聞くことだ。
……これ以上、無駄足を踏むのはごめんだ。だが、仕事を増やされるのは、もっとごめんだ。
つまり、俺が今抱えてるのは二択ってやつだ。
どっちを選んでも碌な未来が見えない、ありがたいジレンマだな。
これじゃ、俺の午前中は調査なんて立派なもんじゃない。
ただ同僚を探して右往左往してるだけだ。
なにが「ギルドの調査員」だよ。聞いて呆れる。
ナックが何を見たのかは気になる。
だが、いないものはしょうがない。
あいつのことは後回しだ。
まずは自分の足で確かめるしかない。
そう決めて、俺は東の街道を目指した。
……はぁ。何やってんだろうね、俺は。
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