第6話 それは業務範囲外
倉庫の中は、まるで三すくみの絵図だった。
俺、警備隊、そして向かい合うムーンフェイドとデーモン。
デーモンはまだ自分の体を確かめるのに夢中だ。
指を一本ずつ曲げ伸ばし、首をこきりと傾け、肩を鳴らす――新品の肉体の試運転中ってやつだ。
一方ムーンフェイドは違った。
あいつはもう、確実にこっちに狙いを定めている。
生気のない目が、まるで獲物を見据える獣みたいに。
格好よく登場したつもりだが、さてどうしたものか。
いや、どうもしようがない。とりあえず武器だ。
「おい、マルマル。その一生使わないであろう剣を貸してくれ」
「なんですと!」
「いいから、早くしろ!」
「まったく、武器も持っていないとは……」
ぶつぶつ文句を言いながら、マルマルが剣をポイっと投げてきた……が、見事に俺の手には届かず、足元にガシャンと落下。
……届いてねぇよ、おバカ犬。
その時だった。
ムーンフェイドがスッと動いた。
青白い残光を引きながら、確実にこっちへと迫ってくる。
一方で――ガーの親分は動かない。
正面のデーモンをにらみ据えたまま、一歩も引かず、まるで氷像みたいに構えている。
……おいおい。つまり親分は、ムーンフェイドを俺に任せるつもりか?
俺、ただの調査員だぞ? 役職に「アンデッド専門」なんて書いてないからな!?
胃がさらに縮んだ瞬間、体は勝手に動いていた。
足元に落ちた剣を、即座に足で蹴り上げる。
トンッと柄が軽やかに跳ね上がり、手に収まった。
「よし、ナイスキャッチ……!」
心臓バクバクだが、口だけは軽口を叩けるあたり、俺の悪癖も大したもんだ。
「マル!」
親分が声を張り上げた。その大声にムーンフェイドが動きを止める。
「ギルドへ走れ。寝ている冒険者どもを叩き起こせ! 倉庫街に一般人を近づけさせるな」
「了解であります!」
マルマルは敬礼ひとつで、ドドドッと駆け出していった。足の速さだけは無駄に一級品だ。
「他の奴らは倉庫街を封鎖! 東と南に応援を頼め! 急げよ!」
「了解!」
警備隊の連中が一斉に散っていく。
親分の命令を受け、それぞれが走り出した。
残されたのは俺と親分、そして化け物ども。
「……つまり、俺一人でやれと?」
「そっちの方が好都合だろ?」
親分がニヤリと笑った。
その顔こえぇよ。完全に獲物をいたぶる狼の笑みだ。
だが、まぁ確かにそうだな。周りに一般人や火薬樽がなきゃ、思い切り暴れても問題なし。
「ここって、引火物ある?」
「ここは食品だけだ」
デーモンを見据えたまま、親分は即答した。
「あっそ。心配してたのが馬鹿らしいな」
なら、遠慮なくやれる。
肩の力が少し抜ける。
「じゃ、遠慮なく」
「ああ……久しぶりに見せてくれよ」
親分の声が低く響く。
その瞬間、ムーンフェイドが再びこちらに迫ってきた。
青白い光と冷気が肌を切り裂くように近づいてくる。
「じゃ、やろうか――氷の悪魔さんよ」
剣を構え、俺は真正面から対峙した。
……ったく、業務範囲外だぞ。
◇ ◆ ◇
俺の殺気を察したのか、ムーンフェイドが一気に速度を上げた。
青白い残光をまとう腕が、空間を切り裂くように振り下ろされる。
触れるのは論外。
その腕の周囲には凍傷を引き起こすほどの冷気がまとわりつき、掠っただけで終わりだ。
腰には短剣を差し戻してある。
今、俺の手にあるのは――マルマルに借りたこの剣だけ。
頼りないかどうかは関係ない、使えるかどうかが全てだ。
「……よし、こいつでやる」
剣を正面に構え直し、迫る氷の悪魔を迎え撃った。
振り下ろされた腕を、ぎりっぎりで身を捻ってかわす。
視界の端を青白い残光が裂いたかと思ったら、背後の木箱がバキバキ音を立てて凍りついた。
板の表面に霜が一気に走り、次の瞬間には氷の塊。
……直撃してたら俺も同じコース確定だな。
「おっそろしい威力だな……」
思わず口に出た。
誰に聞かせるでもない、ただの独り言だ。
残った冷気が頬を刺し、皮膚がじりじり痛む。
ほんの掠めただけでこれだ。まともに食らったら、あっさり冷凍保存完了。
ありがたくない未来しか見えねぇ。
もう、ガーの親分に気を配ってる場合じゃねぇ。
あっちはあっちでデーモンとにらみ合ってるが、こっちは目の前の氷の亡霊に全神経を振り分けないと即アウトだ。
グッと剣を握り直す。
「さて……避けるだけじゃ埒があかねぇ。次は俺の番だな」
ムーンフェイドが、間髪入れずに再び前へ出てきた。
青白い残光がまたも視界を裂く。
……お前はターン制って言葉を知らねぇの、かっ!
思わず叫びそうになったが、そんな余裕もなく身を翻す。
剣先をわずかに下げ、滑るように横へ。
直後、俺のいた場所を冷気が切り裂いた。
床板がキシリと音を立て、瞬く間に白霜に覆われていく。
「これだからパーティー推奨なんだがな、こいつは……」
ぼやいてる間にもムーンフェイドは三度、目前に出てきた。
間断なく迫る一撃、反撃の隙を一切与えない。
避け続けながら、少しでも距離を取ろうと横に跳ぶ。
その瞬間、ムーンフェイドの目がぎらりと光った。
「……やべぇ」
青白い閃光とともに、空気そのものが震える。
あの動作――氷の衝撃波だ。
氷の衝撃波が迫る――そう思った瞬間。
横からぶっ飛んできた影が、ムーンフェイドの側頭部を殴りつけた。
ドゴォッと鈍い音が響き、青白い残光ごと吹き飛ぶムーンフェイド。
親分だ。
氷の悪魔相手に素手で殴り込むとか、発想が完全に人間やめてる。
まぁ、獣人なんだけどな。
その反動を利用して、親分は軽やかに体勢を立て直すと、もう一度デーモンへ突進していった。
「……あっちは別次元だな」
ムーンフェイドの動きが一瞬止まった隙に、俺は呼吸を整えた。
「……これは逃がせねぇ」
腹を括って、魔力を剣に集中させる。
赤い光が刀身に走り、炎が纏わりついた。
即席の火剣ってやつだ。
一足で懐へ踏み込み、下から切り上げる一振り。
ムーンフェイドの厄介な腕が、炎の軌跡を残して斬り落とされる。
「――うっ、つめてぇ!」
剣越しに冷気が逆流し、手が一瞬で痺れる。
慌てて距離を取り、跳ねるように後ろへ下がった。
切り落とした腕は氷の塊となって床に転がり、粉々に砕けて消えていく。
ムーンフェイドが、切り落とされた自分の腕を見て吠えた。
倉庫の壁が震えるような低い咆哮。
「おお、怒ってんね。ざまあみろ」
そのまま動きを止め、切り落とされた肩口に冷気を集めはじめる。
霜が渦を巻き、氷の結晶が再び形を取り戻そうとしていた。
「……だよなぁ」
再生なんて、こいつらの常套手段だ。
驚きはしない。
「でもな、それ――隙だらけだぜ」
剣を構え直し、俺は再び地を蹴った。
「その厄介な残りの腕も――もらうぜ!」
ムーンフェイドが慌てて片腕を持ち上げ、防御の構えを取った。
だが遅い。
炎を纏った剣を上段から叩きつける。
青白い冷気と赤い炎がぶつかり合い、ギャリッと耳を裂くような音が響いた。
次の瞬間、ムーンフェイドの腕は力なく地に落ち、氷片となって砕け散った。
「よし、両腕いただき」
かじかむ指を気にしながら、俺は剣を構え直した。
怒りに歪んだ顔で、ムーンフェイドが大きく仰け反った。
青白い冷気が喉元に渦を巻く。
「ブレスか、それしかねぇもんなっ!」
思いきり踏み込んで、蹴りをお見舞いする。
ぐらりとバランスを崩したムーンフェイドが、派手に仰向けに倒れ込んだ。
「知ってるさ。これがお前の攻略法ってな」
仰向けになった骸骨に、炎の剣を突き立てる。
青白い光が弾け、冷気が四散した。
「じゃあな、冷凍ガイコツ」
突き立てた剣をグッと捻じ切る。
ムーンフェイドの体は砕け散り、粉雪のように崩れ落ちて消えていった。
「……あぁ~、つめてぇ」
炎の剣を振り払うと、指先までじんじん痺れていた。
冷気が骨の髄にまで染み込んだみたいだ。
「で、親分は?」
激しい打撃音がする方へ視線を向ける。
「こっちは片付いたぞっと」
視線を向けた先、目に飛び込んできたのは――バトル漫画顔負けの肉弾戦。
親分とデーモンが拳と拳をぶつけ合い、倉庫の床板がバキバキ割れる。
白銀の光と黒い瘴気が入り乱れ、まるで異種格闘技戦。
「……うん、あれに割って入る勇気は、俺にはないな」
しばらく観察してみる。
よくまぁ、あれと親分は渡り合えるな。
普通なら四等級パーティーを組むか、上級案件で依頼が回るレベルだぞ。
親分の蹴りを、デーモンが軽やかにかわす。
氷を踏み砕くような動きで、足場ごと床を抉りやがる。
……とはいえ、親分もさすがに息が上がってきてるな。
一撃ごとに呼吸が荒くなる。
そりゃそうか、相手は産まれたてとはいえ悪魔だ。
デーモンが突進する。
それを迎え撃つ親分――カウンターで渾身のボディブロー!
ドゴォッという鈍い衝撃音とともに、拳がめり込み、腹が内側から突き破られる。
「おいおい……身体強化してるとはいえ、あの威力は反則だろ」
思わず口に出ていた。
あれを食らって生きてる方が奇跡だ。
「おい、アル! こいつ変だぞ!」
親分の怒鳴り声が飛んでくる。
「頭ぶっ飛ばしても、腹に穴開けても再生しやがる!」
「はあ? どういう……」
普通なら、頭か心臓部に核があって、そこを潰せば終わりのはずだ。
それなのに再生? なんだそりゃ。
「アル! 聞いてんのか!?」
親分の声で我に返る。
……はいはい、聞いてますよ。ただこっちも脳内がパンクしそうなんだ。
「……本当だ。どんどん再生してやがる」
裂けた腹が、ぐずぐずと肉が盛り上がって埋まっていく。
親分が深く息をついた。
「……アル、あいつ、なんなんだ?」
「いや、わかんねぇ」
わかんねぇが――じっと見ているうちに、違和感が引っかかった。
デーモンの体表は、いつまで経っても受肉したてのまんま。
皮膚はぬらぬらと光り、形は整っていない。
普通なら、戦ってるうちに定着して安定するはずだ。
……なのに、こいつはずっと不完全のまま。
やっぱり、おかしい。
「くるぞ!」
親分の声にハッとして、即座に風の盾を張る。
ドガァンッ!
激しい衝撃音とともに、デーモンの突進が弾かれ、逆に吹き飛ばされる。
床を削りながら転がっていくその姿に、思わず叫ぶ。
「んなろ!」
煙と氷片が散らばる中、俺はデーモンから視線を外さない。
……まあ、効かないよな。
案の定、デーモンはむくりと起き上がる。
体表はぐずぐずのまま、赤い目だけがぎらりと光っていた。
すかさず親分が前に出た。
振り抜かれた右フック――デーモンは腕で受け止める。
「チッ、止めやがったか」
間髪入れず、親分の蹴りがデーモンの足を狙って飛ぶ。
だが――。
「……なんだと」
デーモンはひらりと身を浮かせ、そのまま後方へ飛んでかわした。
重力を無視したみたいな動きに、倉庫の空気が一瞬凍りつく。
「おいおい、あんな巨体で飛ぶとか反則だろ……」
ちぎれかかっていた左腕が、再生していく。
肉の塊が骨にまとわりつき、指先が一本ずつ形を取り戻す。
「……ジリ貧だな」
親分が低くつぶやいた。現実的すぎる意見だ。
確かに、このままじゃ埒があかない。
こっちは消耗する一方で、あいつはどんどん元に戻っていく。
見ている間に、もう腕が完全に再生しそうだ。
「……あいつ、おかしいよな?」
頭を吹っ飛ばしても、腕を砕いても、胴体に風穴空けても生きてやがる。
「インチキだろ、そんなの……」
剣を構えながら、思わず吐き出した。
だが、動きは止まってる。
なら――ここだ。
左手に風を纏わせ、切り裂く刃を放つ。
狙いは足。再生が面倒になるように、土台から削ってやる。
――が。
「は?」
止まっていたはずのデーモンが、刃に気づき、寸前でひらりとかわした。
「クソッタレめ!」
少しでも再生に時間がかかればと思ったが、そうはいかないらしい。
駄目か……かわされた。
……ん? かわされた?
今まで、頭を吹き飛ばされても、腹に穴を開けられても、腕を落とされても、全部、体で受けて再生してたくせに。
なんで今さら、避けやがったんだ?
「……もう、再生しねぇのか?」
「アル、ほんとか? まぁ、試してみるかぁっ!」
親分が一気に間合いを詰め、追撃に転じた。
素早い連撃が矢継ぎ早に繰り出され、拳と蹴りが次々とデーモンの体を打ち据える。
両腕で必死にガードしたが、衝撃に耐えきれず、デーモンは後方へ吹き飛んだ。
壁に叩きつけられ、腕はだらりと下がったまま。
「……駄目じゃねぇか、おい」
さすがの親分も、低く愚痴をこぼす。
拳を握ったまま、眉間に深い皺を刻んでいた。
両腕の再生が始まった。
肉が盛り上がり、骨に巻きついていく。
再生速度は落ちてない――つまり問題なしってことか。
……だとすりゃ、やっぱ引っかかる。
お前、なんでさっき足だけ避けた?
「親分」
「なんだ? なんか思いついたか?」
「……あいつよぉ、足って再生したか?」
「いや、さっきから避けられちまうからな」
なるほど。足はお嫌いですか。
「おら! もういっちょ食らえ!」
動きの止まっているデーモンに、風の刃を叩き込む。
再生しかけた腕が、肩口からごっそり切断された。
「へへ。そうだよな。足じゃないなら、避けないよな」
口元が自然と吊り上がった。
……手品師みたいなことしやがって。タネ明かしだ。
「親分! 足だっ! あいつは足への攻撃を嫌ってる!」
「そういうことかよ!」
親分が一段ギアを上げたみたいに突っ込み、蹴りを放つ。
狙いはもちろんデーモンの足。
だが――ひゅ、とデーモンが軽々と宙へ逃げた。
「おい。フェイントだぞ?」
即座に地面へ踏み込み、親分が飛び上がった。
ガシッと空中でデーモンの足を掴む。
「とりあえず、これで終わっとけ!」
掴んだ足とは逆の足を、拳で粉砕。
そのまま離さず、掴んだ足ごと地面へ叩きつけた。
「グオオオオオォォォォォ!」
デーモンの苦悶の咆哮。
……ああ、今日初めて聞いたな、その声。
親分は手を離さず、さらに拳を振りぬく。
両足を粉砕されたデーモンは、恐ろしい形相でこちらを睨みつけ――やがて地面に溶けるように沈んでいった。
「やったか? ……いや、勝ったな、だ」
親分が肩で息をしながら振り返る。
「アル、こいつはもう再生しないよな?」
「流石にこれで再生したら、逃げるよ俺」
半分本気でそう言いながら、周囲に意識を巡らせる。
「まぁ、大丈夫じゃないか。気配も消えたし」
「しかし、こいつは完全に普通の奴と違ったぞ」
親分の言葉に、俺も無言で頷いた。
……そうだ。こんなのがポンポン出てきたら、たまったもんじゃない。
視線を落とすと、床に消え残った跡。
そこには、デーモンが溶けていった場所が黒く焼け付いていた。
「……そういうことなのか?」
近寄って目を凝らす。
ひしゃげた魔道具の欠片が落ちていた。
「受肉した時に、一緒に体内に取り込んでたのか……」
背筋にじわりと嫌な汗がにじんだ。
「親分、これ」
「なんだ? ……金属片。ここでもか」
俺は肩をすくめる。
「まぁいい、今日は助かった。後は任せろ」
「はいはい、お言葉に甘えま~す」
親分がじろりと俺を見る。
「おい、アル。戻る気はねぇのか? なんだったら警備隊でもいいぞ」
「俺には無理ですよ」
「ぬかせ。中級パーティー必須の相手を単独撃破だぞ?」
「……まぁ、親分の援護もあったし」
あの横からの一撃は強烈だったしな。
「ふん。気が変わったらいつでも来い」
俺は手をひらひらさせて、その場を去った。
「へ~い」
変な依頼をされる前に、とっとと帰ろう。
「戻ってこい、か……」
親分の言葉が頭をよぎる。
今日も、親分がいたから何とかなったようなもんだ。
もし、いなかったら――どれだけ被害が出てたんだろうな。
前線に立つなんて、俺には役不足だよ。
調査員ぐらいが、ちょうどいい。
……にしても、疲れたなぁ。
明日、休みになんねぇかな。
ここまで拙い文を読んでいただきありがとうございます!
「面白かったなぁ」
「続きはどうなるんだろう?」
「次も読みたい」
「つまらない」
と思いましたら
下部の☆☆☆☆☆から、作品への応援、評価をお願いいたします。
面白かったら星5つ。つまらなかったら星1つ。正直な気持ちでかまいません。
参考にし、作品に生かそうと思っております。
ブックマークで応援いただけると励みになります。




