第5話 俺、いらなくね?
倉庫街の夜は、昼間と別物だ。
荷馬車のきしみも、人足の怒鳴り声もない。
並んだ石造りの倉庫が、ただ黙り込んで俺を見下ろしている。
足音がやけに響く。
砂利を踏むたびに「お前、場違いだぞ」と、言われてる気がする。
……まあ実際そうだ。夜中に倉庫街をうろつくまともな市民なんざいない。
風が吹けば板壁がぎしりと鳴る。錆びた鎖がどこかでカランと揺れる。
衛兵の松明が遠くを照らしては消え、影ばかりが長く伸びる。
「やっぱ来るんじゃなかったな」
ぼそっと漏らしても、答えるやつはいない。
答えられたら、それはそれで怖い。
鼻をかすめるのは、木箱と古い油のにおい。人の気配は……ない。
あるのは静寂だけだ。
その静寂が、逆に耳の奥をざわつかせる。
青白い光を見たって噂が立つのも、まぁ頷ける。
こんな雰囲気じゃ、幻覚の一つや二つ、見えたっておかしくねぇ。
……俺も鐘楼から見たわけで。
――と、その時だ。
倉庫街の奥で、ちらりと青白いものが揺れた。
「……ほんとに青白いな」
炎じゃない。松明の橙色とも違う。
目を凝らすほどに、淡い光が壁の隙間をかすめては消える。
まるで誰かが「ここにいるぞ」と合図しているみたいに。
幻覚か? いや、俺の疲れ目にしては都合がよすぎる。
ジョナスが言ってた「青白い光の噂」……まさかほんとに?
こういう時、人は二種類に分かれる。「気のせいだ」と帰る奴と、「確かめるか」と首を突っ込む馬鹿。
……俺はだいたい後者だ。
「はぁ……胃が痛ぇ」
まあいい。真相は確かめりゃわかる。
さて、俺の胃薬はどこだ。
◇ ◆ ◇
「……この辺りだな。マルマルがビビってた倉庫は」
目を凝らすと、奥にひときわ古びた倉庫があった。
扉の板はところどころ歪んで、釘も浮いてる。
ああ、なるほど。夜中にここで物音がしたら、真面目バカのマルマルじゃなくても腰を抜かす。
「……ん?」
その倉庫の隙間で、青白い光がチカッと走った。
花火じゃない、虫でもない。あれは──噂どおりのやつだ。
「……本当にアンデッドだった場合は困るな」
ぼやきつつ、魔力を体表に流す。
うっすらと光の膜が張りつく感覚。簡易結界だ。
今、俺がやってるのは魔力感知の応用だ。アンデッドは魔力感知だからな。
こっちの魔力を結界で遮断しちまえば、相手に気取られる心配もない。
「よし、魔力はオフだ。あとは音だな」
風の魔法を靴底にまとう。砂利を踏んでも音が散って消える。
不気味な静けさの中、俺の足音だけはない。
「……何がいるんだぁ、ったく」
正直に正面から突っ込むほど、俺は馬鹿じゃない。
扉の前で待ち伏せでもされてたら、命が先に悲鳴を上げる。
だから俺は、ひょいと壁をよじ登り、屋根に身を這わせた。
古い石造りだから足場は多い。こういうときだけ、ガキの頃の悪ガキ登りが役に立つ。
天窓の隙間から、そっと覗き込む。
倉庫の中で、箱の影がちらちらと蠢いていた。
木箱が勝手に動くわけねぇ。じゃあ、あれは。
赤い目が、一瞬だけ闇に点った。
……いやいやいや。
なんで倉庫の中に闇シラベがいるんだよ。
あ~、闇シラベってのはあれだ。影に潜む魔物でな、とりあえず面倒なやつだ。
黒いスライムが、影に紛れて襲ってくるって感じだな。特に影が多い場所や、夜は危険だ。
つまり、今は最悪な現場ってわけだな。チクショーめ。
あいつらの出没スポットって、墓地とか橋の下とか、そういういかにもな場所じゃなかったか?
誰だよ、よりによって街中の倉庫に呼び込んだやつは。頭おかしいのか。
赤い目がチラッと光るたびに、腹の奥がキリキリ痛む。
ほんとにアンデッド絡みだったら困る、っていうか、困るどころじゃねぇ。
調査員の業務範囲を、軽々オーバーしてるんだが。
……で、ここで帰れば「命拾いした」ってやつなんだろうけどな。
でもさ、俺は見ちゃったんだよな。見た以上は、報告書に「倉庫街異常なし」なんて書けるわけない。
「あ~あ、俺ってほんと馬鹿だよな」
ぼそっと呟いても、赤目の連中は優しく否定してくれたりしない。
代わりに影がざわざわ蠢いて、光をじわじわ吸い込みやがる。
……はいはい、余計に帰りづらくしてくれてありがとよ……って言っても、こっからじゃよく見えねぇな。
わかる範囲では──二匹、か。
影が箱の間をうろついてるのが、なんとなく数えられる。
まあ、三匹以上いたらもっとザワザワうるさいはずだし。
とはいえ、ここ倉庫だぞ?
中で火を焚いて対処、なんてやったらどうなるか。
木箱に引火、油樽に延焼、最後はドカーン。
見事に吹き飛んだ跡地で「調査員アルディン殉職(借金付き)」なんてギルドの壁に貼られるオチしか見えない。
「……一生、借金地獄か。笑えねぇな」
じゃあどうする。
火が駄目なら、強い光。あいつらの弱点はそれだ。……っていっても、手持ちで派手に光るもんなんて、そう都合よく──。
腰袋を探ると、案の定いつものラインナップが指に触れる。
粘着玉、痺れ草、消臭粉――そして緊急用の照明玉がひとつ。
「……あ~、あったよ。ギルド支給品」
小さなビー玉大のガラス玉、中がかすかに光ってる。
たしかに役には立つ。立つんだが、これ本来は「味方に自分の居場所を知らせるための道具」だ。
つまり、投げた瞬間に「ここにアルがいます!」って、でっかい矢印を出すようなもんだ。
闇シラベの目くらましには効くだろうが、その代わり俺が真っ先に的になる。
ギルドの会議室で「調査員アルディン、倉庫に不法侵入」なんて報告が回ったら……減給どころの話じゃない。
仕方ない、これは最後の切り札だ。
だが、さらに運が悪いことに――俺は、剣を持ってきてない。
笑えないジョークだな。いや、笑ってもいいけど笑うのは俺以外のやつな。
理由? 大したもんじゃない。ただ夜風に当たろうって軽い気分で鐘楼に登っただけだし、まさかその足で倉庫に潜入する羽目になるなんて、想定外にもほどがある。
結果、腰にあるのは予備の短剣が一本。以上。
短剣ねぇ……刃渡りも頼りないし、見た目は完全に「護身用」。
これでアンデッドやら悪霊やらに立ち向かえって言うなら、そりゃギルドが俺に保険金でもかけてんじゃないかって、疑いたくなる。
とはいえ、持ってるだけで少し気が楽になるのも事実だ。
剣がない不安を、短剣一本がカバーしてくれるかって? まあ、気休め八割だな。
あぁ、膝が笑ってきた。
結論、派手な真似はできない。
潜入するなら静かに、証拠押さえて、バレたら即撤退。短剣はその時の保険。
戦うんじゃなくて逃げるため。
うん、実に俺らしい作戦だ。勇敢とは正反対だが、少なくとも生き残る確率は上がる。
さて、装備チェックも済んだし、腹も括ったし。
「……行くか」
小声でそう呟いて、短剣の柄を握りしめた。
◇ ◆ ◇
そろり、そろりと天窓から体を滑り込ませる。
いや~、人生で何度「そろりそろり」とやってきたかわからんが、だいたいロクな目に遭ったことがない。今回もその記録を更新しそうだ。
木箱の山に足を置く。きしっ、と音が鳴って心臓が跳ねた。頼むからバレないでくれ。
俺の人生は、静かな退職金コースで十分なんだ。
慎重に箱から箱へと移動し、倉庫の中を見下ろす。
やっぱり、二匹だな。
黒い影がじわじわ動いて、赤い目が時折ちらっと光る。数え間違いじゃない。
……二匹だけなら、まだ希望はある。
と、その時。
チカッと青白い光が走った。
「……あっちか」
しかし、こいつら昼間はどうしてんだ?
まさか倉庫の隅で正座して出番待ち、ってわけじゃないよな。想像したらちょっとシュールすぎる。
じゃあ、今ここで呼び出されたのか?
それにしては、魔法陣も何も見当たらない。床に光る線もなけりゃ、儀式めいた仕掛けもない。
呼び出しに必須のアレコレが、どこにもないってのは不自然だ。
となると、噂になってる時点で「今、呼ばれた」線は薄い。
つまりこいつら、しばらく前からここに居座ってるってことになる。
……ってことは、だ。
誰かが術で縛って止めてるってことか。
術者はいる。ほぼ間違いない。
こんな街中の倉庫に、闇シラベが勝手に湧いてくるなんてホラー展開、もう背中がつりそう。
で、その術者とやらがどこにいるかって?
もちろん、答えは一つしかない。
「……いるのは、あっちだよな」
青白い光が、チカッと走った方角に目を向ける。
闇シラベの赤い目とは違う、不自然な青白さ。あれが鍵だ。
影がざわつく音が耳の奥にまとわりつく。
嫌な汗が、首筋を伝う。
俺は短剣の柄を握り直し、光の方へと視線を固定した。
ほいっと足場を移動し、箱の影から覗き込む。
――次の瞬間、息が詰まりかけた。
青白い光がそこにあった。いや、光というよりは――骨の輪郭をなぞるような幽光。
冷気が空気を刺すみたいに肌を撫でて、思わず背筋がぞわっとした。
「っ……!」
即座に頭を引っ込める。
冗談抜きで、心臓が止まるかと思った。
なんでムーンフェイドがいる……。
よりにもよって、青白いガイコツ野郎。六等級のパーティーは必須だぞ!
深い洞窟や、いわくつきの廃屋ならわかる。だが、街中の倉庫? 意味がわからん。
こいつは、触れた相手を瞬時に凍らせるって代物だ。
物理攻撃は効きづらく、炎でようやく弱点を突ける。
……で、俺の手持ちは短剣一本と勇気だけ。
はい、勝負になりません。
俺は深く息を吐いて、高鳴る心臓を無理やり押さえつけながら、もう一度そっと覗き込む。
ムーンフェイドの青白い光に照らされて、床に紫紺のローブをまとった男が転がっていた。
そして胸元に、あの紋章。
吐き気がするほど見覚えのある、例の印だ。
見た瞬間に不快感が上限値。もう条件反射で「うわ最悪」って言葉が出そうになる。
……クソ狂信者め。
命と引き換えにアンデッド呼んで、ローブごと床に転がってやがる。
で、ここでまたひとつ嫌な現実に気づく。
術者が死んでるってことは、だ。
……誰がムーンフェイドに命令してんだよ?
青白く光る氷の化け物と、吐き気を催す紋章。
その組み合わせを前に、俺の頭痛はもはや限界突破。
短剣を強く握りながら、頭の中では「帰りたい」がリフレインしている。
だが、おかしいよな? 噂は何日も前からだ。
もしアイツが術者だってんなら、なんで今日に限って死んでんだ?
タイミング良すぎるだろ。いや、悪すぎるか。
そんなふうに考えてた、その時だった。
倉庫の外から声が聞こえた。
「こっちであります!」
……バカ! 声がでけ~よ! 犬っころ。
静かにしてろって言いたいのに、よりによって深夜の倉庫街に響き渡る大音量。
俺の心臓がぽんぽん跳ねる。
ムーンフェイドの視線がこっちに流れた気がして、慌てて身を引っ込める。
……やめろマルマル。アンデッド相手に居場所教えるな!
もちろん声には出せない。ただ心の中で絶叫するだけだ。
バンッ!
けたたましい音とともに、倉庫の大扉が勢いよく開かれた。
「こっちか!」と吠えながら入ってきたのは──警備隊を数人従えた、ガーの親分だった。
二メートル級の狼面、街の子供に大人気、でも今の俺には不人気。
……これなら勝てるな。
ロットン・ガーとその部下が揃ってりゃ、ムーンフェイド相手でもなんとかなる。俺ひとりで相手するより、はるかにマシだ。
ただし問題がひとつ。
ここで俺が見つかるのはマズイ。
勝手に倉庫へ忍び込んでました、なんて正直に言ったら、始末書どころか減給モノだ。いや、課長に頭抱えられるだけで済めば御の字か。
ムーンフェイドの視線がちらりと揺れた。
やばい。気付かれたか?
息を殺しながら、俺はじりじりと後退。天窓を目指して、影に紛れるように体を動かした。
ガーの親分が一歩踏み込んだかと思ったら、次の瞬間にはもう闇シラベが消し飛んでいた。
いや、ほんとに一瞬だ。影が蠢いたと思ったら、拳と蹴りで光に散らされてる。
悪霊だの精神攻撃だの、そんな小細工が通じる相手じゃないらしい。
……マジかよ。
胸の奥がギュッと縮む。いや、縮む必要ないんだけど、勝手に縮むんだ。
俺が数分かけて心労で悶えてた相手を、親分はあっさり片付けやがった。やっぱ規格が違う。
そして、残ったのはムーンフェイド。
青白い光が倉庫内に満ちて、冷気が肌を刺す。
ガーの親分は微塵も怯まず、真っ向からその怪物と対峙していた。
「……いやいや、狼と氷の亡霊って、絵面が完全に別の物語だろ」
後ろからは「親分! 後ろは任せるであります!」なんて声が響いた。
マルマルだ。短足でちょこまか動きながら、妙に真面目な応援を飛ばしている。
その声量で、ムーンフェイドが二匹くらい増えるんじゃないかと心配になるのは、俺だけだろうか。
他の警備隊の連中は、残った闇シラベを相手にしていた。
光を掲げ、剣で影を切り払い、叫び声と金属音が倉庫内に交錯する。
戦場、って言葉がこれ以上なく似合う光景だ。
……あれ? 俺、いらなくね?
天窓の縁に手をかけながら、思わず心の中で突っ込んだ。
ガー親分はムーンフェイドと対峙、マルマルは後ろで吠え、警備隊は闇シラベを追い詰めている。
俺? 屋根にしがみついてるだけのモブだ。
それでも、バレちゃいけない。
ここで「アルディン、勝手に侵入してました」なんて報告が回ったら、課長の頭頂部から残り少ない毛根が全滅しかねない。
だから俺は、息を殺して天窓へと這い上がった。
……ここまでくりゃ大丈夫だろ。
天窓からそっと身を起こし、下を覗けば――おお~、警備隊が闇シラベを片付けたじゃねぇか。やるねぇ。
親分はというと、ムーンフェイド相手に一進一退。
拳と爪で肉弾戦やってるが、さすがに氷のアンデッドに物理一辺倒はキツそうだ。見てるだけでこっちの関節が痛くなる。
「まあ、でも勝てるだろ。親分だし」と、自分に言い聞かせたその時だった。
床に転がっていた紫紺のローブの男が――妙な動きを見せた。
背中がぐぐっと膨れ上がり、布地が引き裂かれるように盛り上がっていく。
まるで中から、別の何かが産まれようとしているみたいに。
……は?
思わず声が漏れそうになった。
いやいやいや、まだ増えるのかよ。
背中がぐぐっと膨れ上がり、布地がみしみし裂ける音が倉庫中に響いた。
次の瞬間、肉を破る鈍い音とともに、黒くねじれた腕が突き出る。
生臭い匂いが一気に漂い、思わず喉がひゅっと鳴った。
「……勘弁してくれ」
裂けた背中から現れたのは、角と赤黒い目を持つ異形。
皮膚はぬらぬらと濡れて光り、まだ形を保つのも不安定な感じだ。
まさに受肉したてのデーモン。
奴はぎこちなく首を回し、肩を鳴らし、指を一本ずつ曲げ伸ばしている。
新品の体を試運転してるみたいに。
そのたびに、骨と肉の擦れる嫌な音が響く。
見てるだけで背筋が寒くなる。
……街中で産まれるなよ。ここ倉庫街だぞ? コンビニの新商品じゃないんだから。
だが、体はもう勝手に動いてた。
頭じゃ「やめとけ」って全力で叫んでるのに、足は倉庫の正面へと回り込んでいた。
……まあ、後で絶対後悔するやつだ。いつも通りだな。
「おう、何かあったのか?」
場違いなほど軽い声が、口から出る。
中身は震える小心者なのに、外見は場数を踏んだ調査員っぽく見えてたら奇跡だ。
「アルか! 手貸せ!」
ガーの親分の低い声が飛んできた。
あ~あ、やるしかねぇよな。
俺の人生、予定調和にもほどがある。
だけどな。
ここで見捨てる程、俺はまだ人をやめちゃいねぇ。
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