第16話 なげぇ二秒の話
霧の森へ向かうと決まってからは、準備に忙しい。
タマ婆さんからはマジックポーションやら閃光玉やら、持てるだけ持たされた。
……遠足に行くんじゃねぇんだぞ。
テッタからは特製弁当。ジョナスからはニヒルなスマイルをいただきました。
……初めてのお使いか、俺は。
「頼んだぞ」
課長が真剣な眼差しで送り出してくる。
「守りは心配するな」
ガーの親分がニカッと笑った。その顔に妙な安心感があるのが悔しい。
「忘れねぇからな……」
ナックが鼻水垂らしながら言う。
おいおい、葬式みたいにするな。
「んじゃ、いってきま~す」
なんとも締まらないけど……まあ、俺らしいっちゃ、俺らしい。
◇ ◆ ◇
馬に跨り、一気に南へ駆け抜ける。
時間の猶予があるのかはわからない。
今は、とにかく急ぐだけだ。
……もってくれよ、お馬ちゃん。
丘を駆け抜け、南の村へ。ここからは徒歩だ。
馬を繋がず、たてがみに手をやって語り掛ける。
「危なくなったら、逃げるんだぞ」
馬が――当たり前だろ、と言うように嘶いた。
腰のポーチからマジックポーションを取り出し、一口だけ含む。
喉を焼くような苦味が広がった瞬間、魔力感知を発動。
「……デカい魔力は無しっと」
短く呟き、今度は身体強化を全開まで引き上げる。
足の裏から地面を蹴る感覚が鋭くなり、森の中を音もなく駆け抜けていく。
夜明け前の森は静まり返り、空気が張り詰めていた。
そこから先、徐々に濃い霧が漂い始める。――霧の森の結界へと、俺は足を踏み入れていった。
霧の森に一歩足を踏み入れた瞬間、がらりと空気が変わった。
湿った白い靄が視界を覆い、木々はぼんやりと歪んで見える。
風はほとんどなく、それなのに耳の奥でひゅうひゅうと笛のような音が鳴っている。
外の森とは、まるで別世界だ。
……三年おきに帰ってこいって言われてたけど、もう六年目だしな。今帰っても……平気だよな?
ふと、母親との約束を思い出す。
……いや、仕事中だし。やめとくか。姉ちゃんに捕まって小言くらうのは、さすがに面倒だ。
そう自分に言い聞かせながら、さらに森の奥へと足を進めた。
魔力感知を続けながら進んでいくと、霧の濃さが一段と増した。
……魔法陣的には、もう外側だな。
足を止めて辺りを見回す。
「この辺でもいいか」
適当な木の根元に、布に包まれた鍵をポイっと放り投げる。
「……目印があったほうがいいか?」
そんなことを悠長に考えていた、その瞬間――。
背後で、ぬるりと嫌な気配がした。
……足音がねぇ。
蛇か? と枝の上を見上げるが、姿はない。
そのまま視線を下へ向けると、木の陰から巨大な蛇の胴がのたくっていた。
「お前……尻尾だろ? 知ってんだ」
そう口にした瞬間、影が一気に伸びてくる。
反射的に身をひねり、嚙みつきの一撃を紙一重でかわした。
のしのしと霧の中から姿を現したのは――バジリスク。
鳥の頭と蛇の尾を持つ、クソヤバモンスターだ。
「ひっさしぶりだなお前」
蛇の口から飛び散る毒液を、大きな木を盾にして身を隠す。
シュゥゥッと、草木が焦げる音がする。
……さて、周りの魔物が寄ってくる前に片をつけねぇと。
バジリスクの前足が振り下ろされ、大木が音を立ててへし折れた。
霧がその衝撃で渦を巻く。
「俺な、この森だと調子いいんだよ。お前に負ける気がしねぇ」
地を蹴った瞬間、視界が一気に近づく。
間合いを詰め、まずは厄介な蛇の尾――尻尾を一振りで切り落とした。
たじろぎもせず、バジリスクの目が妖しく光った。
「やらしい目だな」
即座に距離を取り、地面に手を突く。
魔力を流し込み、鋼鉄のように強化した土壁を目の前に立ち上げた。
「いち、に、さん……」
光が壁を叩き、石化の気配が背筋をぞわぞわと這い上がる。
だが、盾の影がふっと軽くなった。
バジリスクの光が消えた証拠だ。
「よん、ご、だっ!」
土の盾から飛び出し、一直線に首筋を狙う。
空中で体を捻り、遠心力を乗せた一撃を――その首に叩き込んだ。
切断とまではいかないが、バジリスクの首筋に深々と傷が走り、血飛沫が散った。
巨体がよろめき、呼吸は荒く、ほぼ瀕死だ。
……あの血がやばいんだよな。
触れたら猛毒。
生きてても、死んでも厄介なのがこいつの特徴だ。
本当は一息に仕留めるつもりだったが、どうも俺の剣は鈍ったらしい。
鍔元にべっとりついた返り血を見て、苦笑する。
バジリスクは苦しげに頭を下げながらも、なおギラつく目でこちらを威嚇していた。
バジリスクと睨みあっていると、横から巨大な影が横切った。
次の瞬間には、バジリスクの巨体ごと霧の奥へと引きずり込まれていく。
どこか遠くで、断末魔の悲鳴がこだました。
「ふ~……怖い怖い」
剣を下げ、ひと息つく。
「弱肉強食ってな」
この森では、弱い魔物は必ず淘汰される。
いつだって――やるか、やられるかだ。
周りを警戒しながら、霧の奥へと視線を移す。
家に寄って行きたい気持ちは山々だが……二日はかかるな。却下だ。
鍵は置いたし、ここは大人しく撤退するか。
再びポーチからマジックポーションを取り出し、一口。う~ん、マズイ。
「にしても、タマ婆も大盤振る舞いだよな……」
息を吐きながら呟く。
まあ、こんなにあっさり行くなんて、誰も思っちゃいないだろうけど。
だが、俺は今、フラグを口にしたんだろうか。
木の根元に置いてあった鍵が、音もなく砂のように崩れ去った。
「ん? どういうこった」
思わず声が漏れる。
……儀式が終わったのか?
考えられるとすれば――今この瞬間、儀式が完了して鍵が消滅。
この場に変化がないってことは、つまり不発に終わった……って解釈になる。
「……あとは、余波ってやつか」
霧の奥がざわりと揺れた気がした。
「……鍵の気配を追ってみれば……あなたでしたか、アルディン」
霧の奥から低い声が響く。
「よう、神父。元気そうだな」
「まさか、この霧の森に足を踏み入れる者がいようとは……完全に予想外でしたよ」
「だろ? 俺もそう思うぜ」
白い靄を押し分け、影がゆっくりと歩み出てくる。
姿を現したのは――いつぞやの、あのクソ神父だった。
「随分と手の込んだ仕掛けだったな?」
「ええ。何年も前から準備していた――大事な儀式だったのですよ」
……大事な儀式、ね。鼻で笑いたくなる言い草だ。
「一体、何を呼ぼうとしたんだ?」
「そこまで知っているのですね」
「ああ、うちにも優秀な奴がいてね」
ゼットの顔が脳裏をよぎる。
やっぱりあの情報は当たってたか。
「セイラム聖王国が神と呼ぶ存在……本当に神だと、あなたは思っているのですか?」
……なんだ? いきなり説教か?
「さぁな。神様なんて、そこら中にいるんじゃねぇか」
「……素晴らしい考え方ですね」
あ、肯定されちまったよ。
こっちとしては軽口のつもりだったんだが。
「別に神は唯一神のみではない。他にも多く存在するのです」
「へぇ~。それで?」
「それを信仰することを、聖王国は許さない。……これは間違っていると思いませんか?」
「まぁ、言わんとすることはわかるぜ」
神父の言葉は妙に滑らかで、耳に入ると理屈が通っているようにも思える。
……だからこそ厄介なんだよな。
「それなのに、他の信仰を異端と断罪し、裁くのです」
「まぁ、そうだな。よく聞く話だ」
「でしょう? だから、正すのです。我々の手で」
ふーん。つまり、どんな犠牲も厭わないって話か。
口に出すと、自分でも寒い気分になる。
「なら、それで巻き込まれた罪のない人々はどうするんだ?」
問いに、神父は少しも躊躇せずに答えた。
「必要な犠牲です」
その言葉は、まるで最も当然の理屈のように、霧の空気に溶け込んだ。
俺は目の前の人物が、笑ってるのか真顔なのか判別できなくなってきた。嫌な種類の確信だ。
「俺には、罪のない人々を巻き込んでる時点で……お前らの信仰って野蛮なんだなとしか思えないけどな」
「それは聖王国も同じこと。戦争をしているじゃありませんか」
「ああそうだ。巻き込まれた人々は――可哀そうだよな?」
神父は、小さく頷いた。
「そうですね」
「……それと同じことを、お前らはやってるんだぜ?」
言い返しながら、胸の奥が冷えた。
俺の言葉はただの皮肉じゃない。
相手の理屈を、そのまま突き返しただけだ。
だが神父は一歩も引かない目でこちらを見ていた。
「同じ? いいえ、彼らの死は無駄ではありません。その血肉をもって、神を降臨させるのです」
……ほら出たよ。結局いつもの狂信者コースじゃねぇか。
少しでも話が通じると、思った俺が馬鹿だったぜ。
いやほんと、三秒くらいは期待したんだけどな。
「はいはい。人の犠牲で降臨させる神が凄いのか? 頭、沸いてんな」
明らかな罵倒に、神父の顔つきがギリッと変わった。
……ああ、やっぱ効いたか。
信仰する神を愚弄されちゃ、そりゃ黙ってられないってわけだ。
「そりゃ、ラスの奴も見切りをつけるわな。――異端の村の告発も、あんたが握り潰してたんだろ?」
「ああ、ラスですか……いましたね。そんな小僧も」
神父はわざとらしく思い出すように目を細め、口角を吊り上げた。
「最後は泣き叫んで、許しを乞うてましたが……」
……クソが。
胸の奥が一気に煮えたぎるのを、自分でも抑えられなかった。
おう、リース見つけたぜ。
超絶クソ野郎発見のお知らせだ。
「まったく、狂信者ってやつは、クズの集まりだな、ほんと」
神父がふと顎を撫で、目を細める。
返ってきたのは、どこか涼やかな声だ。
「あなたには、理解できないだけですよ」
「ああ、一生わかんなくてもいいぜ」
俺は肩をすくめて笑う。
相手が何を信じようと勝手だが、人を巻き込むのは別だ。
「神を降臨だ、なんだと、阿呆くせぇ」
つい本音が出る。馬鹿げてると思ったんだ。
「世界を正すためです」
神父は静かに、しかし揺るがぬ確信で返した。
「犠牲を払わなきゃ降臨できない神なんて、神失格だな」
「いいえ、それは必要な対価です」
神父の声は柔らかいが、その言葉には冷たい重みがある。
「じゃぁ、見せてやるよ。お望み通りだ」
神父の目が鋭く細まる。
俺は軽く笑って、神父を見据える。
「本当に対価を払うってのはな、自分で用意するもんだ。人の犠牲じゃねぇ」
さて、見せてやろうじゃねぇか。
この頭がイカレタ神父様に、神ってやつを。
俺は素早く印を結ぶ。
指先が震える暇もなく、覚えた形を次々と組み合わせていく。
霧の森の湿った空気が、掌の熱に反応してざわつくのがわかった。
霧の魔女の神話めいた言葉。
「掛けまくも畏き、常闇の淵に坐す荒御魂の神よ……」
言葉が霧に溶けていき、木々の間を這うように広がる。
「千代に潜みて人の嘆きを糧とし、万代に囁きて血を欲したもう御身。 祓へ給へ、清め給へ――されど、その祓いは命を贄とし、 その清めは魂を削りて成すものなり」
紡ぐ言葉が終わるたびに、地面の震えが少しずつ大きくなっていくのがわかる。
霧が震え、葉がさざめき、遠くで獣が一声上げた。
「ここに我が血を以て枷を解き、我が声を以て門を叩く。 枉れる鎖を断ち、虚無の扉を穿ち給へ」
神父の顔に、初めて——本物の驚きが走るのが見えた。
彼の口元がぴくりと動き、何かを否定するかのように手を上げる。
だが、いまさら言葉を重ねても遅い。
俺がここで出した符印と声は、もう後戻りできないところまで魔を呼んでいる。
……ほら、祈れよ。お前の信じる神ってやつに。
「闇より這い出で、災厄を連れ、我が呼び声に応え給へ――」
やがて霧が濃密になり、視界が滲む。
光が吸われていくかのように、周囲の色が抜け落ちていく。
音が止み、静寂が辺りを包む。
それは、何かが来る合図。
霧の中心から黒い穴のような影がひとつ、ゆっくりと姿を現した。
形容し難い生物の輪郭が、吸い込むように周囲の霧を引き寄せる。
轟きながら、刃にも牙にも似た無数の口が重なり合う。まるで、生きた深淵が這い出してくるようだ。
「来い、食らう者よ――」
俺の声が最後の言葉を吐き終えると、そいつは眼を開いた。
そこに映るのは、空っぽの闇と、飢えの深さだけ。
ここに出現したものは、光を飲み込み、叫びをかき消し、触れたものの存在を曖昧にしてしまう。
神父の顔色が一瞬で蒼白になり、彼は両手を合わせて何かを呟き始めた。
だが、その呟きすら霧に溶け、意味を失っていく。
――そして次の瞬間、神父の姿は跡形もなく影に呑まれた。
影に飲まれる間際、彼には見えただろうか。
信仰する神の姿が。
……さてと。
俺は剣を抜き、無意識に一歩前へ出る。
霧の奥で、虚無はゆっくりと歯を鳴らした。
「さあ、始めようか」──そんな声が聞こえた気がした。
「二秒だ」
声と同時に身体強化を全開にして、全身をぎゅっと固めて距離を取る。
筋肉が硬くなる感覚が手足に走り、反応速度が一瞬で跳ね上がる。
「遮れっ!」
唱え続ける。今出せる限りの防御系結界を三枚、重ねて展開する。
薄い光の膜が瞬時に重なり、空間を区切っていく。
通常ならこれだけで相手の動きを封じ、時間を稼げるはずだ。
だが――食らう者は、まるで紙切れでも引き裂くかのように、結界を弾き破ってこちらに迫ってきた。
咄嗟に両手を地に叩きつけ、魔力を集中させる。
刃のように硬化した壁を三枚、今度は最高硬度で立ち上げる。
鋼鉄を超える硬さで厚い盾を構築し、化け物の体ごと衝撃を受け止める。
それでも止まる気配がない。
奴の勢いは増すばかりで、壁の表面にひびが走り、振動が骨の奥まで届く。
呼吸が詰まりかける――魔力の消耗も、一瞬では回復しない。
……やべぇ。今日の俺、思ったよりもギリギリだ。
それでも引くわけにはいかねぇ。
顔を上げ、次の一手を探る。
一瞬、ほんの一瞬、思考が遅れた。
やべぇっ! と心の中で叫んだその刹那、闇が身体に這い上がってくる感触があった。
視界の端から、世界が吸い込まれるように暗くなり——飲まれる、と思った。
だが次の瞬間、食らう者は霧のように四散した。
影が解けて空気に溶けていく。
バクバクとうるさい心音だけが、耳の奥で鳴っている。
ふぅと息を吐くと、胸の奥に残っていた冷えが少しずつ引いていった。
「……なげえ二秒だったぜ」
虚無召喚の仕組みは単純だ。
命令をひとつ叶えたら、その対価として今回は二秒。
そんだけ好きに暴れる権利をくれてやる。
これが、犠牲を払わない本当の召喚ってやつだ。
……つまり、全部自分でケツ持て、ってこった。
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面白かったら星5つ。つまらなかったら星1つ。正直な気持ちでかまいません。
参考にし、作品に生かそうと思っております。
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