第10話 愛され馬鹿はここに眠る
「ナック。おめぇは――誰だ?」
俺の問いに、ナックは一瞬ぽかんとした顔をした。
そして次の瞬間、胸を張って親指で自分を指す。
「誰って……俺だよ! お前の相棒、泣く子も笑うナックさんだろ?」
はい出ました。いつもの調子。
こういう時だけは元気だよな。……いや、元気すぎる。
声も動きも、確かにいつものナックそのもの。
けどな、どうにも薄っぺらい。舞台役者が台本通りに演じてるみたいな、そんな感じがするんだ。
おかげで背中を冷えた汗が伝う。
こっちは笑えねぇんだよ。
「ビビッて、漁村に逃げるまではいつものお前だ」
「何言ってんだ?」
ナックが眉をひそめる。だが、俺の中ではもう確信に近い違和感が膨らんでいた。
「だけどな――そこで必死こいて、ラヴァナイトを助けようとしないところがお前らしくない」
「ん? ああ、お前も会ったのか? よく逃げれたな」
……軽い。軽すぎる。
本物のナックなら「助けようとしたけど無理だった」って泣き言を並べるはずだ。
この空っぽな反応は、どうにもおかしい。
「ラスを探そうと思わなかったのか?」
「ラス? 村長の息子だろ? 漁村を見て回ったけどいなかったぞ」
その言葉を聞いた瞬間、俺は剣を握る手に力を込めた。
漁村を見て回っただと?
あのヘタレが、鼻水垂らして竿握ってるのが精一杯だったくせに――。
「だがなぁ、ナック。俺を見つけた時、いつもならこう言うはずだ」
俺はナックを睨みつける。
「――アル、大変だ、ってな」
何も説明せず、泣きつくように縋ってくる。それが、俺の知ってるナックだ。
だが目の前のナックは違った。
返事の代わりに、口の端がぐいっと吊り上がる。
裂けた。
耳の下まで歪んで広がったその笑みは、もう人間と呼べる顔じゃなかった。
◇ ◆ ◇
ああ、その顔はよく知ってる。
クソ狂信者だ。
何を聞いたところで無駄だ。
こいつらの口から出てくるのは、呪いと妄言だけ。まともな会話なんて期待するだけ無駄。
握った剣に、自然と力がこもる。
偽とはいえ、ナックの姿をした相手を斬るのは……正直、気が引ける。
けどな。
リースと約束したんでな。
もう、容赦しねぇぞ。
一足に切り込む。
距離を詰めるのに躊躇はない。
こっちの剣先が林の朝日にちらりと光った。
シュッと右腕を斬り飛ばす。
金属の擦れる音と同時に、赤がぽたぽたと滴り、腕は弧を描いて地面に落ちた。
狂信者の顔が歪む。
さっきまでの笑みは砕け、苦痛がにじみ出た。
思った以上に脆い。
……へぇ、痛がるんだな。
足運びを見れば一目瞭然だ。
戦士の正面突破じゃない。
魔術師みたいに詠唱で時間を稼ぐわけでもない
これは、暗殺者の部類だ。
俺は剣を払いつつ、次の一手を探る。
偽物だろうが、仲間の顔を借りた怪物だろうが、二度とあの気色悪い笑みを浮かべさせはしねぇ。
それに――その顔はもう見飽きた。
いちいち人の形を真似して、信仰だの使命だのほざきながら、最後は同じように笑う。
狂信者の低い姿勢から、短剣による刺突が迫る。
……どうせ、毒が塗ってあるんだろ。
俺は一歩、体をひねって避ける。
そのまま反転。 握った剣が半月を描く。
ぶつり。
首が飛んだ。
どさり、と狂信者が、地面に崩れ落ちる。
だが、倒れた死体が、微かに蠢いた。
心臓の鼓動みたいに、脈打つように全身が震えている。
斬り飛ばしたはずの首の傷口に、黒い影がぞわぞわと集まってきた。
虫だ。いや、虫の形をした何か。
無数の脚が、肉の隙間を蠢いている。
「ああ、それも知ってる」
吐き捨てる声は自然と低くなった。
見慣れすぎて、嫌でも覚えてしまった光景だ。
「霧の魔女直伝だ……灰も残さねぇぞ」
俺は短く息を吐いて、詠唱を紡ぐ。
普段なら冗談混じりに茶化す俺だが、こればかりは遊びじゃ済まない。
噛み間違えれば、俺ごと焼かれて終わりだ。
古き言葉が紡がれるとき、火の王は門をそっと開く。
「掛けまくも畏き、火の底に鎮まり給ふ冥き王よ。今ここに、我が身我が言もて、門を開き奉らん。焔の御名を称へ、灰燼の冠を掲げ、すべての罪穢を焼き尽くし給え。いざや、地の奥より出でませ、死の業火よ」
詠唱を終えた瞬間、林が息を潜めた。
葉擦れの音が消え、鳥も虫も声をなくす。
そして――地の底から、低い唸りが這い上がってくる。
風が逆流し、空気がきしむ。
その圧が限界に達した瞬間、掌から炎が噴き上がった。
黒い炎。
闇が燃え、光を呑み、熱だけを撒き散らす異質の火。
黒炎は土を焼き、石を溶かし、地面をガラスのように変えていく。
蠢いていた影は一瞬で飲み込まれ、虫の形をした何かは声をあげる暇もなく崩れ去った。
護りを張っている俺だけは、焼けることはない。
術の結界内にいる限り、黒炎は処すべきものにしか牙を立てないからだ。
やがて黒炎が収まった。
残ったのは黒く平らなまだらだけ。
死体も虫も、何もかも灰どころか痕跡すら残さない。
「……終わりだ」
声に出したのは確認のため。
俺自身に言い聞かせるためでもある。
◇ ◆ ◇
狂信者はぶっ潰した。これで一件落着……って言いたいとこだが、どうにも胸のつかえは取れない。
見りゃわかる。あいつはナックの姿を幻術で偽装してたんだろう。
首を刎ねたあとに元の顔に戻ってたし。最後の顔が気味の悪いニヤケ顔だったのは、まぁどうでもいい。
で、問題はここからだ。
単なる見た目コピーじゃなくて、魔力の波長までナックに合わせてた。
おかげで俺だって一瞬、信じかけたぐらいだ。
波長を合わせるってことは――本物のナックは生きてるってことだ。
じゃあ、どこに。
本物のナックは今どこで生きてる?
ナックの姿をしていたのは、単なる嫌がらせか?
いや、違うな。あいつらにそんなユーモアはねぇ。
じゃあ目的は――ギルドに潜入するためか?
調査員の顔を騙って、好き放題やるつもりだった……?
なら、ここにいた理由は何だ。
ナックと出会う前に、やつらがした行動はなんだ?
廃村をうろついてたのか、誰かを探してたのか。
それとも最初から俺を待っていたのか。
……どれにしてもロクな答えじゃねぇな。
ナックは廃村でリースに会っている。
狂信者は――偶然ナックに出会った? そんなタチじゃねぇ。
たぶん、リースの監視だな。
もしかしたら、なかなか暴走しないリースを観察していたのかもしれねぇ。
異端の村の残りが、監視役に回っててもおかしくはない。
そうなると――俺が廃村にいた時、あいつらが見ていた可能性がある。
ナックが桟橋で待っていた。これが鍵だ。
バカ正直に待つ理由なんざ、ひとつだろ。
つまり、俺狙いだ。
問題は、どのタイミングで俺の行き先を嗅ぎつけたか、だな
廃村を監視してたなら、間違いなくリースの件を解決した後だろう。
ナックの性格を考えれば、夜に動くなんてありえない。
あいつは暗がりじゃ腰が抜けるタイプだ。
ってことは、リースの件を片付けたあとから、俺が漁村に向かうまでの間に――ナックは入れ替わった。
夜中に漁村の人間が、桟橋でナックを見ることはないだろう。
となると――入れ替わりは朝までの間だ。
俺が漁村に来る前に、もうとっくにすり替わってたってわけだ。
なら、距離を考えると……本物のナックは、漁村のどこかにいる可能性が高い。
◇ ◆ ◇
再び漁村に戻ってきた。
ついさっきまで狂信者と斬り合ってたのに、今度は漁師のおっちゃんに再インタビューだ。俺の人生、ハードワークにもほどがある。
「すみませ~ん」
「ん? あれ? また、あんたか。どうしたんだ?」
「桟橋にいた調査員って、昨日の夜もいました?」
「いや、夜はわかんないな。俺は家の中にいたし」
「そうですか。ありがとうございます」
他にも数人に聞いてみたが、どれも同じような内容だった。
つまり――夜中に桟橋でナックを見た人間は、やっぱり一人もいないってことだ。
だがまぁ、おかげで確信は深まった。
本物のナックは、この漁村のどこかにいる。
魔力感知を発動――。
……駄目だな。人が多すぎてノイズまみれだ。
漁村みたいな人混みじゃ、特定の魔力なんて探せるわけがねぇ。
何かナックの持ち物でもあれば、そこから痕跡を辿れるんだが――。
……ん? 見覚えのある釣竿が立てかけてあるじゃねぇか。
ナックの魔力と、さっき斬った狂信者の魔力。
どっちも、もう薄れてやがる。
けど狂信者はもういない。
導く先は、ナックだけのはずだ。
あ~、疲れんなこれ。
……で、示した先は――あっちか。
漁村の外れに、ポツンと建ってる小屋だ。
「すみません。あそこにある小屋ってなんですか?」
「ん? あそこは漁に使う道具が保管してあるけど……ほとんど物置小屋みたいなもんだな」
「見てもいいですか?」
「……別にかまわないけど、珍しい物なんてないぞ」
よし、許可は出た。
こういうのは無許可で突っ込むと、あとでトラブルの元になるんだよな……経験談だ。
さて――なにがあるのか、ご対面といこうか。
ここまで来て、待ち伏せはシャレになんねぇ。
さぁ、中に何人いる? 聴覚強化。
妙に落ち着いた心音がひとつ。ナックか?
ドアを慎重に開ける。
ギィ、と耳障りな音が響いた。
中は薄暗い。網やブイ、古びた漁具が壁に立てかけられている。
埃っぽい匂いと、潮に混じった生臭さが鼻についた。
魔力感知――っと。
……お、反応アリだな。あの辺か。
樽をどかしていくと――床下収納? いやらしい隠し方してんな。
それにしても、変な魔力だ。発生源は……この四隅か。
くず魔石で撹乱してやがったな。
チッ、安っぽい手口だ。
ガキィン、と魔石を叩き割ると、空気が一気に澄んだ。
床板を外すと、そこにあったのは――猿ぐつわをされ、両手両足を縛られたナックだった。
……で、当の本人はスヤスヤ夢の中。
「お前、その状態でよく寝れるな」
呆れつつ引っ張り出し、縄を解いてやる。
なるほどな。さっきの変な魔力は、睡眠暗示か。
だからこの馬鹿も気持ちよく昼寝してたわけだ。
「おい、ナック」
……起きねぇ。
「ナック、課長が呼んでるぞ」
「んぁ? 呼ばせと……けよ」
この野郎……。
「馬鹿ナック、カエデが怒ってるぞ」
「うぅ~……」
「鼻垂れナック、テッタが探してたぞ」
「んぁ? どこだ? テッタか……そうか」
夢の中でも仲間を探してんのかよ、このバカ。
掌をかざして、水魔法をちょろちょろ顔にかけてやる。
……食らいやがれ。
ジョボボボォォォ~。
「んんん~。な……や、やめ」
「おはよう。ナック」
「ん? なんだ。アルじゃないか」
顔をずぶ濡れにして、間抜け面のナックがようやく目を覚ました。
「目覚めたか?」
目をぱちくりさせて、きょろきょろ辺りを見回すナック。
……あ~、すげぇ馬鹿っぽいなこいつ。
「ん~……アルか?」
「見てわかんねぇのか。ついに目まで馬鹿になったか」
はっとした表情でナックが身を乗り出す。
「アル、大変だ!」
はいはい。ようやく、いつものお前だ。
「山道の中腹にある廃村ってわかるか?」
「ああ」
「あそこにラヴァナイトがいたんだよ」
「へぇ~」
「でな、ヤバかったからやり過ごそうとしたんだけど……」
「聖水振りかけて、ビビッてベッドの下に潜ったと……」
この慌てっぷり。
俺がなんでお前の行動を知ってるのかなんて、微塵も気にしてない。
「でも、見つかっちまってさ、腕輪を壊してくれって頼まれちゃって」
「それで?」
「色々、探したんだけどな……見つからなくて。でよ、日記見つけたんだ」
「ほぉ~」
「あのラヴァナイトって可哀そうな奴でさ……その恋人がラスって奴らしいんだ」
ほらな。
これがナックだ。馬鹿の権化。
「で、村長の息子を探しに漁村に来たと?」
「そうなんだよ……あれ? なんで知ってんだ?」
「ああ、もう腕輪は見つかったし、ラスはここにいねぇよ」
ナックはしょんぼり顔で伏せた。
「ラスはいないのか……会わせてやりたかったのになぁ……」
「リースはもう解放されたよ」
その一言で、こいつの顔がぱっと明るくなる。
「そっか……そっかぁ……」
……なんでお前が泣いてんだよ。
「で、なんでアルが知ってんだ?」
こいつ、ほんっとに、どうしようもねぇな。
しょうがねぇから、かいつまんで説明してやった。
「さすがアルだな! じゃぁ、街道の青白い光も解決だな」
「お前は、何もしてないけどな」
……まぁ、これがいつものナック。
俺の知っている――愛すべき馬鹿ってやつだ。
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