第98話 四正天のマルス
ところ変わって、イゾウたちが向かった先だった。流れが緩やかな川辺にたどり着き、一行ははしゃいでいた。
「おお! いいな! 川があるじゃん! へへっ! なんか好きなんだよね」
「塔の中に川があるなんて不思議だよな。確か第1階層にもなかったっけか? 第2階層には噴水もあった。水場があるのってさ。ほんと助かるよな」
ヤマジとタクミが話し合っている。水を補充できるのは探索者にとって喜ばしいことではある。
「水があるからって安心はできないけどね。お腹壊したら仕方ないし。ここの水を使うのは最終手段で。ま、前に調べた時は大丈夫だったけど。むしろ・・・」
「清潔で、濁りも少ない。ちゃんと煮沸すれば、飲料にも使えるくらいに」
「!! 誰だ」
サトシの言葉を遮られ、全員が瞬時に武器を構えた。
「当会にも水魔法の使い手がいてね。調査した結果、問題がないことが分かった。ほら。キラキラしているだろう。澄んではいるが魚が住めないこともない。ここで魚を補充したこともある」
どこか自慢げに語るその人物を、探索者のなかで知らない人は少数なのではないだろうか。
最強の探索者の一人、正同命会のマルスだった。
「何で、あなたが? あなたは次の階層を攻略しているのではないの!?」
「少し気になることがあってね。それよりも植草先生は探索に戻ってきたのですね」
イゾウは腕を組み。顎をいじっている。上空に目を向けた後、にやりと笑ってマルスに語り掛けた。
「まあ、おいおいの。これだけに集中する気はないが、少しずつ歩みを進めねばと思っての」
「少しずつ、というのは気になりますが、あなたが戻ってきたのなら歓迎しますよ。やはりあなたがいないと張り合いがない。街の人たちは塔を攻略するのを今か今かと待ち望んでいるわけですからね。まあ、次の階層も我々が取りますけどね」
お互いに笑い合った。正同命会にとってイゾウの復帰は警戒すべきもののはずだった。それなのにマルスは本気で喜んでいるように微笑んでいた。
「それにしても、まさかこんなところで会うとはの。確かボスエリアはこちらには関係がなかったはずだが?」
「いえね。第4階層にもあったんですよ。こうした水場ってやつがね。気になってここを見に来たわけです。この後、第1階層の水場にも寄ってみるつもりです」
比較的あっさりと教えてくれて、サナは怪訝な顔になった。
「ふうん。正同命会にとってはイゾウさんがいないほうがいいのではなくて? トップを独占できるわけだし」
「ふふふ。まだ初攻略を果たしていない魔線組のあなたにはそう思えるかもしれませんね。焦っているのかな? 組織に関係なく、全員で攻略を目指すほうが都合がいいのですよ。情報だって与えましょう。トップに立ったことがないあなたたちに理解できるかは分からないですけどね」
魔線組のサナと正同命会のマルスは、やはり敵対関係にあるようだ。2人が見えない火花をぶつけ合う中、コロがのほほんとした様子で口をはさんだ。
「確かに、気になったことはありますね。この塔にはいくつもの水場がありますが、その水というのはどこから来たのか。かなり澄んだ水なんですよね。日に日に水質が変わっている。しかも上層のほうがおいしい水が流れている気がします」
「ほう! さすが料理人のコロさん! 分かりますか!」
急に声のトーンが変わったマルスに、サナが眉を顰めた。
「そうなんです! 水質が日に日に変わっているんです! その上、上層になるほど水が澄んでいくなんて、不思議ですよねぇ! 気になりますよね? 私は思うのですけど、最初はダンジョン内でのみ、水が循環する仕組みだったのではないかと思います。それがいつしかどこかの水源とつながって、きれいで済んだ水が循環するようになった。それが証拠に、街にある井戸の地下水と上層の水が非常に似通っている。つまり、いつしかダンジョン内の水ではなく、この世界にある水場から、直接水が流れるようになったのです!」
早口でしゃべりだすマルスに、サナもサトシも、あのイゾウすらもあっけにとられてしまう。
「私は思うのですけどね。水がおいしいと感じるのは含まれている魔力にあると思うんです。そう! アビリティやスキルの燃料になる、あの魔力です! この世界は魔力にあふれていますが、地中よりも何よりも、水の中に溶け込んでいるものの量が多い気がします。これは・・・」
「えっと、マルスさん?」
コロが手を伸ばしたタイミングだった。2人は同時に動き出した。コロはサナをかばうように前に立ちはだかり、そんなコロに向けてマルスが手をかざした。
「くっ! 何を!!」
瞬時に、上から何かが突っ込んできた。鳥のような何かは、コロの背中に向かって一直線に急降下してくる。
立ちすくむサナと、手を伸ばして全身でかばおうとするコロ。マルスが放った鳥はコロにぶつかる寸前・・・。
そのまま、羽毛を飛び散らせて破裂した!
サナをかばったコロに血肉が飛び散る中、素早く大剣を振り回す。金属音とともに、二つに分かれた何かが、サナの横を通り過ぎていく。そして両脇から響く、2つの爆発音。後ろで爆発したそれを見て、コロが弾を切り裂いたのが分かった。
「な、何が・・・!!」
「く! ミオとトア? 何を考えている! 失礼します!」
駆けだしていくマルスに、誰も反応できない。懐から出した小さな棒が一瞬で巨大化し、ランスを形作った。それを構えて走り出すマルスを、一同はあっけに取られて見送ってしまう。コロの荒い息だけが響いた。
◆◆◆◆
「コロ。見事だった。しかし、マルスの奴の驚きは本物のように感じたの」
マルスが去ったほうを見ながらイゾウはコロに近づいていく。その手は腰の刀に添えられたままだった。
「へ? あ? へ?」
「急襲されたのよ。おそらく、正同命会のマルス以外のパーティーメンバーにの。それにしても、ライフルにバズーカだと? ワシらはファンタジーとやらの世界に転移したのではなかったのか。まるでゴーレム・・・。そうか。あれからドロップしたのか」
つぶやくイゾウに、サトシたちはやっと事態を理解した。
「あ、ああ・・・。そういうこと、か。サナさんが狙撃されそうになって、コロさんがかばいに動いて。で、追撃のように撃ち込まれた弾をコロさんが剣でまっぷたつにした、と」
「ひょええええええ! 全然気づかなかった! え? 今狙撃されてたの? しかも追撃もあった? いや、全然分かんなかった! 俺、探索係として同行しているのに・・・」
事態を解説するタクミに、ヤマジは今更ながら震え上がった。サトシも悔しそうに唇を引き結んでいる。
「まあ、こんな感じだな。そこで待っていてもワシらは隙を見せるつもりなどない。のお!」
イゾウが大声を上げた。びくりとしてタクミはイゾウの視線を追った。その先には、茂みがあった。何もないように見えたが、そこから2体の魔物がおずおずと飛び出してきた。
それは、赤いキツネのような獣人と、トカゲのようないかつい鱗を生やした怪物だった。
「フェイルーン!! こんなところに潜んでいたのか!!」
タクミが思わずと言った具合に叫び出した。その声に、赤いキツネのようなフェイルーンがおずおずと手を伸ばしてきた。
しばし、そのフェイルーンとタクミが見つめ合った。
「くぅぅん・・・・」
小さな鳴き声を上げたフェイルーンを、タクミは睨みつけたままだった。やがてフェイルーンは下を向くと、もう一体のフェイルーンに肩を抱かれながら、そのまま後ろに下がっていく。最後にタクミを寂しそうに振り返り、そのまま奥へと消えていった。
「ったく。フェイルーンがこの階層にも表れるなんてな。なあ。タクミ? タクミ!!」
「へっ?」
ヤマジに声を掛けられたタクミは、自分が涙を流していることに気づいた。
「お、お前・・・。どうした? なんかあったか?」
「え、いや、あの・・・。あれ? 俺、なんで泣いているんだ?」
タクミは茫然と顔をぬぐうが、涙は止まることなく流れ続けた。そんな彼を心配そうに見ながら、ヤマジは背中をさすり続けた。
◆◆◆◆
「タクミくん。どうしたんですかね? あのフェイルーンに、何かされたわけではないようですが」
心配そうに声をかけるコロに、サナがそっと頭を下げた。
「コロさん。ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いえいえ。たまたまですよ。でも、怪我がないようでよかった」
コロは優しく微笑むと、マルスが去ったほうを見つめた。
「しかし、正同命会に襲われるとは。マルスさんとは結構ちゃんと会話できたと思ったんですけどねぇ」
「もしかしたら、メンバーの暴走かもしれませんね。マルスのヤツ、ミオとトアって言ってたから、彼女たちが私を狙ったのかも」
サナは腕を組んで虚空を睨んでいた。
「ミオとトアというのはおそらくアキミの幼馴染の子だと思います。あの子、言っていたんです。3人でFPSのゲームをやっていたって。たしか、トアって子のほうがライフルを使っていて、ミオって子がバズーカとか重火器を使っているって話だった」
「ふむ・・・。今回の襲撃犯と一致しますねぇ」
のんびりと答えるコロに対し、サナはどこか真剣に目を細めていた。
「2人と喧嘩別れしたって言ってて、仲直りしたいってアキミは言っていたけど、私は無理じゃないかなって思っている。分かるんです。あの2人が、アキミを本気で疎んでいるのが。だって私も同じだから」
吐き捨てるように言うサナに、コロは目を丸くした。
「あの子はどこか能天気で、考えなしだけど心から人を信じている。私みたいな人間には本気で理解できないことがある。どうして、そんなふうに人を信じられるんだって。どうして、もっと疑わないんだって。馬鹿じゃないの、って思うことだってある」
そこまで行って、サナははっとしたようにコロをみつめた。
「す、すいません。私ったらなにをいっているんだろ? 命が助かって油断したのかな?」
「いえいえ。大丈夫ですよ。そろそろ行きましょうか」
そう言ってコロはサナを促した。サナはバツが悪そうにころに続いていく。
「サナさん。僕は接客業としていろいろな人を見てきました。前は朗らかに笑う感じのいい人だったのに、あくどいことばかりして人を人と思わぬようになった人もいた。反対に、前は悪いことばかりしていたけど、改心した人も見かけました。人間は、やっぱり難しい。今の姿を見ただけでは本質なんてわからないですから」
「コロさん・・・」
不安げな顔で見上げるサナに、コロは笑いかけた。
「本質が違うと理解した上で、それでも今の姿を見て判断することが大切だと思うんです。僕が知る限り、サナさんはしっかりとアキミさんを気にかけている。しっかり見て、それで必要な言葉を掛けてあげたりしている。なら、それでいいんじゃないかなと。人の本質なんて、本人すらもわからないものですから」
不安そうな顔をするサナに、コロは胸を叩いてみせた。
「それでも吐き出したくなったら、お酒でも飲みながら僕のような人に愚痴ったらいいんです。飲んで愚痴って、それで明日からちゃんとすれはいい。いつでも言ってください。サナさんならいつでも歓迎しますよ」
サナはあっけにとられたようにコロを見ると、優しく微笑んで見せた。
「はい。つらくなったら迷わず愚痴りに行きます。その時は、お願いしますね」




