第90話 アゲハとウェヌス
「なあ。ここはやばいって。今の正同命会の評価、最悪なのは知ってるんだろう?」
「無理についてこなくてもいいですよ。トゥルスさんには関係のないことですから。部下まで呼びつけて完全武装で来るなんて。かえって目立つじゃないですか」
声を掛けてくるトゥルスにまるで取り合わないウェヌスだった。スラムに向かおうとしたウェヌスを、トゥルスが何とか止めようとしたのだ。彼女の意志が固いと知ると強引に同行してきた。
トゥルスとしてはまだ若いウェヌスがトラブルに巻き込まれないようにとの申し出だったが、ウェヌスは正直迷惑そうだった。
「聞いてるだろう? 最近はこっちにも外人が入ってきたって話をさ。ここから魔線組に合流する奴も増えている。俺たち正同命会を敵視する奴も多いんだ。マルスの奴も心配している。ここはあきらめて・・・」
「正同命会の奴らか! ここに何の用だ!」
話の途中で呼び止められてトゥルスは思わず首をすくめた。彼のパーティーメンバーにも緊張が走った。街を自主的に守る守衛に呼び止められたのだ。
「お疲れ様です。お仕事、頑張っていますね」
「ん? 誰かと思ったらウェヌスじゃないか。炊き出しか? いつもありがとな」
守衛とウェヌスが気安く会話していた。簡単に事情を説明し、それに笑顔で答える守衛。2人が会話する様子を見てトゥルスとそのパーティーメンバーはあっけにとられてしまう。
「私は炊き出しとかでたびたびお邪魔しているんで、ある程度は顔が聞くんです。それよりも、トゥルスさんこそあんまり離れないでくださいね。あの分だと、正同命会は相当嫌われているみたいですから」
「お、おう・・・」
説明するウェヌスに気まずい思いをしたのだった。
しばらく無言で歩いていた。ウェヌスを守るつもりで同行したが、反対に助けられてしまった。正直、かなりバツが悪い。でもやっぱり気になって、トゥルスはウェヌスに話を聞くことにした。
「えっと・・・。ウェヌスはこっちに何か用なのか?」
「ある人にある物を渡さなきゃいけないんです。私にとっては恩人からの依頼で、何としても成し遂げなくてはならなくて。トゥルスさんは大丈夫だと思いますが、邪魔はしないでくださいね」
迷わず進んでいくウェヌスに圧倒されてしまうトゥルスたちだった。
やがてウェヌスたちは住宅地に着いた。薄汚れていて汚くて、人がようやく住めるような場所。ウェヌスは何度もメモを確認しながら進んでいく。
「おい。ここはスラムの中でも特に貧しいやつが住むところだろう? こんなところにようだってのか」
「メモによれば、ここに住んでいるのは間違いないみたいです」
ウェヌスは立ち止った。目の前には立て付けの悪そうな扉があった。家もなんだか薄汚れている。ここに住んでいる人物をイメージして、トゥルスは渋面で頭を掻いた。
ウェヌスがノックをした。人が出てくる様子はない。時間をおいてさらに強く扉を叩いた。それを何度か繰り返していたら、唐突に扉が開けられた。
「うるさい! 人が寝ているのに、何の用だっての!」
「えっと・・・。アゲハは、こんなとこに住んでいたんだね」
出てきた人物を見て、トゥルスたちは驚きを隠せなかった。不機嫌そうに立っているその人物が、こんなところに似合わないくらいの美少女だったから。
耳の上に生えたコウモリの羽があるのは第2形態か、第1形態だからか。まるで小悪魔のコスプレをしているように見えるが、それが気にならないくらい似合っていた。透き通るような白い肌と整った容貌は、芸能人だと言われても信じてしまうだろう。
圧倒されるような思いで彼女を見つめていたがすぐに不安が走った。その少女がトゥルスを見て鼻をつまんだのだ。
「うわっ! くさっ! 臭う! ちょっと! うちに入ってこないで!」
「アゲハ! トゥルスさんすみません。アゲハ、いつもこうなんです」
頭を下げるウェヌスに慌てて頷くトゥルスだった。2人は年が同じくらいの2人はどうやら知り合いらしい。
「くさいなんて言われたことないんだが? これでも匂いには気を使っているつもりだし」
「香水とかそう言う問題じゃない! 存在自体が臭いのよ! あんた、塔であれ使ってたくさん魔物を倒してきたんでしょ? ほんとくっさい! ウェヌスはましになっているのに、あんたは臭いなんて台無しじゃない!」
ひどいことを言われ、絶句するトゥルスだった。彼のパーティーメンバーは怒り心頭だ。こちらが強引に押し掛けたとはいえ、ここまでの暴言を言われるとは思わなかった。
ウェヌスも焦ったのか、さっさと用を済ませることにしたようだった。
「トゥルスさん、すみません。アゲハ! これ、お届け物だから」
「へ? 私にお届け物? あんたからの貢物? まあもらうけど」
ぶつぶつ言いながらも袋を開けるアゲハにいらだつパーティ―メンバー。しかし、袋の中身を見て絶句してしまう。
そこに現れたのは2振りのナイフだった。
片方は赤で、もう一方は青。薄く輝いた2振りのナイフは、トゥルスから見ても高級品だということが察せられた。
アゲハはナイフを見て顔をしかめた。
「アンタが、みっちゃんからの使者かぁ。これでオリジンを鍛えろってこと? めんどくさ。でもやるけど! お兄さんに負けたままなんて最悪だし!」
「ちょっと待て! 今、オリジンって言わなかったか?」
トゥルスは思わず呼び止めていた。詰め寄るトゥルスに、アゲハは鼻をつまみながら下がった。
「ちょっと! 勝手に入らないで! くさい! くさいから!」
「す、すまない。部屋に入っちまった。俺としたことがよ」
慌てて離れたトゥルスは見てしまった。アゲハの部屋に無数のトンボがいて、それがごみをかたずけているのを。トンボが掃除しているからか、アゲハの部屋はスラムでは考えられないくらい整頓されていた。
「今のはケンジが悪い! まだ若い少女の部屋に無断で入るなんて! でもお嬢ちゃんも悪いんだぜ? 大人の男にくさいなんていうのは。おじさんとしては傷つくよな? でも、会でも指折りのアビリティの使い手で、伊達男で鳴らしたお前がこんなふうに言われるとはな」
爆笑したのはトゥルスのパーティーメンバーだった。デラと呼ばれている彼はパーティーの盾役として活躍している男だが、口が悪い。今も暴言を吐かれたトゥルスが面白くてたまらない様子だが・・・。
「アビリティの名手? やっぱり。だからこんなに臭いんだね」
「!! おい! 今、なんつった・・・」
トゥルスは最後まで言えなかった。いつの間にかアゲハがそばにいて、考えられない力で袖を握っていたのだ。
「お、おい・・・。なにを」
「くさいのよ。あんたたち。今まで感じたことないくらいにね。はっきり言って迷惑だけど、放っておくとみっちゃんもウェヌスもうるさそう。だから特別だからね」
そして、少女の手から衝撃が走った。まるで電撃を流されたたような感触に、トゥルスは思わず尻もちをついた。呆然とするトゥルスの目に入ったのは、仲間たちに次々と電撃のようなものを浴びせるアゲハの姿だった。
「な、なにが・・・」
トゥルスは茫然としていた。少女が仲間たちに次々と攻撃しているからでも、ウェネスが目を見開いているからでもない。
視界が、変わったのだ。襲撃された仲間たちの身体から、オーラのようなものが放出されていたのだ。呆然としているトゥルス自身の手からも、何かが流れていることが分かった。
「な、なんだ、これ・・・」
「魔力よ。アビリティなんかを使うとき、消費するでしょう? オリジンに目覚めるとそれが見えるようになるらしいわ。それを鍛えて、ちょっとはそのにおいをなんとかしなさい!」
そう言うと、扉をばたんと閉められた。
トゥルスとパーティーメンバーは、呆然とその扉を見ることしかできなかった。
◆◆◆◆
「すみません! アゲハの奴、勝手にこんなことするとは思わなくて。私の時は希望する人にしかオリジンが与えられなかったのに。まさか強引に魔力を流すなんて」
「いや・・・。俺もこいつらもオリジンには興味があったからよ。さすがに魔線組につてはねえから半分あきらめてたんだ。まさか、こんな形でオリジンを習得できるとはよ」
トゥルスはそう言ったが、気になることはあった。
「なあ。お前には見えたか? あのアゲハって子が、俺たちに魔力を流したときの動きが。俺は全然わからなかった。気づいたら側にいて、魔力を流されてた。目的がオリジンを目覚めさせることだったからよかったものの、もしあの子の目的がこっちの命だったら」
おそらく、トゥルスたちはここにいない。あのナイフで首を裂かれ、気づかぬままに死んでいただろう。
「私にもわからなかったですよ。アゲハがいつの間に動いたのかなんて。あれが、オリジンを鍛えた成果らしいです。私も見ました。私を目覚めさせてくれた恩人が、少ない魔力で次々とスケルトンを倒していたのを」
トゥルスは静かにうつむいた。
「オリジンには今まで分かっているだけで3つの使い方があります。まず、アゲハがやったような身体強化です。効果は皆さんも体験しましたよね? 鍛えれば素早く動いたり力を強くしたりできるそうです。しかも、スキルと違って傍から見たら強化したかどうかも分からなくもできる。もう一つはアビリティやスキルを模倣すること。さすがに本物には及ばないようですが、それでも相当の威力が出せるようになるらしいです。そして、最後が生物を作り出すこと」
「ああ。あのアゲハって子が作り出していたトンボだな」
ウェヌスはきょとんとした。
「あの子の部屋が目に入ったときさ。見たんだよ。何匹ものトンボがあの子の部屋を掃除しているのを。あれは彼女がオリジンを使っていたんだな。部屋はものすごくきれいになっていて、ああいうこともできるんだって感心したよ」
「トゥルス・・・。感心しないわね。女の子の部屋をのぞくだなんて」
パーティーメンバーの一人に言われてトゥルスは慌ててしまう。風魔法が得意な彼女は日本で中学校の教師をしていたらしく、児童に接する際は厳しいのだ。
「た、たまたまだって! たまたま目に入っただけだから! それよりも、もっと話を聞きたいな。オリジンの鍛え方とか成果とかよ。どれだけ上がったか、スマホでは確認できないんだよな?」
「そうですね。私も鍛えているけど、成果のほどは全然です。虫だけじゃなくて、ハトとか猿とか猫も作り出せるそうですが」
ウェヌスは落ち込んだように肩を落とした。
「やっぱりもっと話を聞きたいな。クレア。聞き出せそうか?」
「あの年ごろの女の子は難しいのよ。特にあの子はめんどくさそうな性格しているみたいだし。うまく行くかは運しだい。それでもやってみる?」
「えっと、さすがにアゲハに迷惑をかけることは」
ウェヌスにまで避難されてトゥルスは考え込んだ。
「そうだな。あんまり構いすぎて嫌われちまったら元も子もないわな。しばらくは個別にオリジンを鍛えるとしようか。そしてある程度様になったら見てもらおう。あの子なら、匂いでオリジンの習得具合が分かるだろうし」
アゲハはウェヌスを「少しはましになった」と言っていた。たぶん彼女は察せられるのだ。オリジンの習得具合とアビリティの練度を、匂いで。
「これはもう一度彼女に話を聞けるようにしないとな。しばらくは修行か。マルスに任せるのは申し訳ないし、ネプトゥにはうるさく言われちまうだろうけどな」
「本当に、あんまり迷惑をかけないでくださいね。あいつ、怒らせるとうるさいんだから」
やる気になったトゥルスをウェヌスは慌てて諫めるのだった。




