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第89話 初勝利と疑問の答え

 アオの世界の中で、短刀を構えたアゲハと向き合っていた。


 あの後、当然のようにこの世界に引き込まれたのだが、ミツにアゲハと戦うように言われたのだ。


「お兄さん。なんだかいつもと違うね」

「俺もいろいろあって経験を積んだからね。少しはできるようになったさ」

「でははじめ」


 会話の途中だというのに唐突にミツが始まりを宣言した。


 そうして始まった試合だが――。アオは動かなかった。いつもは真っ先に動き出すアオは、静かにアゲハを観察していた。


「お兄さん?」

「色々あったっていっただろう? すぐに飛び込んでもそのナイフの餌食だろうし」


 そう答えたアオは、動かない。牽制するようにアゲハが動くが、アオは微動だにしなかった。ただ、アゲハに隙が出るのを待っていた。


「くっ! やりづらい!」


 アゲハが滑るような足取りでアオに近づいてくる。彼女が間合いに入ってきてもアオは動かなかった。


 多分、まだ当たらない。当たるのは、おそらくアゲハが攻撃に入る、その瞬間だ。


 アゲハのスピードが増す。気配を消したそのままにアオの背後に回る。


 アゲハがナイフを振り上げた。鋭い横薙ぎの一撃が、アオの分厚い毛皮をあっさりと切り裂いた。


 だけど、アオに動揺はない。切り裂かれたのに、血が流れているのに、ただ無表情でアゲハを見下ろしていた。


「なに? やせ我慢? その無表情、なんかムカつくんだけど」

「・・・」


 アゲハの嘲笑に、しかしアオは答えない。アゲハは舌打ちして睨みつけるが、アオは静かに拳を固めたままだった。


「ほら! ほらほら!」


 アゲハの連撃がアオを襲う。腕に、胸に、わき腹に、ナイフが振るわれるたび傷を負っていくが、それでもアオは動かなかった。


「くっ! なんで!」


 アゲハが一歩踏み出してくる。その動きを待っていたかのように、ついにアオは右ストレートをほおり込んだ。


 だが・・・。


「はっ! やっと動いた!!」


 すべるように拳を躱し、お返しとばかりにナイフを振るう。わき腹から血が噴き出す。アゲハはにやりと笑うが、アオの表情は変わらぬままだった。


「やっぱり、そうか。悪いけど、アゲハの力じゃあ、俺は倒せない」

「!! 当てることもできないくせに!!」


 怒りに任せてさらに連撃を振るう。アオはますます血まみれになるが、無表情を崩さないままだった。


「はっ! 余裕ぶったって、当てられないままじゃない!!」

「おおおおおおお!」


 何度目かの攻撃に合わせて攻撃を放つ。決して大ぶりにはならない、当てることを重視した攻撃だった。ナイフの攻撃で幾何にも威力を落とした攻撃は、それでもアゲハにたたらを踏ませた。


「!! でも、こんな軽い攻撃くらいで!!」

「でも、捕らえた。このまま続ければ、だろう?」


 虎の嘲笑を浴びたアゲハは、唇をかみしめた。ミツが心底楽しそうに笑っている。


「前にミツが言っていたんだ。強くなりたければイゾウさんに学べってさ。でも、やっぱり何年も修行してきたイゾウさんには敵わない。コロさんにだって手も足も出ないだろうさ。でも、俺は虎人間だ。虎の力と人間の技術を使えば、あの人たちにだって届く」

「ふざ・・けるな!!」


 アゲハはむきになったようにナイフを振り回してきた。アオはまたもや傷だらけになるが・・・。


「そこだ!!」


 タイミングを合わせた拳に、アゲハの連撃は止められてしまう。


 攻撃は、アゲハのほうが速い。アオが拳を一撃振るうあいだにアゲハはナイフを3振りも放つことができるだろう。


 だけど・・・。


「がああああああ!!」

「くっ! なんで!?」


 ダメージの違いは明らかだった。アゲハがナイフを何発振るおうとも、アオが一撃を放つたびにアゲハが吹き飛ばされる。


「くっ! このっ! これで!!」

「があああ! があああ! がああああああ!」


 次第にアゲハは押されていく。手数はアゲハのほうが何倍も多いのに、明らかに押されていったのだ。


「くっ! なんで!!」

「がああああああああ!!!!」


 ついにアゲハは防戦一方になってしまう。何とか拳を避けようとするが、ついには拳がガードを崩し始めて・・・。


「!!!!」


 ついには、拳がアゲハの顔を捕らえた。拳は顔面を破壊する寸前で止まったが、勝負の行方は明らかだった。


 アオが寸止めしなければ、右拳はアゲハの顔をつぶしていただろう。


「それまで」


 ミツが制止の声をかけた。アゲハは茫然と目を見開いている。


「やった・・・。勝った! アゲハに勝ったぞ!」


 両手を上げてガッツポーズをするアオを、アゲハは呆然と見つめていた。


「よし! アゲハに勝ったぞ! これから質問に答えてもらうからな!」

「待って! 今の、無効! 私がお兄さんに負けるわけがないじゃない! なんか反則されたに決まっている!」


 アゲハから物言いが入ってしまった。


「いや、どんな反則?」

「わかんないけど! 今まで私が勝ってたんでしょう! 一発もかすらせずに! なのに私が負けちゃうなんてありえない! こんなの無効!」


 駄々をこねるアゲハにあきれてしまう。


「アゲハに勝てたのはそれだけアオが成長したということだ。虎と人間の力を合わせたのは見事だった。大体、それまでがおかしかったんだ。アオは体格も大きいし、力も速さもある。今まで一撃も当てられず、アゲハに圧倒されていたことが異常だったんだ」

「でも!」


 ミツまでが説明するが、アゲハは言うことを聞かない。


「じゃあ、もう一度やってみるか? お前の動きを捕らえたアオに、もう勝ち目があるとは思えない。それよりも、お前の本分は接近戦じゃないだろう。これは自然の摂理で、仕方のないことなんだ」

「う、うわああああああん」


 ついには泣き出したアゲハに、アオは罪悪感を覚えてしまう。ミツもしょうがなしに溜息を吐くと、アゲハに向きなおった。


「今のままでは接近戦でアオに勝てないが、違う方向からアプローチすればアオにまた勝てるようになるかもしれんぞ」

「それはどういう方法?」


 ないた烏がもう笑っていた。現金なもので、アゲハはミツに食って掛かった。


「正面から戦ってもアオには勝てない。力もスピードも段違いだからな。だからもっとかく乱できるようにするしかない。今までは気配を消したり足取りを工夫することでペーズを乱していたが、それ以外の方法でもアオを幻惑すればいいんだ」

「おお! これまで以上に幻惑する方法があるんだね! それは何とも私好みの方法? 正面からやり合わずに影から仕留めるなんて最高じゃない!」


 ミツはにやりと笑うと、アゲハに指を突き付けた。


「やはりお前たちの本分はオリジンにある! アゲハはオリジンで新たな手段を作るんだ!」

「えっと、私が身に着けていないオリジンって言うと・・・。身体強化はいつも使っているし、トンボも出せるよね? アビリティもなんか出来るようになっているし。となると、スキルの模倣? 私、スキルが使えないんだけど?」


 変なことを言い出したアゲハに、アオは驚いてしまう。


「スキルを使えないってなに? 探索者ならスマホを使えばだれでも身に着けられるんじゃないの?」

「私のスマホ、最近壊れちゃって。通話とかは試してないからわからないけど、スキル取得画面に飛べなくなっちゃってて」


 アオは疑問に思った。みんなの話だとスマホを壊すことはできないはずだった。それなのにスキル取得画面に行かないようになるなんて。そんなことがあるのだろうか。


「それはな。アゲハの中にいる害鳥が妨害しているんだ。本来なら害鳥ごときがお前の邪魔をできないはずだがな。まったく、あの女と言い、実力がある害鳥は始末が悪い。お前のトンボを乗っ取ることなんてできないだろうし。つまりアゲハはスキルをコピーすることはできないということだな」

「そんな・・・。じゃあ、私はスキルを覚えることはできない!? お兄さんに勝つこともできなかったり?」


 顔を青ざめさせるアゲハに、ミツは笑いかけた。


「プランはあると言っただろう。コピーできるのは中にある魔物だけとは限らない。魔物がだめなら道具からコピーすればいいんだからな。そのための遣いは送った。アゲハは安心して待つといい」


 自信満々に語るミツを、アオとアゲハは茫然と見つめるのだった。



◆◆◆◆



「それで、俺の質問に答えてくれるんだろうな?」

「まあいいだろう。少しくらいなら質問に答えてやらんでもない。お前は約束を果たした。その褒美を与えるのも、私の役目だからな」


 ふんぞり返るミツだった。


 アオは緊張していた。知りたいことは山ほどある。でも、いろいろ聞いてもすぐにはぐらかされてしまうだろう。だから、一番疑問に思っていることを聞いてみた。


「なあ。俺は何なんだ? お前が俺を作ったってどういことだ? なんで俺は虎人間になっている?」

「そうだな。そろそろ教えておいてもいいころだろう。もともとのお前は、もともと私と合成された人間だった。魂を害鳥に取り込まれ、能力を使えるようにして害身体とするためのな」


 アオは頷いた。正直、そうだとは思ったのだ。この世界でミツに会って、なんとなく気づいていた。


「俺の、俺たちの身体を乗っ取ろうとした天族は?」

「殺した。偉そうに私を支配しようとするから容赦しなかった。そしてお前の魂を葬れば、私はこの世界でも生きていけるはずだったのだがな」


 ミツの回答に驚いたのはアゲハだった。


「ちょ、ちょっと待って! 私たちと合成された天族が滅んだらみっちゃんの魂にも影響があるんじゃないの? 世界に弾かれちゃうんでしょう? そんなことができるなら、私たちは囚われてなんかいないはず!」

「普通はそうだが。だが、私の能力ならそうなっても大丈夫なのさ。あいつらは私を過小評価していたようだがな。魂をうまく操れば世界から弾かれるのを押さえられる。まあ、私にしかできないことだがな」


 慌てているアゲハに対し、ミツはどこまでも冷静だった。冷静に、疑問に思ったことを伝えていた。


「お前の能力ってなんだよ」

「私の能力の一つは魂に干渉することさ。破壊するのはもちろん、吸収することもできるぞ。たとえ強靭な魂であっても喰らい、じっくりと消化することでわが物とすることができる。現にあのくそ蠅も、長い間胃の中で魂を溶かすことで私が自由に使えるようになった」


 ミツの言うことは半分くらいしかわからない。でも蠅とはあの死蠅のことで、それを扱う魔物をミツが食らって自分のものとしたことはなんとなくわかった。


「俺も、お前が喰らった魂と言うことか」

「いや、お前は・・・。そうではない。私が喰らったものではない」


 そう言うミツの顔は、どこか悔し気だった。


「覚えているか? あいつらはお前らの身体をベースに新たな器を作り、魂ごと乗っ取ることで、この世界で動ける身体を作ろうとしていると。つまりは加工前のお前らの身体も魂も、単体ではこの世界に存在できないということになる。魂立ができないお前らは、魂だけになったらすぐに存在できなくなるからな」

「それは・・・。確かに、そう言うことになるな」


 さすがのアオも肯定せざるを得なかった。


「ここにきて驚いた。こんなに心地よい世界の持ち主が存在するなんてな。ここは、いい。ここなら安心して眠れた。私がゆっくりと寝られるなんていつ以来のことだろうな。壊したくはなかった。この世界を。それにはお前の魂をこっちでも存在できるようにする必要があった」


 アオは思い出した。最初の夢のことを。確かにミツはそんなことを言っていた。


「お前がこの世界で生きていくためには、材料が必要だった。だから与えたんだ。私の魂の一部を。ちょうど、食らったドゥンの魂が消化され切っていなかったから、それをお前の魂と混ぜてな」

「お前が俺を虎人間にしたのは、俺の魂を守るためって言いたいのかよ」


 アオが睨むと、ミツはバツの悪そうな顔で視線を反らした。


「魂を守る、と言う気持ちはなかったな。私はあくまでこの世界を維持したいだけだった。それが結果的にお前の魂を守ることになった。そう言うわけだ」


 アオは思わず頭を掻きむしった。


 虎人間になったことにわだかまりがないわけじゃない。しゃべれもせず、人から化け物と呼ばれる体になったことに、嫌な思いをしたことは一度ではなかった。


 だけど、ミツがアオを虎人間に変えなかったら、アオの魂が消滅していたことも確かなのだろう。


「ちきしょう・・・。わけわかんねえよ。この体にならなきゃ、俺は生きていけなかったなんてよ」

「お兄さん・・・」


 アオは溜息を吐くとミツを睨んだ。


「もう一つ、確認させてくれ。大失踪を起こしたのはお前じゃないんだよな? 魂を大量に奪うというあの事件を起こしたのは天族だと聞いたが、それは本当か?」

「エスタリスが言っていただろう? あれをやったのは害鳥どもの首魁の一人さ。イオフィルという天族だ。その害鳥は、この世界に私たちを送り込んだんだ首謀者でもある」


 アオは溜息を吐いた。


「ミツがやったことに結論は出ねぇ。でも、ミツが俺の魂をいじらないと存在すらできなかったことは分かった」

「まあ、そう言う言い方もできるな」


 アオは決意を込めた目で前を睨んだ。


「俺は許せねえんだ。俺たち人間の魂を勝手に奪って実験動物のようにしたことが。今の話で分かったよ。俺の敵ってやつが。大失踪みたいなことをやった奴を、あんな非人道的なことをやったイオフィルってやつを、のさばらせたままにしちゃおけねえってな」

「ならばどうする? お前ひとりではこの世界を超えることなどできんぞ」


 面白がるようなミツに、アオは挑むような目を向けた。アゲハはおろおろしている。


「分からねえけど、お前はそのイオフィルってやつをこのままにしておかないだろう? 俺は大失踪なんて事件を起こしたイオフィルってやつのことが許せねえ。ミツも、自分をこの世界に送り込んだ天族をただでは済まさないと来た。なら、俺たちの目的は同じってことだ」


 ミツはアオに皮肉気な笑いを向けてきた。


「お前も生意気言うようになったじゃないか」


 そう言って、ミツはアオの額をつついたのだった。

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