第4話 襲われていた男
しばらく呆然としてしまった。
水面に移る虎頭の人間は、相変わらずアオを見つめている。
ゆっくりと、だが完全に理解した。さっきの少年たちが、アオのことをレアモンスターと呼んだ、その理由を。
確かに、虎面で2足歩行、しかも言葉が通じず吠えるだけの動物がいたら、アオだってコンタクトが取れるとは思わないだろう。危険な生き物と判断して、警察に通報することも想像に難くない。
「が、がう!がう!」
混乱して、腕に生えた毛を力の限り引っ張った。だけど、着ぐるみが壊れるような、アオが望むような展開にはならなかった。毛は意外と弾力があり伸びただけだった。引けば引くほど痛いだけだった。
明らかになったのはアオが2足歩行する虎になったということだ。着ぐるみを着ているわけではなく、体そのものが虎人間に変異しているのが判明しただけなのだ。
「あおぉぉぉ! あおぉぉぉ!」
罵るように、泣くように叫んだが、人の言葉はついには出ず。あたりには獣の吠えるような声しか響かないのだった―――。
◆◆◆◆
森の中をとぼとぼと歩いていた。
どんなに泣いても叫んでも悪夢のような現実は変わらない。アオが虎人間になってしまったことは、変えようもない事実のようだ。
つい昨日まで、アオは田舎の町に住む19歳の男だったはずだ。高校を卒業し、街のガソリンスタンドで働く社会人だった。働きながら車の整備士を目指して勉強中で、店長や先輩に叱られながら車の整備技術を必死に学んでいたはずなのに。
気がついたら虎の顔を持つ化け物に変わっていた。社員になって2年目の19歳の小代有央が虎の顔を持つ化け物に変わっていたなんて、誰が信じるだろうか。
まるで昔のマンガのプロレスラーのようだなと思いつつも、それに答えてくれる人もいない。高校時代のようにアオを笑い飛ばしてくれる友人も、ここにはいなかった。
とぼとぼと歩いているアオの耳に、罵声のような声が聞こえてきた。この先で、誰かと誰かが言い争っているようだ。足音がたたないように気を付けながら、アオは声のしたほうへと忍び寄った。
その先では、30代半ばくらいの男が下卑た声を上げる3人に取り囲まれていた。中年男は足を怪我しているらしく、それをかばいながら話している。
「くそっ! お前ら! 何のつもりだ! こんなことをしてただで済むと思ってんのか!」
「はっ? おっさんが何いってんだ? おまえこそ、今の状況を分かってんのか? 自慢のアビリティもその足じゃろくに使えねえだろ。スキルだってそんなに取ってないんだろ?」
「へっ! こんなところまでのこのことついてきたのが運の尽きさ! 大体おかしかったんだよ! あんたみたいなおっさんが俺たちと組もうなんてな!」
3人は前のアオと同じくらいの年頃だった。スキルやアビリティなど聞きなれない言葉を話しながら、中年男を追いつめていた。
確かに、中年男と他の3人とはずいぶん年齢が離れているようだ。あの嫌な気配も一際濃いから、それも理由の一つかもしれない。でも、だからと言って攻撃されるのは違和感がある。もし合わないと感じられたなら、話し合いとかが行われると思ったのに。
「お前はもう終わりなんだよ。この世界には警察も法律もない。ここでお前を殺しても文句を言う奴なんていないんだよ! もう障壁もないんだからな! あきらめちまいな!」
「ガキが! だからこそ理不尽なことができねえのが分かんねえのか! 警察も法律もないってことは、お前らを守ってくるヤツはいねえってことだぞ!」
事情はよく分からないけど、自分たちはどうやら警察や法律のない場所にいるらしい。どんな場所かはアオには見当もつかないけれど。
「もういいんじゃね? ちょっと興味があるんだよね。ほら、お前、言ってたじゃん。この世界ならスマホさえあれば死んでも復活することができるって。あれ、試してみようぜ」
「お! いいじゃん! いいじゃん! やっぱ、人体実験は気に入らないやつでやるのがコツだよな! このおっさんなら万が一死んでも心が痛まないし」
「て、てめえら! ふざけんなよ! いつまでゲーム感覚でいるんだ! こんなこと許されるわけねえだろうが!」
中年男が反論するが、3人には取り繕う気すらない。いつの間にか物騒になってしまっている。まるでいじめのような光景にアオは顔をしかめた。
「いいか! お前らの言う通り、確かにこの世界には警察も法律もない。だから、自分が最低限の良識があることを自分で証明し続けなきゃなんねえんだよ! パーティを組んだ相手を後ろから撃つ奴なんて、誰が信じるんだ!」
「うっせえな。説教はうんざりなんだよ! お前の命は俺たちが持ってんの、わかってる?」
少年が小ばかにしたように言うが、中年男はあきらめずに言葉を尽くしている。
「少しは頭を使え! お前らは!」
「ああ、しつけえな。あんたさ、なんでこんな事態になってんのか分かってんの? あんたが俺たちと来ることになった理由を、もう一度思い出してみ?」
少年が言うと、中年男は顔を歪ませて絶句した。その顔を見て、少年たちが心底おかしそうに笑った。
「ま、まさか! お前ら!」
「あっはっはっは! あんたのことが気に入らないのは俺たちだけじゃねえってことさ! ウスハのやつもこの件に一枚も二枚も噛んでる! どうだ? 自分の女に裏切られる気分ってやつは!」
そう言うと、男の一人が光を発して剣を突き出した。中年男は何とか避けるけど、動きに明らかに精彩がない。少年の剣が思いのほか鋭いこともあって、避け損ねて怪我をしてしまう。
戦いが始まってしまった。使っているのは真剣で、もし直撃したら怪我どころか、死んでしまうことだってあり得るのだ。中年男は今のところ直撃を避けているようだが、それも時間の問題かもしれない。
「がああああああああああああああ!」
気づいたら、アオは叫びながら立ち上がっていた。
攻撃されないという根拠なんてない。相手にとって、アオはおそらくモンスターだ。前に会った6人組のように襲い掛かられないとは限らない。
でも、人が殺されそうな場面に立ち会って、見て見ぬふりなんてできそうになかった。
「う、うわ! なんだ! 新種の魔物か!?」
「と、虎男! 第1階層に出る相手じゃねえだろ! こいつ! まさかレアモンスター!?」
「く、くそっ! ずらかるぞ!」
不意に叫ばれて相当に驚いたのだろう。3人の少年たちが慌てて逃げていく。あとには、驚きに目を見開く中年男だけが残った。
「くそっ! 一難去ってまた一難かよ!」
中年男が止まったのは一瞬だけだった。次の瞬間には大ぶりのナイフを抜き放ち、アオを鋭い目で睨んできた。逆手にナイフを構えるその姿は、かなり様になっているように見えた。
もちろん、アオには中年男と争うつもりなんてない。どうしたものかと中年男と対峙するが、敵意がないことを示すように少し後ずさった。
中年男は構えを解かないまま、睨み続けてくる。しょうがないと、アオはあきらめにも似た気分になった。多分、あの男にとって、アオはゴブリンもどきたちと同じような魔物だろう。それならば、襲われると思っても仕方がない。
悲しい気持ちになりながらその場を後にしようとした時だった。
ぐうううううううう。
アオの腹の音だ。空腹感はあったが、まさかこのタイミングでなるとは。
顔を赤くして振り返ると、呆然としている中年男と目が合った。何か恥ずかしくなって、アオはいそいそとその場を去ろうとした。
「ま、待て! お前、もしかして腹、減ってんのか?」
アオは驚いて振り向いた。男は緊張して汗を流していたが、スマホのようなもののボタンを押すと、何もない空間から降ってきた何かを掴んだ。そしてアオに向かって不器用に微笑みかけてきた。
「ほ、ほら! 非常食ってやつだ。これ、食えるだろう?」
そう言って地面にハンカチを敷くと、その上にパンを乗せて指し示した。ホットドックだ! それも大きめのソーセージがはさんである、かなりおいしそうなやつだ! レタスも入っていて、栄養面も考えられている。
中年男が距離を取った。次の瞬間、アオはすばやくハンカチに駆け寄った。そして、ホットドックを手に取って乱暴に食らい始めた。
もしこれが毒入りならアオは大変なことになっていたかもしれない。睡眠薬入りでも窮地に立たされていただろう。でも空腹を感じていたアオは、考える間もなく飛びついてしまった。
ホットドックをかじるアオと、その様子を満足気に見ている中年男。予想通り、味は素晴らしかった。アオはいつの間にか夢中になってしまう。
でも穏やかだった時間は続かない。1本のホットドックなんて、食べつくすのに時間はかからなかった。
「うまかったか? こいつ、結構人気なんだぜ。まだ腹いっぱいじゃないんだろう? ほかのもある」
男はさらに乾パンなどの食糧を差し出してくれた。食べている間に止血は済ませたようで、足には白い包帯が巻かれていた。
こうなると、アオはもう止まらない。手当たり次第に食料を食べ続けるアオを、男は満足そうに笑っていたが、ふと真剣な顔でアオを見つめてきた。そして、恐る恐るアオに話しかけてきた。
「なあ、お前って、もしかして日本人か?」
中年男の言葉に、アオは目を見開きながら何度もうなずいたのだった。




