第３６話 聖女のオリジン
「アオ！ 大丈夫！？ 血まみれじゃない！ なにこれ！ 肉が全部持っていかれてる！ あたしがもっと早く転移を何とか出来たら！」
「俺をかばったせいでこうなっちまった！ すまねえ！ やっぱりあそこで救助を待つのが正解だった。また俺の、判断ミスだ」
悔やむようなシュウの言葉を聞きながら、アキミがアオに手を当てた。その掌が青く光ってアオを包むこむ。でも、何も変わらない。そればかりか、アオはごふりと血を吐き出した。
「なんで？ 回復スキルを使っているのに、何にも起こらない？ あたし、ちゃんとやってるのに！ やっぱりこれも、魔障ってやつ！？」
アキミの焦ったような声が響いた。涙目でシュウを見上げるが、次の瞬間に何かに気づいたように振り返った。
「うそっ！ こんな時に！ ８時の方向から！ 来る！ 足音からして４匹！ フェイルーンだ！」
「ちきしょう！ 弱り目に祟り目ってやつかよ！ アキミはそのままアオを回復してくれ！ 俺が、何とか止めてやる！」
シュウがナイフを抜くのと同時だった。アキミの言葉通り、４匹のフェイルーンが警戒しながら近づいてきた。
サソリのような尾と甲殻を持つ者に、上半身が猿のような姿をした者。そして、ワニのような口をした者。下半身が馬の、ケンタウロスのような姿をした者もいる。
フェイルーンたちは最初こそ警戒していたが、すぐに嘲笑の笑みを浮かべ出した。アオが血まみれで倒れていることに気づいたのだ。
「げはははははは！」
狂ったように笑いだすフェイルーンたちに、嫌な考えが頭を過ぎった。嫌がらせのようにこちらにちょっかいを出すだけのこいつらだけど、こちらに怪我人がいることを知ったらどう思うか。
「くそがっ！ いつもは及び腰のくせに！ こっちが傷ついていると知って嬉しそうにしやがって！ だが、好きにやらせるかよ！」
シュウが臨戦態勢に入るが、アキミは不安な表情を隠せない。
シュウは戦闘能力が豊富にあるわけではない。精々でアキミより少し強いか、その程度だろう。しかも最近はスキルを使うことを避けている。そんな状態で、４体ものフェイルーンに対処するのは難しい。
駆け込んできたケンタウロスの一撃を何とか躱すシュウ。お返しとばかりにナイフを振るうが、槍で簡単に防がれてしまう。続いて振るわれた石附の一撃にみぞおちを撃たれ、腹を抱えてうずくまってしまう。
見上げるシュウと、見下ろすフェイルーンの目が合った。フェイルーンは笑いながら槍を振り上げるが―――。
ばずん！
何かを貫く音がした。そしてアキミは見た。シュウを襲うケンタウロスの首を、１本の矢が貫いていることを！
「え？ な、なにが？」
「アシェリ。パメラ。急いて。今ならまだ間に合う」
「ＯＫ！ ケイ！ あたしたちだけだから思いっきりやらせてもらうよ！」
「うふふ。私にかかれば、こんな奴らちょろいもんよ！」
それは一瞬の出来事だった。残り３匹となったフェイルーンに、聖騎士のような鎧を着た２人の女性が襲い掛かった。勝気そうな女性はハルバードを振り回し、もう一人の鼻の大きな女性は剣で切りつけ、巨大化した盾で反撃を防いでいる。
「アンタたちが、私たちに勝てると思うなよ！ 襲ってきたんだから覚悟はあるわよね！」
「ふふ。逃げないなら、このまま倒しちゃおうかな」
ハルバードの一撃が、猿の首を吹き飛ばす。隣の女は大きな盾を操ってワニの態勢を崩し、その隙に剣で斬りつけていた。おそらくスキルをふんだんに使った戦いか。相変わらず嫌な雰囲気を纏ってはいるものの、頼もしいことこの上なかった。そして最後のサソリを、聖女の光魔法が吹き飛ばした。
あっという間だった。逃げ腰でないフェイルーンは聖女たちの敵にもならない。４体の魔物が粒子になって消えていく様を、アオは茫然と眺めることしかできなかった。
あとには、呆然とするシュウと、アオの前であっけにとられたアキミだけが残された。
「皆さん。怪我はありませんか」
近づいてきたのは、聖女と呼ばれたあの女性だった。フェイルーンに向けていた厳しい顔から一転し、柔和な笑みで近づいてきた。
「そ、そうか。あんたらもこの階層を探索中だったのか。助かったぜ」
「いえ。苦戦しているような声が聞こえたものですから。それよりも、その方はどうしたんです？ 血まみれになっているようではないですか。まるで、傷ごと肉をそぎ取られたよう。私が」
シュウは聖女に話しかけるが、聖女はアオの容体が気になるようだった。アオに近づいて状態を確認しようとするが。
「触らないで！」
アキミが鋭い声で制止した。
「お、おい！ アキミ！」
「触らないで！ 正同命会なんて、信頼できるわけがないでしょう！」
アキミの正同命会嫌いは筋金入りだ。もしかしたら彼女と会の間に何かあったのかもしれない。
しかし、拒絶するアキミに聖女は鋭く言い返した。
「今気にすべきはその方の命でしょう！ その方の命は一刻を争うのではないのですか！？ それともあなたは、その方の命よりもご自分の主張が大切なのですか！」
「っな！ う、うるさい！ 正同命会のくせに！」
アキミは激しく拒絶するが、彼女の肩にそっと手が添えられた。シュウだ。シュウはアキミに頷きかけると、真剣な顔で聖女に話しかけた。
「仲間が、済まねえ。宝箱の罠にやられちまってな。赤い蠅に襲われたんだ。肉がそのまま持っていかれた。スキルで止血だけでもと思ったんだが、それもままなんねえようで」
「失礼します。患者を診ます」
そう言って聖女はアオのそばにしゃがみ込むと、傷の状態を確認し出した。純白の法衣が血で汚れるが気にするそぶりもない。しかも一匹の蠅が聖女に纏わりつこうとしているのに、それにも目を向けようとしない。
勝気そうな顔をした女戦士が拳で蠅を叩き潰す。聖女はその様子にも気を取られることはなく、真剣なまなざしでアオの状態を診断していた。アキミは悔しそうだが、ここにきて何も言わない様子だった。
「スキルでの治療は掛けたのですよね？」
「そうよ！ でも何の意味もなかった！ 水魔法で傷を塞ぐはずだったのに、血が止まらないの！ アオには何の効果もなかったのよ！」
叫ぶように言うアキミにも聖女のまなざしは変わらない。
「対象は、第１世代？ でも、スキルが聞かないなんてことはありえないはず。残滓から見て、水魔法で癒そうとしたのは間違いない。スキルに不備はないはず」
「アオはかなり特殊でな。第１世代に見えるが、そうじゃないかもしれねえ。スキャンしてもアンノウンって出るんだ。その、それでも行けそうか？」
シュウの説明に聖女は目を一瞬だけ向け、すぐにアオへと視線を戻した。
「この方が特殊なのか、あるいは与えられた傷が原因なのかはわかりませんが、どうやらこの傷は魔法では癒せないようです。おそらく、私の光魔法のスキルでもこの傷をなくすことはできない」
「そ、そんな！ じゃ、じゃあアオは！」
アキミが泣きそうに訴えるが、聖女は冷静は目でシュウを見た。
「これからすることはスキルではありません。前例も、実験したことすらもない。私自身にしか使ったことはないですからね。でも、癒せるとしたらこれしかないでしょう。幸いなことに、ここでフェイルーンを倒したばかりのことですし」
「何か、手があるのか？」
シュウが真剣なまなざしで聞くと、聖女はわずかに頷いた。
「頼む！ アオを助けてくれ！ こっちに来て知り合った奴だけど、本当にいいやつなんだ！ 絶対に死なせたくはない！ 報酬なら何に変えても払うから、どうか！」
「報酬はいりません。ですが、先ほども言ったように誰にも試したことのない施術です。どんな副作用があるかはわからない。もしかしたら、一生モノの傷を負うかもしれない。それでも？」
シュウは思わず聖女の手を掴んだ。
「頼む！」
「分かりました。これは他言無用と言うことで」
そう言って聖女はアオに向き合うと、祈るように手を組んだ。そして現れる、白い光の玉。スキルでもアビリティでもないそれは、静かにアオの傷へと浸透していく。
「ウィダーリステン」
聖女がつぶやくと同時だった。アオの全身が白く光り出した。まばゆいばかりの光に、シュウもアキミも思わず目を覆ってしまう。それを気にしないかのように、光は１０秒以上にわたってアオを輝かせ続けた。
「！！ 肉が生まれて、傷口と結合した？ 消された傷ごと、再生させているってこと！？」
アキミが驚愕の声を漏らし続けるが、その間にも光がアオを包み続けている。消されたはずの傷口の中に肉が生まれ、結合して結果的に傷が消えていく。悍ましいはずのその光景は、シュウにはなぜだか神秘的なもののように見えた。
しばらくすると輝きは静かに収まっていく。そして光が消えると、そこには傷一つないアオの姿があった。
蠅についばまれた跡も、打撲の青あざも何も見られない。まっさらな状態のアオだけが残されていた。
「ア、アオ！」
「アキミ！」
シュウが「しぃ」っと自分の口に一本の指をあてた。アキミは思わず自分の手で口をふさぐ。そしてアオから出る音に耳をそばだてると・・・。
すうぅぅ。すうぅぅ。
静かな寝息が聞こえた。穏やかな姿に、聖女の癒しが成功したことを確信していた。
シュウは口を閉ざしがらガッツポーズをする。アキミは泣きそうな顔で思わず手を振り回した。声を出さずに喜びを表す２人を、聖女は穏やかな笑みを浮かべて見守っている。
「あ、ありがとう！ 助かった！ いや本当に！ 駄目かと思ったぜ！」
「いえ。運が良かったのだと思います。この方はまだ死ぬ運命ではない。もしかしたら、天がそう判断されたのかもしれませんね」
そう言って、聖女は静かに立ち上がった。ちょっと疲れてはいるが、満足げな様子だった。そしてシュウを静かに見つめると、優しい表情で話しかけてきた。
「傷が癒えたとはいえしばらくは安静に。決して無理をさせてはなりませんよ。危ないと思ったらすぐに相談してください。ここに掛ければ私につながりますから。これでも医師の卵ですので、何かあったら気軽に相談してくださいね」
そう言って、聖女はシュウとアキミに名刺を渡した。そこにはアドレスと番号に加え、聖女の名前が記されていた。
聖川 慶子
どうやらそれが、聖女の本名らしい。あまりに日本人っぽい名前に、シュウは目を見開いてしまう。
「ああ。今回は本当に助かったよ。その。聖川先生？」
シュウが言うと、聖女は一瞬だけ口ごもり、はにかむように笑った。その顔は本当に嬉しそうで、思わずシュウも見とれてしまう。
「はい。お大事にしてくださいね」
まさに日本で医者に診てもらった気分になったのだった。
