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第23話 夢とスパルタ

 潮騒の音が聞こえていた。


 目を開けようとすると強烈な日差しが差し込んでいて、アオは思わず手で顔を覆った。


「ほら。どうした? もう終わりか?」

「む、無理! 無理だから! こんなの、避けられるわけがない!」


 声をしたほうを見て、絶句した。あの小悪魔のようなコスプレをしたアゲハが、犬のような魔物に追われている。何度も追いつかれ、こずかれ、体当たりされて悲鳴を上げるアゲハ。その様子を、高台からあの黒い少女が笑いながら見ていた。


「な、なにしてるんだ! やめろ!」

「おお。お前。起きたのか。ふむ。だいぶん馴染んできたようだな」


 太い手を伸ばし、声を絞り出すが、少女は笑ったままだ。逃げ回るアゲハを気にするそぶりもなく、にやりと笑ってアオを見つめている。


「お、お兄さん! 助けて!」

「ほらほらどうした? 速くしないと食われるぞ。たらふく食った後なんだから、ちゃんと運動しないとな」


 2匹の犬に追われ、掛け続けているアゲハ。泣きながら逃げる彼女を、黒い少女は頬杖を突きながら見つめている。その様子は実に楽し気だった。


「ごああああ!」

「きゃあ! い、今の! ほんとに噛まれるかと思った!」


 犬の猛攻を何とか避けるアゲハ。でもこのままだと、いつかは捕まってしまうかもしれない。


 アオはたまらなくなって、必死でアゲハのところに駆け寄った。


「こ、この! 離れろよ!」


 アゲハをかばおうと犬との間に割って入るが――。


「ほげはら!」


 突進してくる犬に跳ね飛ばされた! そして転がるアオに、もう一匹の犬がさらに頭突きをお見舞いする。アオはアゲハを助けることもできず、2匹の犬にどつかれ続けている。


「おわっ! や、やめろ! やめて!」


 強気な姿勢はすぐに崩れ去り、アオは頭を抱えてうずくまってしまう。吠えながら体当たりしてくる犬たち。アオにできることは、頭を抱えて丸まるだけだった。


 塔の中とは違い、アオの姿は人間の姿に戻っている。でも、だからと言って足を緩めさせることすらできない。虎の姿でないとはいえ、ここまで手も足も出ないとは思わなかった。


「へたくそだなぁ。まるでなっていない。お前の空間なのに、私の犬にここまでいいようにされるなど」


 あきれたように言う少女に、アオは何も言い返すことはできない。少女は溜息を吐くと静かに手を上げた。すると、アオとアゲハを追い回していた2匹の犬が急停止した。アゲハが地面に滑り込んでいくのが見えた。


 無様をさらすアゲハを気にも止めず、少女はアオに語り掛けた。


「お前の戦いぶりは見ていたぞ。あの程度で疲弊するとは情けない。あの程度の魔物、お前ならば簡単に殺せるだろうに」

「い、いやっ! でも!」


 アオはなんとか言い訳しようとするが、少女の表情は変わらない。あきれたような顔のまま、アオを見下している。


「我が眷属たるお前は、あの程度の魔物や探索者を軽く上回るだけの魔力量を持っている。にもかかわらず簡単に息切れするのはなぜか分かるか? 傷を癒すのに魔力を使ったからではない。魔力の使い方そのものが下手だからよ」

「くっ! いやそうかもしれないけど! てか眷属ってなんだよ!」


 アオは反論したが、心のどこかでは分かっていた。戦いの後に気を失ってしまったのは2度目だった。確かに戦うたびに眠ってしまうのでは戦い続けることはできない。


「つーか、魔力ってわけわかんねえんだけど! 俺がいた世界にはそんなものなかったぞ! 存在を把握したのも使ったのも数日前のことだ! こんな短時間でうまくなれるわけないだろ!」

「時間などどうとでもなる。現にそこの虫は、この短時間で特性を引き出すことに成功したのだからな」


 少女に言われて、思わずその視線を追ってしまう。その先には、しゃがみこみ、荒い息を吐くアゲハの姿があった。


「ア、アゲハ?」

「へ? あれ? お兄さん。なにその顔、ちょっとウケる」


 笑い出したアゲハに、アオは目を瞬かせた。


「顔って、なんかついてる?」

「お兄さん、お化粧に失敗したの? 男の人でもお化粧をする人が増えたって言うけど、そのタイプ? でもちょっとそれはひどくない?」


 アオにはアゲハが何のことを言っているかわからなかった。アゲハはそこからか取り出した袋を開け、ビーフジャーキーをつまみ出した。


「えっと、隈取っていうの? そんな感じ。体も大きくなったような・・・」

「おい虫。この前やったあれを、この小僧にも見せてやれ」


 アゲハの言うことなど聞くつもりもないようだった。少女が命じると、アゲハは包みを置いて下を向いた。そして上目遣いでアオを睨むと、両手で何かを包むように差し出した。


「なにを」


 アオが言った瞬間だった。アゲハの手の上に何かが生まれた。鉛筆のような小さな塊だった。あれは、虫?


 小さく細い体は、頭、胸、腹と別れている。背中に生えているのは2対の羽。アオは知っている。日本で何度も目にした。空に飛んでいる姿を見つけると、秋が来たことを感じさせられたものだった。


「トンボ? それ、トンボだよな?」

「魂は入っていないようだがな。飛ぶことも動くこともできるが、自分で考えたり行動することはできない。空っぽのおもちゃみたいなもんさ。戦闘に役立たせるには一工夫必要なようだが、まあ見事と言っておこうか」


 呆然と魅入ってしまう。アゲハの両手には確かに何もなかった。だけど、次の瞬間には何もなかったはずの空間に、トンボが現れたのだ。


 つまり、あのトンボは!?


「ま、まさかそれは!」

「そう! これは私の魔力で作り出したものよ! いろいろ工夫してたら、これができるようになって!」


 どや顔で興奮するアゲハは、叩きつけるように説明を続けた。


「このトンボを飛ばされるようには苦労したのよ! 4枚の羽をどうやって動かせばいいかいろいろ試して! 羽ばたきの回数はだいたい1秒に20回ほどで、前翅の動きも工夫があって」

「そんなことよりも」


 詳しく説明してくれるアゲハの言葉を、黒い少女はあっさりと遮った。


「どうやら、お前たちの種族は魔力で生物の形を作り出すことができるらしいな。面白い。単純な身体強化だけではないということか。他にもできることがあるのだろうな。研究のし甲斐がある」


 アオは茫然とアゲハを見つめてしまった。アオが身体を強化しようと四苦八苦している中で、まさかアゲハがこんな技を開発しているなんて!


「こいつは油断するとさぼるからな。すぐに寝ようとするんだ。腹が減ったらここに来ればいいと思っている。基本、怠け者なんだ」

「うう。寝ていたい。何も考えずベッドで眠ってたい。働いたら負けなんです。偉い人にはそれが分からないんです」


 ミツとアゲハは漫才みたいなやり取りをしている。アオは彼女たちのやり取りを聞き流しながら呆然とトンボを眺めていた。だが、明確だったトンボは徐々に薄くなっていき、やがて体のすべてが宙に溶けてしまう。


「ああ。消えちゃった」

「練度が足りんと言うことさ。そのうち存在を維持できるようになる。まあ、修行は必要だがな」


 そう言うと黒い少女は笑い、そしてアオの目を覗き込んだ。口元に浮かんだ笑みに不吉なものを感じ、アオはごくりとつばを飲んでしまう。


「虫が生物を短時間しか維持できず、小僧がろくな身体強化を使えない理由がわかるか? お前らには基礎が足りんのだ。魔力を使うということがよく理解できていない。もっと魔力を扱う経験を積まねば、無駄なく運用することができんと言うことだ」


 そう言って笑った。少女のそばに2匹の犬たちが駆け寄って、アオとアゲハを睨んだ。そのうなり声に、アオは嫌な予感がするのを止められなかった。


「さて。運動の時間だ。油断すると痛めつけてくるぞ。こいつらは手加減などできんからな。逃げ回る中で、無理なく魔力を運用する技術を身に着けるがよい」


 ほほ笑む少女の顔が悪魔のように見えたのだった。

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