虎137話 ネプトゥとウェヌス
『なるほど。これが新しい体か。万全ではないにしろ、これで世界から拒否されることは少なくなる、と』
発せられた声は、ネプトゥのそれとはずいぶんと違っていた。元の乱暴そうな声だった以前とはうって変わり、どこか気楽な印象を受けた。
「これが、天族による乗っ取り・・・。あんたたちはこうやって私たちから体を奪うってわけか」
『それはそうなんだけどね。ケルベロスの眷属さん。僕は・・・』
その天族が言葉を発した瞬間だった。いきなり表情を引き締めて、アゲハの後ろにいたウェヌスを睨みつけた。
「ネ、ネプトゥ、さん?」
『今は、しょうがないか』
天族が溜息を吐いた。怪訝な顔になったウェヌスは、突如として動きを止める。震えながらゆっくりと自分の胸を見て、信じられないようにネプトゥを仰ぎ見た。
「ルリコ。一旦逃げるよ。 ? ルリコ、聞いてんの? ルリコ!」
叫ぶように命令したとき、アゲハは異変に気付いた。そしてウェヌスを振り返り、目を見開いた。
ウェヌスの姿が、何かに変わっていくのだ。
『お前もそれを使うのか。意外だったけど、予測できた事態ではあるんだな』
「!! ルリコ! おいふざけんな! ルリコはスキルをつかっていなかったろう! オリジンだって鍛えていたし、まだ限界からは遠いはずだ!」
駆け寄ろうとしたアゲハは、次の瞬間には迷宮の壁に貼り付けられた。震えながらウェヌスを見るが、彼女の変貌を止めることはできない。
「あ、あ、あああああああああああ!」
ウェヌスの口から洩れる、悲鳴。イゾウからもらった大きな斧を取り落とし、苦し気に自分の体を抱きしめている。アゲハは必死で手を伸ばしたが、何かに弾かれてしまう。それでもあきらめずに伸ばした手は、あっという間に血だらけになってしまう。
「な、なんで!? なんでなんで!」
少女にしては筋肉質な体が、丸みを帯びた美しい姿へと変わっていく。背中から生えてきたのは3対のオレンジの翼。顔も、それまでの凡庸な顔から長いまつげと切れ長の瞳、整った鼻とふっくらとした唇を持つ美しい顔へと変貌していった。
『ふはっ! 動揺したな。ちょっとまずいかなと思ったけど。まあ結果オーライってやつだ』
ウェヌスだったその女は、動揺するアゲハに妖艶に微笑みかけた。
「お前! 天族なのか! 返せ! その体はルリコのもんだろ!」
『いやだね。せっかくこの世界に顕現できたんだから。もうこれはあたしのもんだ。簡単に返すわけがねえだろ?』
アゲハは恐ろしさを感じるほどの顔でウェヌスだった天族を睨んだ。
「出ていかないって言うならお前を!」
『いいのか? 確かにあんたが攻撃したなら、私なんかすぐに滅んじまうかもしれない」
嘲笑してくるウェヌスだった天族を、アゲハは力の限り睨み続けていた。そしてアゲハの周りに出現した、5匹のトンボ。そのトンボは翅を羽ばたかせ、ウェヌスだった天族のほうを向いて今にも飛び掛からんと体をすくめるが・・・。
『私の魂がなくなったら、この子の魂も消えちまうかもしれないけどな』
トンボの動きが、止まった。
「お、お前!」
『くはっ! さっきまでの威勢はどうした!? ピンチなのはこっちだろう? このままだと、私はやられちゃうかもしれねえんだぞ! ただし、このガキの魂ごとな! ケルベロスの眷属は魂を攻撃できるというから、もしかしたらこいつごと消されちまうかも!』
言葉とは裏腹に、その天族はどこまでも嬉しそうだった。
「はなれろよ! お前なんか! お前なんかが!」
『そう! お前が本気になれば私なんか容易く消滅させることができるだろう! ケルベロスの眷属で、人間のくせに飛び切り上等なお前は、あたしたちを凌駕している! 魂を消し去ることだって簡単だろうな! この人間の安全を、考慮しなければ!』
勝利を確信し、ウェヌスだった天族は会心の笑みを浮かべていた。
『なあ! どんな気分だ? 勝利を確信していたのにひっくり返された気持ちは? 取るに足りないと思っていた魔物に、追い詰められている現状をどう思うんだ? なあ! なあ!』
「お前は! お前は! すぐに死んじゃう弱いやつのくせに!」
歯ぎしりせんばかりに睨むアゲハを嘲笑するウェヌスだった天族。アゲハは拳を振るわせるが、トンボは動かさない。気づいているのだ。このまま攻撃を続ければ、ウェヌスを巻き込んでしまうかもしれないことを!
「あはははははは! そうだよな! おまえにとってこの子は初めての友達だよな? 私にも分かるぜ! 友達って言うのは貴重なもんだ! おまえにとっていかにこいつがどれだけ大切かってのがな!』
「!!!!!」
すさまじい顔で睨みつけるアゲハだったが、次の瞬間には糸が切れた人形のように倒れ込む。ウェヌスだった天族はあっけにとられていたが、すぐに真顔になってその人物――ネプトゥを睨んだ。
『何だよ。邪魔する気か? これからがいいところなのに』
『そいつの実力は本物だ。切れてお前ごと倒す可能性だってある。戻るぞ。アルビスの奴を起こす準備をする』
そう言うと、ネプトゥだった天族は次々と仲間を介抱していく。地面をあさりながら、丁寧に仲間たちを運んでいるのだ。ウェヌスが落とした大斧を見て眉をしかめるも、すぐにそれをしまっていく。
その様子を不機嫌に見つめたウェヌスだった天族は、すぐに顔を反らした。
『まあいいか。今日はこのくらいにしておこう。最強だったと思われた手ごまが私たちの手に落ちたと知ったら! ケルベロス。どんな顔をするのか見ものだしな』
『・・・。そうだな。だが、今は一度戻ろう。トゥルスの奴の動向も気になるしな』
そう言って、戻っていく2人の天族。振り返った2人は、ともに以前の人間の姿――ネプトゥとウェヌスの姿へと戻っていたのだった。
◆◆◆◆
「ええ。はい。ではいったん戻りますね」
スマホで連絡を取るリイネを、トアは何ともなしに眺めていた。リイネは通話を切り、とびっきりの笑顔でマルスに笑いかけた。
「作戦、半分はうまくいったみたいですよ。トゥルスは逃げちゃったみたいだけど、ネプトゥのヤツ、ウェヌスに加えて植草のところの白いのを捕らえたようです」
「そうか・・・」
作戦は成功したのに、マルスはどこか消沈していた。
指令はいきなりだった。教主の生川法源から命令されたのだ。
トゥルスを援護しろと。そして植草の仲間を捕らえろと――。
疑問を感じたマルスだったが、仲間たちは迅速に動き出した。具体的にはミオと2人の仲間が周囲の地形を探り、トアが狙撃ポイントを設定した。
「あー。痛かった。まさか、あのハトがこっちに気づくたぁな」
「お前が木から落ちた時は焦ったぜ。あたしのアビリティじゃあ助けられねえからな」
あの虎人間を狙撃してすぐ、変なハトが突っ込んできた。慌てて狙いを変えたトアだが、銃弾を当てることはできなかった。撃っても撃っても避けられ、挙句接近を許し、そして――。
「あのハト、なんかのアビリティか? ふざけんなよ。あのまま消えなきゃ大惨事だったぞ。またうちらにわけわかんねえ仕事押し付けやがって」
「でも口ほどのことはないですよね? トアさんがあの虎をちゃんと狙撃していたら、もっと仕事は早く終わっていたのに」
思わずにらみつけるトアに、リイネはにっこりと微笑んで見せた。
「うふふ。トアさんって、肝心な時に役に立たないんだから。フロストデーモンを狙撃で来たからって図に乗ってるんじゃないです?」
「ああ! うちらがいい加減な仕事をしたってか! ざけんじゃねえぞ! お前こそ、調子に乗ってんじゃねえか? 新しい装備が泣いてるぜ!!」
黙りこくるトアに変わり言い返したミオだった。
第4階層を守る階層主、フロストデーモン。巨大な腕力とすべてを凍らせる魔力を持つ魔物を、マルスたちはたった2度目のチャレンジで倒して見せた。
その背景には、マルスとトアの活躍があった。特にトアはその見事な狙撃でエリアボスすらも足止めしてみせた。最終的に倒したのはマルスの一撃だったが、その前段階を作ったのはトアに違いなかった。
「あなた達こそ、調子に乗っているんじゃなくて。ふん。銃を手に入れるまでは足手まといだったくせに!!」
「なんだと!? お前こそブロックが全然間に合ってねえじゃねえか! ボスからのドロップ品、もらったくせによ!! 他の2人もたいして動けねえくせに! ああ!」
「なっ!? 俺たちは関係ねえだろうが!!」
「そ、そうだ! 最近活躍しているからって調子に乗りすぎだ!」
リイネがさらに文句を言うが、ミオは他の2人を巻き込みながら言い返した。4人はああだこうだ言いながらも、口喧嘩をし始めている。
4人の様子を気にも止めず、トアはそっとマルスに話しかけた。
「あんな感じでよかったのか?」
「ああ。いつも通りすごい腕だったよ。狙い通りに事は進んだみたいだ」
小さな声で聞くトアに、こちらも声を潜めて返したマルスだった。
トアは最初の狙撃を外したわけではなかった。その気になれば虎の頭を貫くこともできたが、わざと彼の足元に狙いを定め、注意を引くに留めた。結果はある程度の予想通り、トゥルスはあのイゾウと共に逃げていくことになったのだが――。
「あたしにゃ、あんたの考えていることは分からん。一応借りがあるから言うとおりにしたけどよ」
「実は私もよく分かっていない。ただ、こうしろとうるさいのがいてね。思うとこがあって、今回だけはその忠告に従うことにしたのさ」
わけのわからないことを言い出すマルスにイラつきながら、トアはぼりぼりと頭を掻いた。
「この! ただ銃をぶっ放すだけのトリガーハッピーが!! スキルがなければあんたなんて!!」
「はっ!! お前こそ! 守りが下手なタンクなんて邪魔なんだよ! だいたい丸い盾なんか、あんたにゃ似合ってねえ! 少しは盾を見習って性格も丸くなりやがれ!!」
2人の言い争いを聞きながら、トアはそっと溜息を吐いたのだった。




