第105話 ケルベロスとレヴィアタン
そして、会談の日は訪れた。
アオたちは第1階層の川辺に来ていた。アオが水面に浮かんだ自分の姿を初めて見た場所で、懐かしくも苦い思い出がある場所なのだけど。
「あっという間だったね。いよいよこの日が来るなんてさ。ま、あたしが何かするわけじゃないけど」
「相変わらず気楽だよな。こっちはそれどころじゃねえってのによ」
ともに来たのは、パーティーメンバーのシュウとアキミだった。なんだかんだで一緒に行動するのは久しぶりで、アオはこんな時なのにうれしくなってしまう。
感慨深げに周りを見るアオは、数名の足音に気づいた。リヴィアたちがやってきたのだ。事前の情報通り、護衛の顔ぶれが変わっている。シュウの話ではリヴィアの護衛は軍人のような男たちだったのに、そこにいるのは薄い金髪の美女とひょろりとした老人。そして、2人の男が緊張した面持ちでいるだけだった。
リヴィアは緊張した顔でアオを見つめてきた。
『久しぶりだな。まさかここに来てまでお前とまみえるとは思わなかったぞ。おこもりが得意なお前には、向こうでもなかなか会えなかったのにな』
『こちらもそうさ。この世界に来てまでお前のにおいを嗅ぐとは思わなかった』
リヴィアの口から洩れたのは外見に似合わない、低く迫力のある声だった。対するアオの声も、外見には似合わぬ少女のような声だったけれど。
なんともなしにリヴィアの様子を見ていると、ふと思いつくことがあった。
「が、がう?」
『ん、どうした?』
思わず声を出したアオに、ミツがすぐさま聞き返した。同じ体から別の声が連続で飛び出す様は、ちょっと滑稽ではあった。
どうしようかと悩んだアオだったが、ミツは考えを読み取ってくれたようだ。アオの疑問にすぐさま答えてくれた。
『嫉妬の護衛が、すべて第3形態であることが気になったのだな。連中と私たちの事情は違う。おそらく、以前はあのような形だったが、お前たちは身体に魔物が入る余地を増やしたのだろうな。〈暴食〉の探索者は以前の人間の身体の割合が少なくなり、自然と魔物の姿が現れるようになったのだろうさ』
声を潜めることもなく説明してくれたミツだった。
『不愉快だな。これは、貴様と我の会談だったはずだ。その下郎に言葉を発する資格もない。なのに言動をとがめるどころか、ご丁寧に説明までするとはな。所詮は犬と言ったところか』
不機嫌そうに言われてびくりとしてしまう。慌てて謝罪しようと思ったアオだが、ミツの反応は違った。まじまじとリヴィアの顔を見ると。嫌らしく、クスリと笑ったのだ。
『これは傑作だ。お前は私より長くこの世界にいるのに、まだそこにいるのだな』
『な、何がおかしい!』
激高するリヴィアをミツは嘲笑った。レヴィアタンの怒気を受けたアオは正直それどころではなかった。
「アゲハに聞いたぞ。お前、〈憤怒〉の6位ごときを仕留められなかったらしいな。〈大海の覇者〉と言われた魔王が、たかだか6位の魔物すら倒せなかったと。完全に不意を突いたはずなのにな』
『なっ! あの小娘がぁ!』
レヴィアタンは激高し、唾を飛ばしながらアオに詰め寄ってきた。
『リヴィアのせいだ! リヴィアが弱いから私は力を発揮できない! 魔力の魔の字も知らないこいつのせいで!』
『ある意味それは正しい。無魔の世界の住民たるこいつらは魔力の扱いを知らない。この世界が魔力に満ちていても扱うことはできん』
レヴィアタンが同意するように見下すが――。
『だからこそ、こいつらがいかに魔力を使えるようにするかがカギになるということだ』
あっさりとミツはそう断言した。
『な、何を言う! こいつらは魔力もろくに操れぬ愚かな種族に過ぎんのだぞ! こいつらはこの世界で動けるようになるための道具に過ぎぬ! 力のないこいつらごとき、力ある我らなら!』
『それで、負けるのだな。〈憤怒〉の6位に手も足も出なかった、あの時のように』
見下すように言うミツに、レヴィアタンが唇をわなわなと震わせた。
『断言しよう。もし、あの場にアゲハがいなければお前は屈していただろう。不意を突いても倒せなかったお前のことだ。あいつが本気になったら手も足も出なかったろうな。よかったな。アゲハがいてくれて』
『貴様! 力のある魔物を従えたからと言って偉そうに! そうか! この世界に順応できた魔物を揃えたやつが強いというか! あの小娘についた魔物が!」
ミツはあきれたようにレヴィアタンを見ると・・・。
『アゲハと共にいるのはサキュバスだぞ』
あっさりと、アゲハの事情をばらした。
◆◆◆◆
『な、何を言っている! サキュバスだと!? あんな! 夢に寄生して精気を吸うしか能のない雑魚などに! あれが、サキュバスがこの世界に順応した姿とでもいうのか!』
『サキュバスがこの世界に順応したとは面白い推論だな。確かに他人の世界に入り込めるあの能力は興味深いが、まあ直接相手を仕留める力はないだろうな』
とぼけたように言うミツに、さすがのレヴィアタンも絶句していた。
『あ、あの子供の能力はサキュバスなどという惰弱な存在ではなかった。あの〈憤怒〉の魔物が、手も足も出せずに遊ばれたのだぞ・・・。そ、そうか! あいつに憑いた害鳥が!』
『アゲハの中にいる害鳥か? まあ、そこら辺にいる雑魚とは違うが、それが影響したとは思えんな。精々で士官クラスと言ったところか。無駄な努力を重ねているよ。アゲハは揺るぎもしないがな』
当然のように解説するミツに、レヴィアタンは歯を食いしばった。
『あれが、人間だけの力だと!? あのガキは、モラクスを接近戦で圧倒したのだぞっ! それを、人間だけの力で成し遂げたとでもいうのか』
『ん? 接近してやったのか? あいつめ。報告は適当にするなと言ったのに」
ぼやくミツをレヴィアタンは怪訝な顔で睨んだ。その視線に気づいたミツは、面白がるようににやりと笑った。
『まあ、そう言うことだ。人間は弱い個体が多いが、中には恐るべき資質を備えた者もいる。そういう者をいかに探し出し、鍛え上げられるかが我々が生きる道なのだ』
『そんなもの、認められるか! 人間の中に、我らを超える存在がいるなど!』
激高するレヴィアタンに対し、ミツはどこまでも冷静だった。
『どのみち我らが力を発揮するには人間を鍛えるしかないのだ。魂を操る能力者として教えてやろう。肉体と魂の結びつきはお前が思っているよりもずっと強固だ。お前たちの体はこの世界で生きていけるように作られている。3体の中でこの世界に最も馴染むのは無魔の世界の人間たちだからな。当然、身体のベースになるのはそいつらさ』
レヴィアタンは押し黙ったが。すぐに激高した。
『だから! 中にいる私たちの力を見せたのだろう! この弱弱しい体の主導権を奪うために! それの何がおかしい! 強いものがすべてを手にするのは当然のことだ!』
怒り狂う姿が恐ろしいが、アオにはレヴィアタンがどこか不安定さを感じていた。おそらくリヴィアの心が怯えているのではないだろうか。
『お前が力を発揮できないのはそのせいさ。お前は・・・。いや、お前たちは無魔の人間を脅すことで体を自由に操ろうとした。だが、ベースにあるのはあくまで無魔の人間だ。当然使える能力量は彼らのものに依存する。その人間の分しか能力を使えない。お前がやるべきことはその人間を脅すことではない。その体で能力を扱えるように鍛え、導くことだ』
『なめるなよ! 私に頭を下げろというのか! このリヴィアと言う女に、頭を下げて屈しろと!』
ミツはやれやれと呆れたようだった。
『この期に及んで頭を下げるだけで済むと思っているならあきれるな。お前は知っているのか? 他の塔の惨状というヤツを。〈強欲の塔〉は探索者同士の争いが激化し、〈色欲〉は探索者同士の絆が強くなりすぎた。〈怠惰〉は目的意識をうまくすり込めずに苦心しているらしい。うまくやったのは〈高慢〉のあいつと〈憤怒〉のあの男だけさ。簡単ではないのだよ。探索者を強く導くというのは』
『それにお前が続こうってのか! 私の力を利用して!』
地を這うようなレヴィアタンの声に圧倒されるが、ミツは余裕に満ちた態度で腕を組んでいる。
『好きに解釈するといいさ。だが言っておくぞ。このままではお前は何もできずに終わるだろう。〈憤怒〉の6位ごときに手も足も出なかったようにな。次に奴らが来るのはいつかな? 6位がやられたんだ。もしかしたらそれよりも強い探索者が来るかもしれない。すでに奴らの手のものが近づいているかもしれんぞ。お前が思っているより、おそらく時間はずっと少ない』
『ふざ・・・けるな』
レヴィアタンはアオを睨みつけるが勢いはないように思う。おそらく危機感を感じているのだろう。
『ここまで言ったんだ。お前にはあるというのか。この体で魔力を操れるようにする、その方法が。見返りはなんだ? お前のことだ。当然何か目論見があるんだろう』
『当然だ。私が何も考えずに手助けをするはずがないだろう。だがその前に私も見極めねばならん。お前が本当に、他の魂を優遇する気があるかどうかをな』
にやりと笑うと、ミツはアオの右手に魔力を纏わらせた。
『この魔法を受け入れればお前たちは私の世界へといざなわれる。魂だけの姿になって、他の2つの魂とともにな。そこで無魔の魂ともう一人と話し合って説得しろ。無理やり脅してうまくいくなどと思うなよ』
ミツの言葉に、レヴィアタンは憎々し気に睨みつけた。
『覚悟を決めるのだな。今私の提案を埋め入れるか。それとも今のまま自力で抵抗する術を探すか。まあ、その手段とやらを見つけられるといいのだがな。それなら早くしろよ』
ミツはいやらしい笑みを浮かべながらレヴィアタンを覗き込んだ。
『早くしないと、〈憤怒〉や、あるいは〈高慢〉からさらなる強者が押し寄せるかもしれんからな』
そう言うと。ミツは満足したように微笑みかけたのだった。




