高貴だと主張するそれ 1
気まずい沈黙が行き渡る小さな馬車の中で、今町のどのあたりいるのか考える気にもならず、ルドヴィカはじっと目を閉じていた。
両親もあれから口を開く事はない。馬の地を蹴る音と、車輪が道を転がる音が耳に入る全てだ。
突然母親が口を開いた。
「ルドヴィカ。おじいちゃんのところ行ってきなさい」
「何で?」
突然の指示に驚き、ルドヴィカは反射的に問い返した。
おじいちゃんとは店舗兼住居である父の営む時計屋からごく近所で、料理屋を営む母リアノルの父親の事だ。ルドヴィカから見ると祖父である。祖母も健在で、双方とも未だ元気だと言い張っているが、祖父の方は身体が弱ってきているそうで店を譲るか畳むことも考えていると聞いた。
彼らも今回の婚姻話は聞いており、流石リアノルの親と言うべきか祖母は凄いね! と手を叩いて喜んでいた。祖父の方は職人堅気というべきか、実に無口で料理を作る時のみ僅かに笑みを浮かべるような人だ。ルドヴィカとエスキルが結婚するかもしれない、とは当然彼にも伝えたのだが、そうかと一人言のように呟いたのみで、何を考え感じたのかは窺い知ることは出来なかった。
母方の祖父母の事は嫌いではない。両親の事がいまいち信用出来ない儘育ったルドヴィカは、幼い頃は寧ろ祖父母の料理屋で勉強をしていたくらいだ。大学生となった今では移動の時間も惜しく、あまり行かなくなったが。
ルドヴィカは似合っているのかいないのか、自分でも判断のつかない華やかなドレスを摘んで言った。
「こんな格好じゃ行けないでしょ。一回帰って着替えさせて」
「良いから。あ、でもこれだけ外しとこうか」
ルドヴィカの髪飾りを、母にしては慎重に外して母はからっとした笑顔を浮かべて見せる。その有無をいわなさない視線に、ルドヴィカは少し気圧されて頷いた。
「わかった。でも、この服が汚れても怒らないでよ」
「いや、怒るよ。いくらしたと思ってんの」
「ええ」
下町の料理屋に来るのは肉体労働者や町中で店を営む男達が殆どだ。酒も豪快に呑み干すのが格好良いと思ってるような彼らの中には、ルドヴィカを小さい頃から知っている人々もいて執拗に絡まれる事もあるのに、それはいくらなんでも無体ではなかろうか。
「ああほら。ここからなら、近いでしょ。降りな」
御者にさっさと声を掛けると、ルドヴィカは殆ど放り出されるようにして道端に足を降ろされた。振り向いたルドヴィカの目に入ったのは、にっこりと笑った母の笑顔と何故かこちらを見ない父の後頭部だった。
「仕方ないか」
歩いて自宅に戻られない事もないが、折角だし祖父母の営む料理屋に向かった。
大通りをひたすら真っすぐに歩く。王都のような洗練された美しさの感じられない、如何にも下町といった風情だ。生まれ育った町なので何の変哲もない光景であったが、これらは都会から来た人々には品のない、喧しいだけなのだろうか。
行商人が何かの声をあげるのを横目で見ながら、二つに分かたれる路上の角、古びた看板を下げた店の扉を開く。
「あらあ、可愛い! どこのお姫様かと思ったわ!」
ルドヴィカの姿を目に入れるなり、駆け寄ってきたのは祖母、アイラだ。
「よく言うよ。お世辞面倒い」
「孫にお世辞なんて言いますか。何の得もないのに」
身につけているものは普段着らしい粗雑なシャツと、何故か男物のズボンである。動きやすいらしい。
「店長店長、お孫さんよ」
昼時の忙しさから解き放たれた時間帯だからか、店の中は落ち着いている。
店の奥に軽快に呼びかけたものの、返事はない。奥でひたすら鍋をかき混ぜていた男が目線をあげただけだ。
「やだあ可愛いからって照れてるわあ」
いや、全く見てないじゃんとつっこんでみたが祖母はからからと笑い続けるだけだ。祖父は無言で鍋をかき混ぜ続けている。
年の割に軽快な動きでカウンターの向こう側に戻ったアイラは、改めてルドヴィカの上から下まで眺めて満面の笑みを浮かべた。
「いや、あんまり見ないで」
「何でよ。あ、もしかしてお化粧してるの?あらあらら」
「ほんと、ほんと見ないで」
馬子にも衣装だとかそんな話ではない。からかってるにしても本心にしても、慣れない格好を囃し立てられるのが心の柔らかいところにちくちくと刺さる気がする。