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カレルの言葉は貴族方とは違って、庶民の荒っぽい言葉や遠慮のない物言いに慣れているルドヴィカが聞いても、相当に手厳しいものであると思えた。ルイス家の唯一の子女であり、美しい言葉遣いや令嬢たる自分に対して礼儀をわきまえた人々に傅かれ育ったジェーンにとっては、尚更カレルの言葉は強く厳しいものに感じたに違いない。
「カレル様、まだ言うんですか?」
可哀想に感じて進言してみるも、カレルの態度は実に厳しい。
(きみの口を通じての言葉は、失礼にあたるかもしれないが今言わなければならないと僕は思っている。頼む)
「……ルイス嬢」
仕方ない。開き直ってルドヴィカは彼の言葉を一言一言、その儘を口にした。
「他者の一族の一大事や出来事に、口を挟むべきではないと身をわきまえることも出来ずに、唇や首を突っ込むことの見苦しさをルイス伯は教えてくれなかったと見える。遅くに出来た一人娘だからといって、甘やかしが過ぎたんじゃないのか、と」
「な、に……酷い、何故そのような酷いことを仰るのですか!」
耐えきれないと言うように、ジェーンが声を張り上げた。
「少し、そう……少し出しゃばったかもしれませんけど、でも、社交場でも気になる話題だと専らの噂だったし」
余程ショックだったのか、声は裏返り言葉がたどたどしい。
しかしカレルの容赦ない言葉は続く。
「社交界というのは、程度が低いのだと。自分だけでも高潔であろうと努力しなかったのか……とカレル様は仰ってますが」
ルドヴィカの口を借りたカレルの言葉は、ますますもって切れ味が鋭くなっていく。
ルドヴィカの目にジェーンの顔は今にも泣き出しそうに見える。屈辱すらとうの昔に過ぎ去って、自身を苛む感情の正体もわからないようだ。
もうそろそろ勘弁してあげて欲しい、と思い始めた頃合いだった。
ジェーンの様子は見るも哀れで、そりゃあルドヴィカには社交界のマナーだとか、貴族同士の関わり合い方、タブーなんかも知ったことではない。しかしジェーンはルドヴィカよりも年上であるが、未だ十八とかそこらだった筈だ。多少考えなしなところがあっても、見逃してやっても罰は当たらないのではないか、と。
「あの、カレル様……」
(ルドヴィカに対してもそうだろう)
カレルに再度もうそろそろ慈悲を与えてくれないか、と口を挟みかけた瞬間だった。自分の名が聞こえてきたのだ。
カレルが憤りを覚えていることに、ルドヴィカは全くの無関係の筈だ。先刻からカレルの代弁役に都合良く使われていると感じてはいたが、そのくらいだ。
(ルドヴィカに対してもルイス嬢の言動は、思慮が足りないと感じていた)
「……え」
ジェーンの顔を、ルドヴィカは凝視した。今にも頬を流れそうな程に瞳には涙が浮き上がっていて、なんともおいたわしい風情なのだ。
だが、彼の言葉を聞いて納得した、ああそうだったのか、と心のどこかにあった違和感がするりと自分の中に納得するような形で転がり落ちてきたように感じたのだ。
(きみ達は同じ学び舎で肩を並べ、ともに真摯に法術を学ぶ学生である筈だ。そこに身分の差などない。彼女はことあるごとに、ルドヴィカに対し身分の差を強調し、自分とは違う立場だと言い聞かせるような言葉を繰り返している)
「え……なに?」
ルドヴィカにじっと見つめられて、彼女も何かを感じざるを得なかったのだろうか。ジェーンは怖気付くように立ち上がると、後ずさった。
ルドヴィカの方は動かない。大学内では見慣れた女性の顔だ。彼女と見つめあっている、それだけなのに胸のうちに色んな記憶が降り積もるようだ。
怒りも悲しみもない。ただああそうだったのか、とすっきりした感覚があった。
「ルイス嬢」
妙に頭の中が冴えていた。常の、よくものを考えずに要らんことを言うなと親や周囲から小言をぶつけられていたが、今彼女にこのことを言ってしまって良いんだという確証が胸のうちにあった。
ジェーンは困惑した様子で恐る恐る、といった仕草を交えながルドヴィカを見つめ返している。
「ルイス嬢はわたしのこと、ずっと見下していたんですね」
「え……?」
ジェーンと出会ってから、屈託ない様子でルドヴィカに接してくれる貴族の子女はとても少ない。彼女のような友人だと言ってくれる人間なんて、唯一無二だろう。
ジェーンに対してずっと妙な違和感があった。身分なんて気にしてない、とことあるごとに口にする彼女にどうして自分は心を開けないのだろう、と自分の捻くれまくった精神性に落ち込んでいたのだ。
そうじゃなかったのだ。
「ルイス嬢。わたしルイス嬢がこんなに優しくしてくださるのに、それに応える気になれない自分が卑屈なんだと思ってました。貴族と一緒にいると、惨めになるから嫌なんだって」
「……違う、の?」
不思議そうだった。ジェーンは心の底から疑問のようであった。ルドヴィカが、身分の差に引け目を感じて当然だと思っていたのだ。
ルドヴィカもそう思っていた。
だから気が付かなかった。
「庶民にと優しく手を差し伸べ、言葉をかけてくださる。その行動自体は素晴らしいと思います。ですが、ルイス嬢は庶民にも優しいんじゃなくて、庶民にだから優しくしてくださったのでは、ないじゃないでしょうか」
「何を……何のこと?」
自覚があったのか、無自覚だったのかはわからない。
思い返すとジェーンの言葉の端々にルドヴィカを庶民だからと、見下げる響きを感じていた。身分の差を本当に気にしていないのならば、有り得ない程頻繁にだ。
そこにあるこころは、ルドヴィカを好ましく思う慈しみの感情ではなく、飢えた者へパンを投げるような施しの感情からではないだろうか。
「悪いことではないと思うんです。でも、じゃあ尚更友達にはなれないと思う。すみません」
ルドヴィカという個人ではなく、身分の高い者しかいない空間で差別された下賤の者への施しは、確かに飢えはしのげるが身分の差を浮き彫りにするだけだ。そう思う。
「ルイス嬢。優しくしてくださって有難うございました」
なんとなくそうなる気はしていた。
ジェーンの瞳からとうとう涙が溢れだした。紅潮した頬を伝うそれは、どんな思いから流れたのかはルドヴィカにはわからなかった。