10
憤る彼女を眺めていると、手のひらに載せた儘だったカレルの声が、届いてきた。
(ルドヴィカ、彼女に訊いて欲しいことがあるんだが、良いだろうか)
「良いですけど、カレル様が直接お訊ねしたら良いのでは?」
なんとなくの流れでカレルはルドヴィカの頭上だの手のひらだのに収まっているのだが、別に彼自身はどこにだって行けるのである。喋りたければ喋りたい相手の頭にでも手のひらにでも乗ればよかろうに。
(いや、彼女とは直接話すのは避けた方が良いと思う)
「何でですか」
(うら若き淑女においそれと触れるのは、こんな姿でも抵抗があるんだ。察してくれても良くはないか)
「おい」
流石に素が出た。
手のひらに乗せた儘の水晶玉を再び眼前、自分の鼻先に触れんばかりに近付けながら睨みつけると、ルドヴィカは呻くように言葉を発した。
「自分でいうのもなんですけれどね? わたしも、それなりに若い娘であるのですけれどもね? カレル様、今誰とどうして会話しているのかを把握していただけませんかね?」
ルドヴィカの自宅にくっついてきた挙げ句、ルドヴィカの自室で一晩過ごしてみたり、それこそ婚姻の話こそあれど純朴な若い娘の頭上で呑気に喋ったりと好き放題しておいて、こいつは一体自分を何だと思っているのか。
(いや……それはわかっている)
「本当か? 本当に覚えてますか? この瞬間までわたしの存在のなんたるかを忘れておられたんじゃないかと、わたしは疑ってますよ心の底から」
ルドヴィカの言葉や声の含む怒気に、カレルはやや気圧されたようだ。言い訳染みた言葉を放つが、ルドヴィカはその声を掻き消すように畳み掛ける。
水晶玉は黙った。
薄ら薄ら感じていたことだが、カレルはルドヴィカを乙女どころか女だということも忘れているようだ。失礼が過ぎると思う。
「まあ……良いですけども」
こちらとて、しつこく問いただして逆に彼の機嫌を損ねるのは本望ではない。ここらで良かろうと、ルドヴィカは一先ずはカレルの自身とジェーンに対するあからさまな差については、黙ってやることとする。
「それで、何を聞いたら良いんですか」
(あ……ああ。そうだ、そのことなのだけど)
「あの、もしもし?」
気を取り直してジェーンに聞きたいことは何か、と改めて水晶玉に問いかけたところである。とうのジェーンが少しばかり気まずそうな顔をして、声をあげた。
「カレル様とお話……されてるように見受けられるけれど、ごめんなさい。わたし、放ったらかしにされるのは慣れてないの」
「ああ、すみません申し訳ない」
気まずげな中に多少なりとも不快そうな表情が見える。ルドヴィカは慌てて謝りながら、ジェーンと向き直った。
「カレル様が、ルイス嬢にお訊ねしたいことがあるそうなんです。よろしいですか?」
「まあ……そう。カレル様が。いいわよ」
昔から周囲には人々がいて、その人々に傅かれ逐一丁寧に扱われながら生きてきただろうジェーンにとって、完全に無視される状況というのは不快に違いない。未だ不機嫌そうな表情ながらも、カレルの名前を聞いては不貞腐れるわけにもいかないらしく、不承不承頷いて見せる。
「カレル様、それでなにを訊いたらいいですか?」
カレルが手のひら越しに伝えた言葉は、ルドヴィカにはさっぱり意味も意図も不明なものであった。
「……なんですか? それ」
(彼女には理解出来る筈だから、頼む)
「そうですか」
水晶玉を手のひらにのせた儘、すっとテーブルにおろした。
「ルイス伯爵は公爵派閥で間違いはないかと、仰っています」
沈黙がたった三人、それも一人はころんとまあるい水晶玉の姿をした人間には広く感じる室内を満たした。
今ここで、そんなことを訊かれるなんて夢にも思っていなかった。戯曲を演じているかのように、目を大きく見開いた彼女の姿はわざとらしくすら見える。
「なんで……カレル様、ご存知だったんですか?」
「カレル様、ルイス嬢。何のお話なんですか?」
動揺の大きいジェーンに驚きつつ、ルドヴィカはカレルに問いかけた。
ルドヴィカに知られたくなければ、それこそ自分がジェーンの頭にでも移動すれば良かったのだか、ルドヴィカが尋ねても問題ないと踏んだ。
しかしジェーンはそうは思わなかったらしい。ルドヴィカを制するように、右手をあげると阻止する為の言葉を発した。
「ルシカ、このことはあなたには知る必要のない、いえ、知ってもどうしようもないことだから」
「別にどうこうしようと思って訊いたわけじゃないですよ。気になるから訊いた。それだけです」
ルドヴィカの言葉に一瞬、ジェーンは不快そうに唇を引き結んでから何か言いたそうに口を開きかけて、しかし直ぐ閉じた。
「……」
「カレル様。カレル様は、わたしに訊かれたくはないですか」
(僕は、問題ないと考えている)
「だ、そうです」
「……何がだ、そうです。なのよ」
小さなため息が、手入れの行き届いた指先に零れ落ちた。
「わかりました。お話します」