6
執事の言葉を受け、真っ先に怒りを表明したのはルドヴィカでもカレルでもなく、彼の主だった。
彼女、ジェーンは少々わざとらしさを感じる程に深く眉間に皺を刻み、険のある表情を浮かべながら彼、レグスを睨み付ける。
「ちょっとレグ! ルシカが罪人なんてあり得ないってわたしが言ったの、聞いてなかったの!? 今すぐ謝って!」
「お嬢様のお言葉はご尤もだと思います」
全くお嬢様のお言葉を裏切る事に心苦しさなど感じていないかの如く、執事は平坦な口調で言ってのけると深々と頭を下げている。ここまで気持ちがこもっていない謝罪はいっそ清々しいな、とルドヴィカは思った。
「お父上の判断でございます」
「そんな……お父様が?」
ショックを受けたとばかりに口元を覆うジェーンに対するそんなってなんだよ、という感想はなんとか飲み込めた。まがりなりとも自分の無実を信じてくれている女性に対して、無駄に追い打ちをかけるのは良くないだろう。
追い打ちというのは、彼女の意思を無視した判断を彼女の使用人が勝手に下すわけがないだろうという、当然過ぎる指摘である。彼がジェーンの意向を無視したというならば、彼女よりも立場が上の人間からの命令を優先したからに他ならない。執事にとって、彼女より立場が上の人間など、ジェーンの両親だと考えるのが自然である。
執事はショックを受けているお嬢様をその儘に、こちらに向き直る。
「そういうことですので、ルドヴィカ様には屋敷にご滞在の間は、この部屋で大人しくしていただきたい」
「わかりました」
言われなくても、ルドヴィカとて無駄に疑惑を招くような行為をとるつもりなど毛頭ない。飢えない限りは大人しくしているつもりだ。
「物わかりの良い方のようで安心いたしました。この部屋の内側でならば、好きに寛いでいただいて結構でございます。後ほど飲み物もご用意いたしますので、暫くは好きなようにお過ごしください。勿論おやすみの際は別に部屋を用意させていただきます」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。後、別にこの部屋で寝ますよ。あっちに大きいソファあったので、横になるなら充分です」
「ルシカ……」
父親の判断を覆す程の権力など、彼の庇護下にあるジェーンには存在しない筈だ。気品と優雅さを求められるご令嬢にあるまじき表情を見せた理由は、従者に命令を無視されたと感じた故の怒りだろうか。
「お嬢様」
「……わかったわ。わかってるわよ」
悔しそうな言葉を残し、ジェーンは足早に部屋を後にした。それでも足音などが聞こえてこなかったのは、彼女の貴族としての立ち振舞いの賜物だろうか……ひょっとしたら、分厚い絨毯が音を吸っただけかもしれないが。
「失礼いたしました。お嬢様は繊細でいらっしゃるので、お気持ちがないがしろにされたと感じると、気分を害してしまわれるのです」
「それってただの我儘じゃないですか?」
彼の言葉をその儘信じるとするならば、ジェーンが怒りを覚えた理由は彼女にとっての友人が家人に罪人扱いされたことではなく、自分の主張が執事に無視されたところを重きを置いているという話になる。
ルドヴィカの疑問にイエスともノーとも答えずに、執事は深々と頭を下げるとわたくしも失礼いたしますと言い残し、扉の向こうへと姿を消してしまった。
「ま、いいか」
ジェーンの機嫌を損ねたのは自分ではないし、後々不機嫌を引き摺られたところであの執事が全て悪いとでも思っておこう。ルドヴィカは椅子を引いて座った。
「飲み物早く来ないかな」
思えば授業が終了してから、飲まず食わずである。昼飯を山程がっついたので胃袋の方は不平不満を漏らす感覚は未だにないが、喉の渇きはどうにもならない。
(随分と落ち着いているな)
彼らが立ち去るのを待っていたかのように、水晶玉が話しかけてきた。
「落ち着いてるわけじゃないですよ。あ、でも少し安心したところはありますね」
(安心した? 今のきみ達の会話のどこかに、きみの安全を保証するような話題などはなかったように思うが)
「だからですよ。無条件に信用されても怖いだけなんで」
ジェーンは全面的にルドヴィカの無実を信じてくれるが、彼女の根拠のない信頼は実に居心地の悪いものだった。
牢屋にぶち込まれたい訳でもないし、死罪なんて真っ平御免だ。しかし、だからって根拠もないのに無邪気に信用されるのもむず痒い。
「わたしがカレル様を誘拐したと罪に問われてもいたし方ない状況なのは、我々としても認めるしかない。ルイス嬢もわかってる筈なのに、わたしの無実を信じるらしいです」
(それの何が不満なんだ?)
不満、とは少し違う。信頼して貰える事はありがたいと思う。
「全身全霊の信頼なんて、あり得ないと思うんですよね」
(彼女の言葉が嘘だと?)
「そうとは言っていません。だけど心のどこかにもしかして、なんて気持ちあってもおかしくない」
自分を信じてくれる人間を疑うなんてなんてやつだ、とカレルは思うだろうか。
「ああ、本当にこいつは無罪なんだな、と認めるだけの証拠をなんとか提示したいんです。わたしは誘拐なんぞしちゃいないし、カレル様だって正直不愉快じゃありませんか? こんな貧相な小娘に誘拐されたと思われた儘なのは」
(自らを貧相などと貶めるのは、品性のない人間だと主張するのと同じものだと僕は思う)
「いや、そこはどうでも良いじゃないですか」
水晶玉の返事はない。気にせず続けようとするが、あまりにも返事がない為に早々に根負けしてルドヴィカは謝った。
「すみません。品性がありませんでした」
(きみがきみの努力や生き様を恥じていないのであれば、堂々としているべきだ)
「……そうなんですね」
言われたことのない言葉を投げかけられて、水晶玉のいる場所を避けつつ頭をかいた。
居た堪れなさが胸中に飛来した。それは、妙に擽ったさを伴っているように思えた。