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両親はともに平和主義といえば聞こえは良いが、何かといえば易きに流れがちな人間だ。その結果争いこそ起こらずとも、交渉相手に軽んじられてもへらへらとしている。その姿はルドヴィカには酷く卑屈に見えて嫌だった。
そのような考えを、ルドヴィカにも強いる事もあった。
そんな情けない両親を見てきて変わらなければ、と何時しかルドヴィカは思うようになっていたと思う。
自分は勉学に励む事で出世して、身分や性別など関係なく何かしらの結果を残したいと思ったのだ。
地位とは力だ。それさえあれば、力ずくで抑えつけられてもご機嫌伺いだけして過ごすなんて体たらくは避けられる筈と。
だから今日の縁談話。両親の取った言動は意外で仕方がなかった。
なにせ相手は公爵夫人である。確かに彼女には政治を牛耳る力も、民に何かしらの負担をかける権限もない。しかし彼女の後ろには公爵本人がいる。彼の意図がガートルードと同じだとしたら、どうだ。
彼女の後ろにある権力を考えると、あの提案を蹴るなどという行動は愚の骨頂でしかないと思う。そこまで考えずとも、公爵夫人の言葉は暗に命令している。彼らはへえこらと頭を垂れる以外の返事など最初から求めていないのだから。
その筈だった。
両親の反応はルドヴィカの予想を完全に裏切った。娘の意思を第一に考えて欲しいと、相手の立場を恐れていながらも、はっきりと口にしてくれた。
「わたしの方こそごめん」
ずっと両親を心の底で嘲っていた事をルドヴィカははっきりと、今初めて自覚していた。
これまで両親のような情けない人間にならないと思っていたのに、父がカレルとの縁談に拒否の姿勢を示した時にルドヴィカの頭をよぎったのは、ガートルードに従う事だ。何を思い上がっていたのか。媚びへつらう選択肢を選ぼうとしたのはルドヴィカ自身だ。
恥ずかしくて仕方がなかった。俯くルドヴィカにかけられたのは、のんびりとした声。わざと明るく振る舞っているのはルドヴィカにもわかった。
「何を言っているんだか。お前が招来素敵な旦那と結婚するのが俺達の幸せなんだから、気にするな」
「……エスキル様と結婚したら、幸せになると思った?」
ふと思い付いた事を尋ねてみる。彼らはお互いの顔を見合わせたあと、口々に話し出した。
「見ていたらわかるでしょ」
「そうだ、お前エスキル様を慕ってるじゃないか。エスキル様の話ばっかりしてな」
「それは、そう。だけど」
一旦頷いてみたがいや待てと考え直す。そんなにエスキルの話ばかりしていただろうか?両親と会話するなど、食事時くらいなものだが、そんなにか?
頭に手をあてて記憶を探る。そもそも自分はエスキルに恋慕を抱いていたのか?この気持ちは、仄かな憧れのように自分では感じていたが、はっきりとした恋心とまで行き着くものであるのだろうか。
困惑するルドヴィカにリアノルが追い打ちをかける。
「あんたがあんなに素直に慕って話をする殿方なんて、エスキル様だけでしょ。大学どころか、中等学校の頃から人の話なんてしないあんたがエスキル様の事になると、よく口がまわるから驚いたよ」
「あ。え。そ、う?」
庶民のルドヴィカは大学では孤立気味ではあったが、エスキル以外にも興味を持って話しかけてくれる学生もいるにはいる。それなのに、他の親切な学生に目もくれず自分は家でエスキルの話をばかりしていたのか。
「自覚してないの?」
呆れたように言ったあと、困ったように眉をひそめる娘に自覚なしと踏んだのか、母親は苦笑いをしたが直ぐに口を引き結ぶ。
「でもね。もうエスキル様とは関わらない方が良いかもしれない」
「うん……そうかもね」
その言葉はルドヴィカ自身強く感じていた事柄だった。
彼が進んで弟とルドヴィカとの婚姻を提案したのか、それともエスキルの口から解呪の力を持つ学生の話を聞いた公爵家が、強引にこの話を進めたのか。それは自分達にはわからない。
事実を確かめるには、公爵家の方々と顔を会わせる必要があるだろうが、ルドヴィカが何の障害もなく会える相手といえば、同じ大学に所属するエスキルだけだ。
しかし追及する事そのものをルドヴィカも、そして両親も躊躇っている。彼は確かに気さくで庶民にも屈託なく話しかけ、優しい人だ。
だけど今回の件でわかった。所詮彼は高みに生きている人間だ。自分達とは世界が違うのだ。
どんな理由があれども、弟に婚約の話を変更したところで、何の良心の呵責もないなら彼にとってルドヴィカはその程度の存在でしかないのだ。彼と関わるだけ、更に傷が増える。