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呪いと結婚  作者: 遠禾
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小鳥のさえずり、ぶどうのつる 1

 まじまじとそれの豪華な佇まいを初めて目の当たりにしたルドヴィカは、呆気にとられていた。

 ルドヴィカの常識からすると豪華どころか無為に華美に着飾ったとしか思えない様相のそれは、大袈裟ではなく乗り物なんかには見えない物体だった。威圧さが増して見える。つるりと磨かれた外観は夜闇にも光り輝くように、灯りに煽られて見える。 

 呆気に取られるルドヴィカが何をそんなに驚いてるのかわからない、というような表情でジェーンは無邪気に首を傾げている。

「ルシカ、何か変な事でもあったの?」

「え、これ乗り物なんですか? これに乗るんですか?」

 暗闇に慣れた目が認識したルイス家の紋章がでかでかと刻まれた、派手な装飾のなされた巨大な箱だ。箱にしか見えない。宝石だとかドレスだとか入れて、家の奥にでもこの箱ごとしまっておけとしか思えない。

 確かに町中でも貴族の馬車は見かける事もあるし、当然貴族の子女ばかりが通うファレスプラハにおいても、立派な馬車は当たり前のように闊歩しているのだが、改めて自分がそれに乗り込もうとした時に気付く。派手だ豪奢だ怖い、と。

 ルドヴィカにとっては真剣な問いだったのだが、向こうはそうとは捉えなかったようだ。何を言われたのかもわかっていないような不思議そうな顔で、ふざけてないで早く行きましょ、などと言う。

「馬車に乗らないで何をするって言うの。まさか、荷馬車みたいに荷物だけ載せろって? 流石に小さ過ぎるわ」

「いやだって、乗り物にして良いんですか?」

「まあだ言う。どこからどう見てもただの馬車でしょ?」

「ええ……」

 庶民、それも家業で時折貴族からの注文が入った時だけ豪華な食事にありつけるようなルドヴィカの家柄であれば、乗り物なんかは辻馬車が精々で、お抱えの御者が手綱を握る立派な馬車になどルドヴィカはこれまで縁がないものでしかった。

 が、そんな庶民根性の滲み出たルドヴィカの感想など、ジェーンにはふざけてるだけにしか見えなかったらしい。

 さっさと、それも慣れた様子でスカートが翻ったりせぬように、研究したかのような可憐な動作で場所に乗り込むジェーンを唖然として見送っだルドヴィカの肩を、そっと叩く者がいた。

「あ! は、え」

「どうぞお入りください」

 にっこりと微笑む使用人のアリサに促されておっかなびっくり、馬車の脚を踏み入れる。外装からも格式の高さ、この箱をひとつ作るだけにかかった金を考えると目眩がしそうだったが、また中は別の世界のようであった。

「好きなところに座って」

 ジェーンはにこやかに微笑みながらそう言うと、自らは沢山のクッションがうず高く積まれた座席にふんわりと腰をかける。

「座る? 本当に? 本当に座って良いんですか?」

「嫌なら立ってても良いけど、馬車が走り出したら絶対にこけるし、怪我するわよ」

「はい、すみません。座ります」

 なんという生地なのだろうか。厚みのある座席に掛けられた布張りに恐る恐る尻を下ろす。クッションの柔らかさが落ち着かない。

 朝から家の仕事をしていたルドヴィカの制服は、作りこそジェーンが着ているものと全く同じものだというのに、毎日洗濯出来る事もなく薄汚れていた。この箱の中に自分がいるだけでお貴族様の品位を落としそうで、気が引けて仕方がない。

「さあ、出してちょうだい」

 そう御者に伝えてアリサも馬車の中に素早く入り込むと、ジェーンの隣に座った。

 馬車が走り出す。

 こんな高価そうな物体に触れているのが信じられず、しゃちほこばったルドヴィカの表情は実に不自然だったのだろう。


 不自然には違いないのだが、ジェーンはルドヴィカの顔をまじまじと見つめたかと思うと、ひどく深刻な表情を浮かべた。

「ルシカ大丈夫なの? 気落ちしてる? そうよね、わたしに何か出来る事ある?」

「はい? 何がですか?」

 急にどうしたと言うのだろうか。

 気遣われた理由に心当たりがなく、何が何だかわからないルドヴィカはつい問い返した。

「えっ……だって、その。今辛い……んじゃ、ないの?」

 質問に質問を返された挙句、訝しげなルドヴィカの視線を受けたジェーンは何故だかぎくしゃくと、妙な表情でわけのわからぬ事を言った後、沈黙した。

 言葉を選ぼうとしているのか、はっきりとした事柄などは語らずになんとも曖昧な態度に、ますますルドヴィカは顔をしかめる。されど彼女は自身がルドヴィカを心配した理由を話すわけでないようで、こちらは首をひねるばかりだ。

 

「あ、もしかして罪人として処罰されるかもしれないと、わたしが気落ちしてると思ってますか?」

「え?」

 思い付く理由などこの程度だった。しかし、尋ねたもののジェーンの反応を見る限り間違いらしい。

「あれ、違います?」

 それどころかジェーンの方がルドヴィカを呆れたような視線を向けてくるのである。

「あんなの、口先だけに決まってるじゃない。刑罰程度にうちに軟禁して、反省したら直ぐ帰る事が出来る筈よ」

「ええ?」

 ふふ、と呆れたような笑みを浮かべたジェーンの姿は、不思議と常より可愛らしく見えた。

「公爵は短慮な方じゃないわ。寧ろ、吃驚する程気が長い方」


 ヴェルン公爵はエスキルと違い、普段は市井の民の様子を身に来る事などはあまりない。常に忙しく動き回っているようで、王都や他国に滞在している事も多く、領地に戻って来た時は殆ど屋敷にこもって仕事をしているようなお方だ。

「わたしもそう何度もお姿を拝見した事は、ないけどね。他領や他国に赴く理由は、盗む為だと聞くわ」

「盗む……ですか」

「そう。他国の発展の確信を、方策を常に見張って探して、その方法を自国に持ち帰る。常に国の事を考えていらっしゃるの」

「でも……それと、わたしの処遇が軽く済むと考える理由は関係ないんじゃ」

「言ったでしょ。短慮な方じゃないって」


 ヴェルン公爵は他国のまつりごとや、新たな方策だけではなく他国の人々の暮らし、犯罪、貧富の差。細やかなところにも目を向けねば気が済まない。

「そして得た知識が自国の発展にとって有益であるか、信頼出来る方々とともに日夜考えていらっしゃる。ルシカの身の振り方も、時間をかけて考えておられる筈よ」

「……はあ。でも、長考した結果死刑も有り得るのでは?」

「まさか!」

 急に大きな声を出されてルドヴィカはふわんふわんのクッションの上で、跳ねる程驚いた。馬車が単に石ころでも踏んだのかもしれない。

「よく考えたら、ルシカの事を死刑なんてする訳ないじゃない! こんな良い子なのに!!」

「……はあ」


 良い子の定義とは何だ。あなたはわたしを良い子と断言出来る程、一体何をご存知だと言うのか。

 熱弁を振るうジェーンを、アリサは相も変わらず泰然とした笑みを浮かべて見守っている。彼女は主人の言動を奇妙に思ったりしないのだろうか。それとも、主人の言動を全て愛するのが従属たる覚悟なのだろうか。

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