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質問の意図が掴めない。今カレルは無事……とは言い難いかもしれないが、一先ず公爵家を出た時と同じ姿の儘、彼らの前に戻ってきた。その上で当日の成り行きは既に話したとおりである。そこに何かしらの嘘や勘違いによる虚偽が発生したとして、彼が何を突き詰めようとしての質問なのかがわからなかった。仮にルドヴィカとカレルが出会った時間が公爵夫人との顔合わせの場が設けられた日であった事に、違いがあったとして一体何がどう彼にとっての問題となるのか。
わからないが考えるまでもなく、答える事は出来た。昨日の出来事だ、忘れる筈もない。
「はい。確かです。あの日に空飛ぶ水晶玉と出会い、カレル様だと知りました。間違いありません……何か不審なところが先程の話から感じられたのでしたら、わたしが改めて説明をさせていただきますけれど」
真っ直ぐとエスキルを見つめて答えてた。嘘偽りなどないが、何か思うところや疑いがあるというならばどんとこい、何でも答えてやるぞとという気合いを込めたつもりた。
ところがエスキルの反応はルドヴィカの予想外だった。何故か胡散臭い程の満面の笑顔を浮かべて見せたのだ。
「そうなんだ、それじゃ大変だったんじゃないか?」
先程までの思い詰めたような深刻な表情と、全身に張り詰めた緊張感は何処へと霧散したのか。声も朗らかだ。
「大変? 何の事でしょうか」
今度はルドヴィカが訝しげな表情を浮かべる番だった。謎のねぎらいもだけれど、先程の真剣な様子から急に明るく話しかけられたとして、不自然極まりない。
警戒心が生まれた故か無意識に少々後ずさるが、エスキルはルドヴィカの反応など気にも止めてない様子で離れただけ、近付いてくる。
殆ど暗闇に覆われたかのような時間においても、発行するようにきらめく金髪の下の笑顔は確かに変わらずエスキルのもので、その麗しい姿は何も変わらない。何も変わらない筈の彼の姿が今は非常に胡散臭く感じる。近寄りたくない。
不意にエスキルの顔が近づいて来て、否応なしに相まみえた瞳を認識した瞬間、漠然とした違和感がはっきりとした嫌悪に変わる。
この人はこんな人だっただろうか。
ずっと、ずっとそれはルドヴィカの心中に留まり続けた思いだった。
思えば結婚の話からして彼らしくはなかった。エスキルなら自分の口から、正式な手順が必要だとわかっていても……当人であるルドヴィカに伝えようとするだろう。顔合わせの当日まで彼の方から一切、この結婚に関する話をエスキルが口にしたことはなかった。意図的に避けているようですらあった。
婚約話がなかった事にされた後もそうだ。彼なら否応なしに弁解をしに、ルドヴィカの姿を町中探し回りそうなのに、寧ろ今日顔を合わせた瞬間のあの気まずそうな顔。嫌な事柄から逃げにかかるような人だとは思わなかったからこそ、ルドヴィカは彼の行動に憤慨し、軽蔑したのだ。
こんな人だとは思わなかった。
ずっと、ずっとルドヴィカの胸中にはこの言葉が渦を巻いている。
今もそうだ。ルドヴィカがエスキルと過ごした時間などほんの僅かではあったが、その些細で微かな対話の中に、こんな不気味な雰囲気が彼から滲み出た事はなかった。
この人は本当にエスキル様なのか?
胸中で呟いたと同時に、ルドヴィカの頭の中に水晶玉の言葉が届いた。
『何を企んでいる?』
カレルの言葉が脳裏に響いたの同時に、エスキルが口を開いた。
「幾らか、払おうか」
「……は?」
怪訝さを隠しもしない。カレルの言葉の意味も問う余裕もなく、ただ疑問を音にして呟いただけだ。
凝視する先で美しい面差しに不気味な笑みをたたえたエスキルは、想像もしなかった事を口にしたのだ。
「きっと大変だったでしょう。ルドヴィカの家が、母上を迎える為の衣装を誂えるのは。当然、母上に見合うものが用意できたなんて思わない。でも、きっときみ達は精一杯だったんだろうし、俺はその涙ぐましい努力を否定するつもりはないよ」
唖然として口を開いた。咄嗟に何か言いたいのに、なんと言ったら良いのかわからない。口を開いた儘阿呆のように相手を見つめる。
ただ不気味な笑顔の美しい男の口から溢れる声は全て、ルドヴィカとルドヴィカの家族を貶める為の言葉の羅列しかないという事が、じわりと頭の中に染み込むように理解がゆき届いた。
「母上の為に誂えた衣装、森にまで入ったのなら随分と汚れたんじゃないか? ルドヴィカにとっては豪華なドレスかもしれないけど、大丈夫。俺の持つ小金程度あれば片付くだろうし」
この人がこんな人だとこれまで気が付かなかった自分は、とんでもない愚か者である。
人を厭い疑い深い自覚はあった。自分は他人を精一杯疑って疑って疑いかかる、そんな性根の腐った輩であると。だからこそ、中々他人に心を許せない自分にもうんざりしながらも、他者の選別にある程度信頼があると思っていた。
どうしてこんな奴を一度でも結婚したいとまで、思い詰める程信じたのか。
「……必要ありません」
おろおろと、ルドヴィカの顔を覗き込むジェーンの視界の端での動きも、何やら頭上で兄に対する疑問を呈するカレルの言葉も入って来ない。
不思議と涙は出て来なかった。あるのは、失望ですらない乾いた感情。
言葉にするなら、軽蔑というそれが一番近いように思った。
「施しなどは必要ありません。わたしはもう二度と、エスキル様に施しも、御縁も承ることもございません」
慇懃に告げて深々と頭を下げる。
エスキルの反応はない。無表情に顔を上げる。見上げた先には、笑顔を消したエスキルともとより無表情の彼の従者、狼狽えるジェーンの姿がある。
「ルイス嬢。ルドヴィカ伯爵邸へ参りましょう」
「えっ! ああ……うん、うん?」
ルドヴィカとエスキルの間で交わされた会話の白々しさと、底に澱むような攻撃性に気が付いてはいるのだろうが、自分がどう立ち回るべきかまでは思考がまわらなかったらしい。
「わたくしどもはここで失礼いたします。エスキル様、ヒュー様ごきげんよう」
慌ただしくも貴族の娘たる故か、優雅に舞うような礼を披露すると、拾うようにルドヴィカの腕をひいた。
「失礼します」
ジェーンのような言葉遣いも礼儀作法も知らないし、する気にもならない。一瞥しただけの、不敬になりそうな言葉だけ残し後に続いた。
馬鹿にするな、ふざけるな……絶対に、許さない。
自分自身に誓うように、ジェーンに掴まれていない方の拳を握る。
あんな男の事が好きだったなんて生涯の恥だ。有り得ない。