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渡り廊下を終えて学び舎に戻り、大学を出る為に廊下を歩いている間も依然公爵家の方々は無言を貫いておられていた。彼らの間では何時もこうなのかは、まあこちらが考えても詮無いことではある。
彼らだけではなく、ルドヴィカの頭上にいるカレルにもエスキル達は対話を求めようとはしなかった。昼間、水晶玉の弟と再会した時には激しい怒りを持っていたように見えたにも関わらず、今のエスキルは学務長の前で再開してからは見向きもしない。
あのエスキルの怒り叫びは心配故の反動から来たものだとだとばかり思っていたのに、今の彼は弟に一切合切の興味関心を失っているようである。
(……カレル様もエスキル様の名前を聞いた時に、妙な雰囲気だった)
やはりこの兄弟の間ではわだかまりのような、亀裂のようなものが挟まっている。ルドヴィカには関係ない話であるし、首を突っ込むのは無粋であろう。だが、あまりにもあからさまというか目につくのはなんとかならないものか。
無言の儘に廊下を抜け、広い敷地に出た。広場の向こう側に馬止めがあって、そこにジェーンの従者が待っていた。彼らに向かい、ジェーンが手を振って見せた。
「ごめんなさい、遅くなったわ」
「とんでもないことでございます。お嬢様のご無事のお帰りを、首を長くしてお待ちしておりました」
御者台の上に座った壮年の御者の前に立つ女性もまた、御者と同じ年の頃だろうか。目元の笑い皺が彼女の人となりを伝えるようだ。
ジェーンは擽ったそうに微笑むと、ルドヴィカの手を掴んだ。何故急に掴まれたのかわからないが、目を丸くしている間にもぐいぐいと押し出されていく。
「この子、この子が今日から家で暮らす子よ、ルドヴィカっていうの。ルドヴィカ、二人は家の事をしてくれている人達よ。仲良くね!」
にっこにこの満面の笑みだ。ジェーンのご機嫌が大層麗しいのは良く分かったが、その説明は誤解を生む。庶民が伯爵の養女にでもなったかのように聞こえるのでどうかと思う。
使用人とはいえども伯爵家に仕える人々には仕事に相応した、それなりの身分が与えられるとか聞いた事がある。
彼らからすれば、一庶民のルドヴィカに頭を垂れるのは屈辱的なものがあるのではないか。
しかし、御者も帽子を脱ぎルドヴィカに頭を下げ、使用人の女性は自ら名を名乗った。そこには、ルドヴィカを蔑むような空気は感じられない。
「わたくしはアリサ・ランクルと申します。御者の男はケンリ・ハーザー。無口ですが悪い男ではありませんので気軽に話しかけてくださいませ」
闇の中にふわりと浮かび上がる光源の炎が焚かれた中で、はっきりと互いの顔が見えなくても彼女が笑顔を見せてくれるのはわかった。
「ルドヴィカ・バレンシスです。すみません、お世話になります」
ジェーンが誰彼構わず明るく積極的に話しかけるような人物だからか、従者も同じように身分で他者を隔てるような事はしないのかもしれない。
「では、わたくしどもはここで失礼いたします」
ジェーンが背筋をのばし、やや後方で様子を見ていたエスキルとヒューに向き直る。
彼女の視線を追って、公爵家の方々がいるのに気が付いたらしい彼女らは慌てて居住まいを正し、慌てて深々と頭を下げた。
「これはこれは、エスキル様がおいでとは……大変ご無礼を」
「いやいや、俺達がぼうっとしていたのがいけないんだ。ごめん、気にしないでくれ」
鷹揚に頷いて見せると、エスキルは自身の従者を振り返って見せた。
「俺達も屋敷に戻ろうか、ヒュー。もうやることも出来る事もないもんだしな」
従者も主人の問いに言葉少なに頷いて見せる。
「はい」
最後までまともにカレルに話しかける事はないのだな、とぼんやりと思いながら彼らのやり取りを見守っていると、急にエスキルがルドヴィカに向かってきた。
その表情には妙に真剣で、覚悟を決めたかのような深刻さがありありと浮かんでいる。
「ルドヴィカ、聞きたい事がある」
カレルは勿論ルドヴィカにだって、彼は学務長の部屋で顔を合わせてから一度も我々に関心を寄せて来なかったのに何なんだ、と思いながらエスキルを見上げた。
「はい……わたしに答えられる事でしたら、どうぞ」
カレルとの出会いについては隠すことなく全てを話したのだから、何を気にしているのかと思いながら、緊張感を纏うエスキルの言葉を待つ。
「水晶玉を見付けたのは、母上と会った日というのは本当か?」
「……は?」
「は? ではなくて」
至って真面目な様子である。世間話をするにしては深刻な声と口調に、ルドヴィカは戸惑った。