18
まず最初に一体何がどうなって現状に陥っているのか、ルドヴィカ以上に何もわからないジェーンにも事情がわかるように順を追って話す必要がある。
「ジェーン・ルイス嬢。今の言葉でカレル様が気分を害したなんて事はないと思います」
「ほ、本当?」
カレルに礼を失したと、未だ不安そうななジェーンに頷く。
「今のカレル様は水晶玉の姿をしている為か、わたし達のように口を動かして会話する事は出来ないみたいなんです」
そうですよね? と確認を取る意味で一度沈黙を挟むと、カレルの言葉がルドヴィカの中に流れ込んでくる。
『そのとおりだ。僕に触れている人間にしか、僕の伝えたい事が伝わらない。頼む、そこのご令嬢に伝えて欲しい。僕は受け入れ難い異常事態を前に、怯える女性を恫喝するような人間ではないと』
「ありがとうございます。今わたしはカレル様の言葉を聞いて、話しています。理屈はわかりませんが、カレル様に直接触れていると仰りたい事が、わたしに直接伝わってくるんです」
「あ、だから頭に?」
「はい。それと、カレル様は怒ってないから安心して欲しいそうです」
頷いて、ルドヴィカは頭の上にいる水晶玉に問いかける。
ルドヴィカの言葉に、ジェーンもほっとした様子だ。胸を撫で下ろし、深く息を吐いている。
「カレル様。わたしもあなたにお会いするまでの出来事がわからない為、説明が出来ないです。こうなったからには、最初から話していただけますか」
『僕から話す事は殆どない。どんな理由で、何者から呪われているのかもわからない状態なのだから……それでも良いなら、きみの口を通じて話してくれ』
そう言って、カレルは話し始めた。
それを伝える術はルドヴィカの口しかない。カレルと同じか、それ以上の情報を持っている筈なのにも関わらず、一貫してだんまりを決め込むエスキルに不穏なものを感じながらもルドヴィカは頭の中に直接伝わってくるカレルの言葉に集中した。
それは前触れもなく、突然起こったのだ。
体調に変化が起こっただとか、不安や気持ちに乱れがあったなんて自覚症状らしきものも、記憶を遡っても感じられなかった。本当に唐突に、それは彼の身を襲った。
夜中に寝苦しくて目が覚めた、とその時は思ったとのだという。
『不思議なのは苦しかった筈なのに、目覚めた時は体調に不安は微塵もなくなっていた事だろうか。こうなっていたと考えると、当然の事だろうが』
目が覚めたら水晶玉になっていた。知らぬうちに自らの肉体が、生命を本来持たない筈の冷たい結晶となっていたとはどのような気分なのだろうか。
手足を伸ばす事も、意思を伝える為の顔を存在しない。ただの水晶玉ではない事は自由に動ける事や、目玉がなくても視覚情報を得る事が出来る。
当然の事ながら、最初は水晶玉になったなんて考えもしなかったという。
『ベッドを始め他の家具や、調度品。いや部屋そのものが大きく感じて驚いた』
貴族の部屋ってただでさえ大きいだろうに、それが自身が小型化した事で更に巨大化したと思えたと考えると、混乱だけじゃ収まらなかったのではないだろうか、とルドヴィカは思う。
彼は直ぐにベッドから降りて、寝台の傍に設えた卓の上の呼び出し鈴を鳴らそうとした。
呪法のかかった鈴であり、持ち上げただけで持ち主専用の召使の耳に音が鳴るのだ。
しかしそれを持ち上げる事が、カレルには出来なかったのだ。
手も足も存在しない自分は、誰の手助けを呼び込む事が出来ない。自分の姿がどうなっているのか、幸いな事に移動は問題なく出来る。
恐怖心がなかったと言えば、嘘になる。その時カレルの頭には自分の身に呪いが降りかかったのだ、という考えが既にあったからだ。
『悍ましい化物の姿にされているのかもしれない。魔物だと罵倒され、神官や魔術師に討伐されるのだと恐れ慄きもした』
「怖かったですね」
下手な同情など、却って憤りに繋がるかもしれないがルドヴィカは口にしていた。やはり、自分は思慮深さが足りない。
『怖いよ。今も怖い』
「……そうですよね」
ルドヴィカの目には、カレルは随分と水晶玉の姿を楽しんでいるように見えた。何なら、水晶玉の姿形の儘でも彼は楽しく暮らしていけるのでは、なんて思ったりもした。
だけど、彼は元に戻りたい。だからこそルドヴィカを探していた。
得体の知れない水晶玉の肉体と、元の自分が取り戻せないかもしれない恐怖は、想像つかない。
『とにかく自分の姿を確認しなくてはならないと、姿見の前に移動したらこんな水晶玉が転がっていたんだ。言葉もなかった』
水晶玉になった直後は自身の大きさが変えられるとか、空中に反動なしに跳び上がる事が可能だとか、全くわからなかった。従者も呼ぶ事は叶わず、自身の常よりあまりにも広く孤独を感じる部屋で現実に耐え忍ぶしかなかった。
だがその時間も長くはなかった。
「……カレル? カレルか? お前!」
たった一人の公爵家の兄。神殿との血の濃さを示す水色の瞳と、端正な顔。
屋敷中に響くような大声で、水晶玉と化した弟をすくい上げたのは、似ても似つかない自分の兄だった。