17
水晶玉はルドヴィカの頭上で一度、軽く跳ねたかと思うとルドヴィカとジェーンの中間程の位置にふんわりと落下した。
「これがカレル様なの?」
驚きを露わにしたのは、当然といえば当然だがジェーンだった。
他の人間は当然ながら空飛ぶ水晶玉の正体など既に承知、とばかりの顔をしている。エスキルの従者も特に反応しない事から、粗方の事情は主人から伝わっているのだろうか。詮索しようにも、ルドヴィカの目には彼の目には感情らしいものは見付けられない。
「これ呼ばわりは失礼じゃないですかね」
信じられないのは無理はないが、このお方はこの土地を治める公爵家の次男である。半信半疑にしても、礼を欠かしてはならない相手であってその物言いは不敬にあたるように思い、ルドヴィカはジェーンを咎める。
「そ、そうね」
ルドヴィカの指摘に目を丸くした後、ジェーンははっとしたように身を正し、水晶玉に向き直った。
「大変失礼いたしました。お初にお目にかかります、ジェーン・ルイスと申します」
制服のスカートの裾を持ち上げると、床に転がった水晶玉に対して優雅に礼をとった。
確かに彼がカレルに間違いないのだが、伯爵家のご令嬢が球体ひとつに家臣の礼を取る姿は茶番以外の何物にも見えない。と、指摘しておいてなんだが、ルドヴィカは要らない事を言ったかもしれないと内省した。
なにせ水晶玉は物を言わない。彼のご機嫌が如何なものかは直接触れなければわからないのだから、ルドヴィカの勝手な独断で忠告するのは差し出がましい行為であろう。そう思いエスキルの表情をそっと窺った。
昼間の剣幕から察するに、エスキルにとっては感動の再会であろうに、彼は気難しい顔をして水晶玉を凝視している。ルドヴィカ達が弟への不敬がどうのと囁きあっているのも、眼中にないようだ。
「どうしようルシカ、カレル様が応えてくださらないのだけど! 気分を害してしまった!?」
慌てふためいた様子でルドヴィカに詰め寄ると、小声でジェーンが捲し立ててくる。何の匂いかわからないが、華やかな香水がルドヴィカの鼻腔を擽るのに動揺した。うら若き高貴な身分のお嬢様に触れるなんて、それこそ不敬ではないかと、緊張が走る。
「待って、待ってくださいジェーン嬢。カレル様は今、話が簡単に出来ないんです」
ジェーンから距離を取りつつ訴える。ジェーンの方は自分がルドヴィカから離れようとする意図があるなど、頭にもない為その分距離を詰めてくるだけだった。
「話が出来ない? どういう事?」
「それは……」
公爵家の深い話をそもそもたかだか一時行動をともにしただけの庶民の自分が、勝手に代弁するわけにはいかない。ルドヴィカは口籠る。
カレルが話が出来ない状態ならば、彼の事情を承知しているだろう兄のエスキルが、説明するのに適任だろう。
最初からジェーンを学務長が招き入れなければ、このような手間が発生する事はなかったのに、と内心で苦々しく考えていると、再び水晶玉が宙を舞った。
「跳ぶんだ……」
先程見ただろうに、ジェーンが新鮮に驚いた反応をしている。
彼女含めた全員の注目の視線を浴びながら、水晶玉が再びルドヴィカの頭上に落下した。
『すまない、きみには迷惑をかけるが、僕に代わって話をしてもらえないだろうか』
「わたしで良いんですか?」
もっと適任がいるのではないか、とエスキルの方に視線を向けると、剣呑な眼差しをこちらに向ける彼とばっちりと目が合ってしまって、緊張に全身が強張る。
自分がエスキルに睨まれる謂れはない……と言いたいところだが、水晶玉がカレルだと知っていて、自宅に連れ帰ったのは事実である。うまい言い訳が出来る気もしない。
やはりエスキルや第三者から見ると、自分はカレルを拐かした犯罪者のようなものに見えているのだろうと思うと、ぞっと肝が冷えた。
カレルは兄の視線には気付いていないようだ。
『きみを巻き込むのは心苦しいが、信頼出来る人間が他にいないんだ、頼む』
「信頼って……」
自分は彼と出会ってから一日も経過していない。彼の顔すら存じ上げていないというのに、どういうつもりでそのような言葉を受け止めて良いのか。
『頼む』
「わたしもカレル様の今日に至る経緯を、出会ってからの出来事しか知らないんです。それでも良いのですか」
『それも含めて、話すべきと思っている。こうなっては仕方がない』
全く面倒な事である。自分は彼にかけられた呪いを解いて、褒美をいただけたならそれで良かった。このように私利私欲で生きている人間であるのだから、呪いをかけられた高貴な方を救おうという使命感もなければ、自分の解呪の力で人々を一人でも救いたいなんて正義感もない。
「出会ったばかりの、出自も良く知らないような他人をそのように過大な信用を向けると、ご身分からすると問題だと思いますよ」
溜息を吐いて、その場にいる面々の顔を見渡した。彼らからすると、ルドヴィカが延々と独り言を呟いているだけにしか見えない筈だが、誰一人笑いもしない。
不思議な事だが学務長を含めてこの場にいる人間全てが、ルドヴィカをこの場の中心人物として、カレルの代弁者として認めているようだった。
「カレル様のお許しが出ました。これまでの経緯をお話させて、いただきます」