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呪いと結婚  作者: 遠禾
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 咄嗟にカレルの名前を呼ばなかった事を褒めて欲しい、それ程に彼の行動はルドヴィカを驚愕させた。


 衣服を破るつもりかと疑う程の力で、ルドヴィカを取り押さえた男達の下卑た笑い声が唐突に途絶えた。

「かっ……」

 名を呼ぶのを堪えたのは、殆ど奇跡のようなものだった。


 男の手が離れる。脱がされかけた外套を引き戻し、羽織り直しながら見上げた先では、ディックの脳天に水晶玉が勢い良く放たれた銃弾のようにぶつかり、跳ねた瞬間だった。

 何度もルドヴィカの頭上にも落っこちてきた水晶玉だが、痛みどころか重さすら殆ど感じなかった。それなのにディックの様子は、煉瓦の破片が落下でもしたかのような衝撃を受けて見える。

「……ひょっとして、重量も速さも変えられるの?」

 大きさを自由に変えられるのだから、重さも自在に変化させられる事が出来たとしても、不思議ではない気がする。


 とにかくカレルを隠さないといけないだろう、それが最優先だ。

 得体の知れない水晶玉を持ち運んでいただけなら、最悪でも大学を退学になる程度で済むかも知れない。水晶玉の入手経路だのどういうからくりで飛び跳ねるのかなど、追及されると面倒臭い事になるがそれでもまだましだ。

 しかしその正体がカレルだとばれた日にはルドヴィカにどんな処遇が下されるか、わかったもんではない。

 呪いをうけて不自由な姿となった公爵家の息子を、庶民が隠していたなんて下手をしたら不敬罪でも物足りない、ととんでもない罪状が下される可能性すらある。それは考えるだけでぞくぞくと背筋が冷えるような未来だ。

「待って!」

 後ろ向きに倒れたディックに追い打ちをかけようとばかりに、水晶玉が天高く舞い上がった。彼の声が聞こえない以上、どこまで相手に憤怒をぶつけたら気が済むのか、想像も付かない。下手したら殺してしまいかねないとすら、思う。


 ディックの頭上に真っ直ぐ、異常な速さで落ちていく水晶玉へと飛び付こうと腕をのばす。

 届かない。

 ルドヴィカが飛び出してのばした腕の先、手は空をきっただけだ。


 あいつの、ディックとかいう輩は心底憎い。祖国にさっさと帰れ、出来たら自業自得でえらく手酷い目に遇って怒り、地団駄踏みながら走り回ってろと心の底から思うが、だからといって死にそうにまでなるのを見せられるのは清々しくないどころか、目覚めが悪い。

 しかしルドヴィカは間に合わない。

 手に負えない未来を想像した、その瞬間だった。


 鈍く、頭に鈍痛が響いた時のような低い音がしたかと思えば、水晶玉が目の前で吹っ飛んでいったのだ。

「……へ!?」

 何が起きたのかと、その場に呆然と立ち尽くしたルドヴィカが向けた視線の先にいたのは、長身と光を集めて振りかけたような輝く金髪の持ち主。

「あ……」

 名前を呼びかけて、口を噤んだ。彼の持つ気配、いやそれよりももっとはっきりとした彼の感情が滲み出たかのような表情に恐れをなしたという方が正しい。


 エスキルは何やら透明な長い棒らしき物を持ち、恐らくそれで水晶玉を横殴りに打ち飛ばしたのだろうが……常なら穏和に微笑んでいる水色の瞳を、ぎりぎりと吊り上げている。その形相は憤怒という言葉をこれ以上ない程に表しているように見えた。

 明るく人当たりの良いエスキルの姿しか見て来なかったルドヴィカは、驚きのあまり彼を見ているしかない。彼もルドヴィカの姿は目に入っていないように見えた。


 エスキルが口を開くまで水晶玉がふっ飛ばされてから、数秒程度だろうが異常に長く感じた。それ程に、美麗な男の殺気を帯びた表情は身が竦み、まさに蛇に睨まれた蛙ような心持ちだったのだ。

「……阿呆か」

「へ」

 やはりルドヴィカの事など視界に入ってないのか、低い声で独り言よろしく呟くと、エスキルは水晶玉が飛んでいった方にのしのしと歩いていく。一歩一歩、地面を蹴飛ばすような荒く粗野な足取りは、見目麗しくともとても貴族の嫡男には見えない。

「おい! いるんだろ出て来い!!」

「あ」

 彼の言葉に漸くルドヴィカは合点がいった。彼は、水晶玉の正体を知っているのだ。

 公爵家がカレルが水晶玉の姿に変えられたからと、ルドヴィカに呪いを解くように話を持ちかけてきたのがエスキルとの結婚の話の発端なのだ。エスキルが弟の現状を知らない筈がない。


 水晶玉は現れない。こちらからは水晶玉に触れていないとカレルの声は聞こえないが、逆はその限りではない。間違いなくカレルにエスキルの声は聞こえている筈だ。それなのに彼が出て来る気配がないという事は。

「そういえば……」

 ルドヴィカが解呪の依頼を受ける事にした際に、カレルは公爵家に褒美の話を持っていく事も、解呪への協力を仰ぐ事も拒否を示していた。

 もしかしたら、それはエスキルに自身の現状を知られる事への抵抗があるのだろうか……ひょっとして、二人の間にはわだかまりのようなものでもあるのか。


 そう考えると、エスキルの話をしただけでカレルの態度が硬化したように感じられたのも納得がいく。

 考え込むルドヴィカの視線の先では、エスキルが苛々と謎の透明な棒を肩に当てている。ガラが悪いな、と貴族に対する庶民の感想にはあまりにも不釣り合いな事を考えた。


 その瞬間である。我慢の限界、というようにエスキルが言った。

 言ってしまった。


「カレル!! 人を心配させて何してるんだお前は! 素直に出て来い!!」

「何でそれ言っちゃうんですか!?」

 思わず絶叫したルドヴィカを振り返ったエスキルの顔は、忘れられないものだった。

 先程見せた鬼の形相は何だったのか。間抜け面でやっちまった、と小さく呟いたのがはっきりと聞こえた。阿呆なのはあなたですよ、と余程言いたい。

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