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呪いと結婚  作者: 遠禾
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7

 下町には勿論、社交界にすら全く姿を現さず下々の人間は人柄はおろか、どんな姿形なのかすら知らないカレルが、下々の者が貴族社会との溝をあって当然のもの。貴族は庶民を見下していると、他ならぬ庶民側が見做している事実に衝撃を受けるような感性を持っていたのは、少し意外だった。

 先程、他の学生にルドヴィカが皮肉と嘲笑をもって近付いてきた時も、そういえば学生としても、貴族の振る舞いにしても失格だとばかりに憤慨している様子だったな、と思い出すと同時に、あの時ずっと何か言おうとしていた事を思い出す。


「カレル様、先程何か言いかけてましたよね」

『ああ。気になって仕方がなかったんだ』

「今なら聞きますよ。何でしょうか」

 ルドヴィカがそう言った時だった。急に遠くに存在していた人間のざわめきが、近付いてくるのを感じて口を噤む。

 学内で浮いた存在である自分に話しかけて来るのは、エスキルや一部の学生を除くと朝にルドヴィカを馬鹿にして嗤ってきた人間しかいないのだ。

 予測のとおりだ。嫌な表情を浮かべて近付いてくる人間達は、朝ルドヴィカに絡んできた学生達の一団であった。しかも、朝より取り巻きが増えている。


 まだルドヴィカの事を馬鹿にしたりないのかと思うと、一度は収めた矛を振り回してぶつけたい気持ちが膨れ上がってきた。何なら、今目の前にはルドヴィカの食事が載った食器が鎮座している。

 これをぶつけてやろう、ぶつけるならば急いで平らげねばならぬと銀食器を握り締めたところに、にやにやと下品な笑顔を浮かべた男がルドヴィカの顔を覗き込んできた。


「やあ、お腹空いてて大変なところ悪いんだけど、庶民ちゃんとお話したいんだよね」

「うるさい。消え失せろ」

 尻尾巻いて逃げるのならば、食器を投げつけるのを自粛する事もやぶさかではない。睨み付けて、野菜によく知らない赤くて甘みの強いソースがかかったものを口に入れる。

「かわいそう、マナーもわからないんだねえ」

「うるさい、消えろって言ってる」

「口の中に食べ物があるのに、口を開くのは見苦しいよ、そんなんじゃあお嫁さんにしてあげられないよ。残念だなあ」

 無言でナイフを駆使し、薄い肉を重ねて間に香草や苦い果物を挟んだ、味の楽しみ方がよくわからない主菜を口に放り込んだ。食べてみると、苦みが肉の香ばしさが増すから不思議だ。


「あのさあ」

 ディック・エイド。朝エスキルとの婚姻の事を持ち出してルドヴィカを嗤った男が、少々苛立ったような声を上げた。

「きみ如きをこんなに構ってあげてるのに、その態度は不遜というか、あり得ないんだよ? 本来頭を垂れてありがたがるのが、きみらの役割なんだ、わかる?」


 わかるか、くそが。胸中で毒吐きながら、柔らかい肉を噛み千切り、咀嚼して飲み込む。

 果物をすり潰して、甘いシロップと合わせて上等な水に溶かしたジュースを口に運んだ。早く食べ終わりたくて急ぐのを、頭上の水晶玉が『食事は見た目も楽しむものだ。そう焦って味わうのを忘れるのは、料理人に対しての敬意が足りないと思う』とかほざいているが、無視した。


「へえーそうやって、身の程知らずを貫き通すんだ?  立場を弁えないのは、どんだけ恥知らずか知らないのかな? 無知は身を滅ぼすって本当だね」


 そう言って、いいとも言っていないのにルドヴィカの対面の席に腰を下ろすと、ディックは先程よりもルドヴィカに顔を近付けて、耳元で囁くように言う。


「それとも、水晶玉とお話するのに忙しいのかな?」


 喉を通り過ぎようとしていた食べ物が、そこで止まる。喉が詰まる感覚に、むせかけながら慌ててジュースで喉を潤し、ディックを見た。

「見たやつがいるんだよ。きみが、水晶玉と仲良くお喋りしてるの。水晶玉は何も発してないのに、高貴なお方を前にするみたいに。あんな風に僕にも態度を改めて欲しいなあ」

「……何で」

 

 自分でも何故と問うたのか、わからなかった。


 下卑た笑みを顔に貼り付けた男は、見た目こそそれなりに整っていたがぞっとする程、奇怪なものに見える。

 濁って見える緑色の瞳は、まるで汚染された水のようで生理的な嫌悪感に椅子ごと後ずさる。男は、遮るようにルドヴィカの手を掴んだ。


 父親以外の男に触れられるなんて経験は、ルドヴィカにはない。ぞっとして手を振り払おうとしたが、腕力では刃が立たない。

 見渡せば、ディックの仲間達がルドヴィカを取り囲んでいた。逃げられない。


「なんでも、水晶玉に向かってカレル様って話しかけてたらしいじゃないか……ねえ、今カレル様どこにいるのかな? エスキル様に振られたから、カレル様に乗り換えたいのかな?」


 本心から、ルドヴィカが話しかけていた水晶玉をカレルだと思ってる訳ではないだろう。エスキルとの婚姻が無駄になったショックで気が触れたとか、物言わぬ水晶玉と話をする気狂いだとか思ってるに違いない。

 こいつらはルドヴィカを辱めるネタがあれば、何でも良いのだ。ルドヴィカが水晶玉とお喋りをしていた、などという格好のネタが手に入ったから遊んでいるだけ。

 

 わざとらしい声で、一人の男が言った。

「よく考えたら、きみ如きに水晶玉を手に入れる財力ないね、ないよね? 盗んだんだな」

「それはいけないな。取り押さえろ。盗人だ」

 横から腕が伸びてきて、ルドヴィカを無理矢理立たせると羽交い締めにした。


「離せ……離せっ!!」

「水晶玉を素直に出したら、何にもしないよ」

 する気ははなからないが、自由を奪われているのに、出来る筈がない。

 抜け出そうと必死に藻掻くが、ますます強く取り押さえられるだけだ。知らない男の体温や息遣いが傍にあるのに、嫌悪感が一気に募り涙が出そうだ。


「身体検査でもしなくちゃ、出しそうにないな」

 男達の腕がのびてくる。口を抑えられた。他の学生達は気付いているのかどうかわからないが、助けてくれるとは到底思えない。抑える手に噛み付こうにも、口は力尽くで抑えられて、開けそうにもない。


「じゃあまず、衣服にひそませているかの確認からだな」

 ディックの手が、ルドヴィカの着ていた外套にかかった。その手付きの意味はわからないのに、これまでの罵倒や皮肉なんて比べものにならない程、酷く貶められるような気がした。

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