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授業がある間は敷地から出る事を、学生は許されていない。食事なども敷地内にある食堂でとるか、または予め用意してくる必要がある。
家に潤沢な蓄えがあり、尚且つ拘りが強い学生はこの為だけに、専用の料理人を従えて学校に来るらしい。学内の厨房そのものは貸し出し可能らしく、しかしそこまでして満足いく料理を腹に詰め込まないと気が済まない生活は、ある意味実に不便ではないかとは思うが、食事を選べる余裕のない庶民には言われたくないかもしれない。
学内の食堂を利用するだけならば費用は学費として徴収されている為、学生は食事の度に金銭を支払う必要はない。つまり特待生として学費を免除されているルドヴィカは、実質ただで腹一杯食べられるという訳だ。
食堂は全学生と教職員を合わせた数を収容しても、未だ有り余る程の広大な空間だ。
元が神殿時代に、一般市民に解放された礼拝の間らしく、当時はヴェルンどころかルーフスでも数少ない神殿施設だった為毎日のように訪れる巡礼の者を受け入れる為にこの大きさになったとか。
当然のようにルドヴィカの周囲には人の姿はない。
目の前には何かの儀式のようにも思える長机が幾つも並び、椅子が机を挟んで向かい合うように無尽蔵に思える程の数、並べられている。その全てが無人だ。
天窓からは煌々と太陽の光が降り注いでいて、温暖なヴェルンの気候を感じさせる。日中は、大分暖かいのだ。
長机が並ぶ遠くには学生達の群れが見える。彼らの顔は、一息つける心持ちからかとても明るいのだろうが、こちらかは全くわからなかった。
貴族の子女が多いとはいえ、昼食時ともあれば多少は相好を崩し和気あいあいとした様子が窺える。とはいえルドヴィカには微塵も関係のない世界の出来事である。
どちらかといえば、今のように人だかりと距離があり、彼らも自分達の輪に夢中になっている方が好都合だった。
「先程はありがとうございました」
こそっと小声で頭上に潜む恩人に告げる。恩人というよりは、自分に専門で付いてくれた講師への感謝であった。
あの後も幾つかの授業が続いた。授業の合間に人気のない場所に移動する時間もなく、カレルと話が出来るような状況は作る事が出来ずにいた為、漸く口にして礼を言う事が出来た。性格が捻くれている自覚はあるが、恩義を忘れるような人間ではないつもりだ。
他の授業中も、カレルは様々な知識をルドヴィカに授業の補足のような形で伝えてくれ、何とも頼もしい限りである。
『教師のやり方が気に食わなかった、それだけだ』
「と言いますと?」
『最初に僕が口を挟んだ教師だが、あれは設問として不適格者だ。気に食わない』
「そうなんですか?」
ルドヴィカが借りた書籍や教科書には、確かに下水道は呪法によって浄化されていたと記載があった。答えを間違えても致し方ないと思う。あの教師は、間違えた日には容赦なく責め立ててきただろうが。
『最近になって浄化の呪法は、呪法としての効力を果たしていないと判明したのは確かだ。しかしその事実がルーフスやヴェルンに伝わってから、半年も経過していない。書籍の情報を改めるどころか、正しい知識を得た人間も数える程の筈だ』
「最初から間違う筈と考えて、答えさせようとしたって事ですよね」
『正答を知っている人間がいない場で、答えを求める事の愚かさには唖然とした。ルーフスにおける法術大学、最高学府の教員とは思えない失態だ』
まああの教師は明らかにルドヴィカを陥れようとしていたと思うが、貴族階級が庶民を嘲笑う為の行為だと、わざわざ貴族であるカレルに伝える事もないだろうと判断した。
『きみを狙い撃ちにしたというなら、実に不愉快だ』
「あれ」
思わず、また頭上を見上げる。頭の上に乗った水晶玉と会話をしているのだから、斜め前を見上げたところでカレルの姿が見える訳じゃないのに、つい行動に出てしまう。
「良くわかりましたね」
『そこまで無頓着なつもりはない』
「すみません」
『直ぐに謝罪が出て来るという事は、きみは僕を無頓着な人間だと思っているという事か』
「……すみません」
どうしようもなく、謝罪を繰り返すしかなかった。
自分は親のみならず、親戚昔馴染み皆が口を揃えて要らんことを言う、と指摘してくる人間なのだ。寧ろ貴族様は庶民を常に嘲笑してるから、誰も答えをわからない問題をぶつけてくるんですよ、などとストレートに言わなかったのを褒めて欲しいくらいだ。
『僕は少し、気が落ちたものだ。教師ともあろう者が、設問の選択を間違えた挙げ句ただ一人を心ない差別意識から笑いものにしようなどと、それがまかり通るなんて』
「そんな真面目に考えなくても良いと思いますが」
市井の者はそんなのお見通しだし、上流階級の人間が下々の者を差別するなんてそんなそんなと言われたら、寧ろ胡散臭いので勘弁して欲しい。
『そんな事は言わないでくれ。きみのような立場の人間に言われるのが一番辛い』
そう言われてもな、とルドヴィカは思う。だってきみのような立場、と強調してしまう時点で自分達とルドヴィカの間には絶対に超えられない深い溝があると認めているではないか。