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魔術にしても呪法にしても使い方や方式、起きる事象については複雑な分類や術の手法が分かれている。
魔術師各人によって使える魔術の分野は決まっている。稀な魔術の才能もあるが、魔術師の殆どは自然現象を操る能力だ。
火、土、風、水の四大元素を操る力がその筆頭だった。中には雷、草木、雪を操る者もいるらしいがこの四大元素使いの魔術師と比べるととても少ない。
ルーフスが大地が肥え、作物がよく育つ土地が多いのも土を操る魔術師を農地に派遣している為であり、数少ない大学を運営しているヴェルンという土地が、国に貢献しているものの大きさが窺える。
とはいえ、魔術師の才覚があれば誰もが同じように術を使う事が可能、という訳ではない。
魔術師には魔力と魔数という指標を持っている。彼ら魔術師は、魔術師としての能力を磨く上でそれらを把握し、自身に使える能力を自ずと把握するようになる。
例えば風の才覚がある魔術師がいたとして、風の才能がある魔術師誰もが竜巻のような驚異的な力を行使出来るかといえば、否だ。そして、竜巻を発生させるだけの力量を持つ魔術師にも、能力の差がある。それが魔数によるものだ。
魔力が強ければ強い程強力な魔術を行使する事が出来るが、その一方で魔数が低ければ一度に何度も魔術は使用出来ない。魔力が強くとも魔数の低い魔術師は、戦場で一度強力な魔術を使用すると、後は何も出来ずに無力な人間と化す。逆に魔力が低くとも魔数が甚大な魔術師がいれば、足止め程度の魔術を何度も敵陣に送り込み、敗走を余儀なくする事だってある。
もっと細かく魔術を使用する際には必要な事柄はある。魔術にだって種類があり、簡単な魔術と強力な魔術では必要な魔数が違う。この辺りルドヴィカ自身が魔術を使う才覚がない為に、勉強していてもあまりぴんときていないのもある。
町の飲水や生活用水を発生させる職務に就く魔術師などは、魔力よりも魔数を買われて雇用されるとも聞く。
何しろ、町をまわって水を提供してまわらねばならないのだ。魔数が大した事ない者には数はこなせないだろうし、単純に町中を駆けずり回る仕事故に体力も必要となる。
ヴェルン領の中でも、大学のあるこのリイサ市は、都会といっていいだろう。魔術師を育てる大学と、優秀な成績を残して卒業する生徒を祖国よりも条件の良い雇用契約を持ちかけて、この地に留まらせる為の政策なのだ。そうしてこの国は、他国と比べると遥かに豊かな生活水準を維持しているのだ。
そうはいっても、国民皆が他国と比較して恵まれている、現状に満足しているかと言えばそんな事はない。
自宅に水とともに戻る。比較的近場に水場があるといっても、一番近くで歩いて二十分はかかる。女の足でこれだけの距離を重たい水を抱えて歩くのは、朝からそれなりの重労働だ。
「ただいま……」
扉越しに声をかけたものの、返事はなかった。
やはり誰も起きていないようなのでなるべく静かにと、一度水桶を床に置く。
とはいえルドヴィカの腕力では、水桶を片手で抱えて重たい扉を開くのは到底不可能である。
「よっし」
一度気合いを込め、扉を思いきり開く。そこに水桶を素早く抱え、閉まりきる前に扉の間に身体を素早くねじ込んだ。
これも同じように繰り返している、日課である。勢い良く身体を扉にぶつけた所為でそれなりの音が響くが、それで家族が起きてくるようならばそれはそれで運命だと思うので、諦めて欲しい。
重たい重たいと愚痴を吐きながら、顔を洗うだけ取り分ける。簡単に顔を洗ってから、母の鏡台の引き出しから拝借した手入れ水を適当に塗布していく。
花の蜜と水と香料を煮込んで作るとかどうとか聞いた。使い方があっているのかどうかは、母に黙ってこっそり使用しているのがバレては困るので確認した事はない。肌が本当にきれいになるのかすらよくわからないのだが、それでも使うだけ使いたいのが乙女心だ、とルドヴィカは信じている。
顔を洗うと再び母の鏡台前に勝手に腰掛け、髪を結ぶ。これで基本的な支度は終了だ。
今にもかさかさに乾いて赤い手のひらを擦り合わせながら、ルドヴィカは近くのパン屋に向かった。
軒先に大きな看板を下ろしたパンは、町に幾つかあるパン屋の中でも焼き上がりが兎に角早い。朝の時間が一分一秒も惜しいルドヴィカにはとてつもなくありがたい。
パン代は、母の鏡台に置いてある小銭から払う。ルドヴィカ自身には自由になる金銭など預けられていない。故にこれがないと大学に行くまで碌な食事が出来ない。
「よう大学生」
「おはようさん。焼けてる?」
近くのパン屋の主人は、世間話としてルドヴィカが大学に通っていると知ってから、裕福層のお嬢さんと勘違いしたのか大学生と呼んでは、高価な白パンを買わせようとしてくる。
「このあたりのパン焼き立てだよ、どう?」
「嫌だよ全部高いじゃない。何時ものパンにして」
黒麦のパンを注文し、紙袋に纏めている店主が、焼き上げた天板で火傷をしたという話を始めた。
「なかなか火がつかなくて、焦ってさあ。こういう時は火付け石じゃ、不便だわな」
「毎日やってるのに、そんな事があるんだ」
「そりゃあるよ」
支払いを終え、店を後にしようとするルドヴィカに愚痴のように店主は言った。
「水の魔術師が水を配給してくれるんだから、火の魔術師が火を提供してくれても良くないかね? 高い税を払って市に住んでるんだから、それくらいしてくれても良いんじゃないか」
彼の文句も同情出来なくはないが、ルドヴィカは返事を濁した。水の魔術師と比べて火の魔術師が特別少ないという訳ではないが、彼らは町に火を付けてまわるにはあまりにも負担が大き過ぎるし、火事の危険が大き過ぎるのだ。