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公爵夫人の言葉は何かの皮肉なのか、それとも他愛のない彼女にとっては世間話のようなものなのかルドヴィカには判別がつかない。勉強はしてきたつもりだが、他者との対話や駆け引きに関してはさっぱりなのだ。
それはひとえに疑い深い性格の所為で、他人はルドヴィカとの交流を避けるからだろう。ルドヴィカ自身も無理して他人と関わってこなかった。
黙り込むルドヴィカに対してガートルードは、優美に笑みをたたえた儘先を促した。
「何か質問があったのでは?」
「あ。あ、はい、すみません」
「謝ることではないわ。聞きたいことがあるならどうぞ」
彼女の高貴な佇まいと高みに立つものの言葉に、無意識に背筋がのびる気がした。
「ありがとうございます。本日は、エスキル様はいらっしゃらないのでしょうか」
エスキルとルドヴィカは面識がある。大学では少なからず会話をする機会はあったので、確かに顔を見て話をする必要はないかもしれない。エスキル自身が自分を結婚相手にと望んだのなら、尚更だ。だが、いかに自分達が庶民といえども結婚相手と考えているのであれば、相応の態度があると思う。
少なくとも、連絡もなしにすっぽかすような真似をしても良いとい思うのは些か傲慢に感じるのだ。
公爵夫人は動揺も申し訳なさも感じさせない。この全てが予定調和というように。
「そうでした。今日は婚約よりも先に、話しておきたい事があります」
胸元に指先を置くと、彼女は僅かに黙る。緊張にルドヴィカが喉を鳴らすのを堪えた次の瞬間、彼女は口を開いた。
「ルドヴィカ。あなたの事は聞いてます。勉強熱心な上に特殊技能を持つ為、ファレスプラハ法術大学に特待生として入学したと」
「ありがとうございます」
「それを聞いて、考えた事があるの」
再び下げていた頭を上げる。
彼女は、ルドヴィカを微笑み見下ろす。
何だろう。同じ席で向き合っているのにルドヴィカはこの時間違いなく、見下されていると感じたのだ。
そしてそれは恐らく間違いではない。
「ルドヴィカ。エスキルではなくて、弟のカレルと婚約しない?」
「え」
仮にも公爵夫人という高貴な立場の人間に向ける態度ではない、と口を開いてから気付く。こんな、たった一音で疑念をぶつけるような事あってはならない。
焦る気持ちより、彼女の言葉に対する疑念が膨らみ続ける。
「待ってください。今日の席はエスキル様との縁談ではないのですか」
隣の席の父親も納得がないのか緊張に汗を滲ませながらも、表情に不満の色を見せている。
「ええ。最初はそういった話でしたね。ですが、あなたの解呪の力を是非、カレルの為に使って欲しいと考えているの」
屈託のない笑みを浮かべ、彼女は明るい声で言い放った。まるで、良い事を思い付いたとばかりだ。
その言葉を聞いた瞬間、ルドヴィカの全身からざっと血の気がひいたのを感じた。
大丈夫。誰にも話さないから。
そう話したエスキルの優しい声と、穏やかな笑顔に安心したのを思い出す。
信頼できると思ったのに。彼の誠意は、確かなものだと思ったのに。
「失礼ですが娘の……ルドヴィカの解呪の才能を、どうして公爵家の方がご存知なのでしょうか」
父親の声も固い。当然の事だ。ルドヴィカの持つ能力、呪法をかけた本人ではなくとも、かけられた呪いを解く能力の使い手は長い歴史の中でもルドヴィカが初めてだ。
大学側との面談でも、不用意にこの才能については他言しないようにと念押しされていた為、そこから公爵家に漏れたとも考えにくい。
なら、情報源はひとつしかない。
それにガートルードは先程こう言った。ルドヴィカの話を『聞いた』と。誰からなんてわかりきっている。
案の定、だ。ガートルードはルドヴィカが、一番聞きたくなかった名前を口の端に上らせた。
「エスキルから直接聞きました。類稀なる才能だと。ねえ、悪い話ではないの、エスキルばかりが学業については称賛されているようで心苦しいのだけれど、弟のカレルは呪法の力にとても秀でていてね?そう、エスキルは大学に通わせて漸く頭角をあらわしたけど、カレルは学校に通わずに呪法の才能を発揮してるの。あなたの解呪の力と合わせると、きっと途轍もない武器になるわ」
まくしたてるようにして彼女は続けた。その笑顔に、先程までの余裕がないように感じてルドヴィカはぞっとする。
「そうそう。ここだけの話にして欲しいのだけど」
ここだけの話と言いながら、こちらが頷く暇もなく彼女は続けた。
「今のカレルは呪われていて、彼の呪法の才能を発揮するどころか、まともに会話する事も難しい状態なの。彼の能力は将来王家の力になる。今失われてはならないものよ」
エスキルの五歳下の弟であるカレルは、同じ公爵家の男児であって兄のエスキルと違い、あまり身体が強くないとの事で下町はおろか、公式の場にも殆ど現れないヴェルン公爵家次男だ。ルドヴィカも碌に顔を見た記憶がない。
そのカレルが呪われてるなんて、初耳だった。そしてその言葉を聞いた瞬間、自分が妻にと望まれた意味をルドヴィカはやっと理解した。