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しつこく何やらもじゃもじゃ何ほざきながらも漸く動き出したエスキルに深々とヒューが多大な呆れを込めた溜息を吐き出した、その時だった。
「失礼いたします!!」
乱雑なノックの音とともに、屋敷の女中が飛び込んできた。眉を跳ね上げ、剣の鍔に指をかけながらヒューは彼女を咎める。
「何の真似だ、慌ただしい」
「申し訳ありません、ですが非常事態なのです!!」
刃物に一瞬身を竦めたが、彼女は必死の形相で訴える。
「良いよ、話してくれ。一体何があった?」
何時の間に傍に来たのか。ヒューの肩を掴み、下がるように示しながらエスキルは彼女に入るように促す。そこには、延々と愚痴をたれていた男の影も形もない。本来なら常にこうあるべきなのだが、と思うと今は凛々しい表情を浮かべたエスキルの横顔にも腹が立ってくる。
「エスキル様……ありがとうございます」
そんな男達の胸中など、侍女は知る由もない。深々と頭を垂れると、彼女は口を開いた。
「カレル様がいらっしゃらないのです。お部屋どころか、屋敷の隅々までお探ししたのですが、何処にもお姿がありません」
その言葉に、エスキルの顔を見る。従弟の顔色も即座に変わっていた。
「本当か? ……隅々、本当に隅々まで探したのか?」
「は、はい。ガートルード様のご命令で、鼠一匹取り逃さぬよう厳命され、命じられた者で、必死にお探ししたのですが、見つからず」
彼女が何か不手際をしでかした訳ではない。それでも、滅多に口をきく事も許されぬ相手に一大事を告げるのは、彼女にとっては重荷なのだろう。縮こまるようにして侍女は答えた。
現在、カレルはとある事情で人間の形をしていない。その事情を知っているのは公爵家の人間と、ヒューを含む一部の家臣のみだ。殆どの人間はカレルは病に臥せっており、自室にこもっていると信じている。
今のカレルなら、屋敷の者が探し回ったとてその気になれば完全に雲隠れする事も可能だろう。しかし、屋敷から殆ど出た事のないカレルが何処へ行くというのか。
「どうするんですか? エスキル様」
第三者の目がある場では先程のように砕けた態度ではいられない。言葉遣いを改め、問いかけるヒューにエスキルは一瞬嫌そうな顔を見せるが、本人もそれどころではないとわかっているのだろう。特に文句はなかった。
エスキルも理解しているだろうが、カレルが現状見つけ出すのは、彼自ら目の前に出て来てくれない限り不可能に近い。打つ手など、ほぼない。
少しの沈黙の後、エスキルは口を開いた、。
「……母は知ってるのか。公爵は?」
「ガートルード様も、ハガラズ様も既にご存知でいらっしゃいます」
「そうか。俺に言伝などはあるか?」
「くれぐれも他言しないように、と」
父親譲りの金髪をぐしゃぐしゃに掻きむしり、エスキルは目を閉じた。
「参ったな……あいつに何かあっては」
事情を知らぬ侍女の前でその先を口にしてはいけない、と察したのだろう。エスキルは一瞬口ごもったが直ぐに気を取り直したように侍女に目を向ける。
「わかった。きみもこの事は一切他言しないように頼む。例え屋敷の者や、きみにとって信頼のおける相手だろうがだ」
カレルと接触のある者は、特定の人間に限られている。この侍女も確か、カレルの世話役の筈だ。
エスキルの言葉に不安を隠せない表情の、未だ年若い侍女は焦りを隠せない様子で返事をした。嘘を吐けない質だろうな、とヒューは少し不安に思った。
「は、はい。仰せつかりました」
「うん。もう下がって良い。ありがとう」
そう言って、余裕もへったくれもない癖に精一杯の笑顔を浮かべると、エスキルは侍女を下がらせた。
「勿体ないお言葉! ありがとうございます」
華やかな美貌と優しげな労いの言葉に、侍女はぼうっとしていた。中身はあんな情けない男なのにな、と内心辟易しながらも夢見がちな眼差しの儘、部屋を辞した侍女の姿を見送る。
人間とは単純なものである。エスキルのように見映えだけは整っていれば、よくよく観察すれば頭がぼさぼさである事にも、笑顔が引きつっている事にも気付けそうなものなのに、領民からも慕われている勤勉な美貌の公子、という外聞だけでエスキルを完璧な人間だと思い込めるようだ。
まあそんな事は今はどうでも良い。
「どうするんだ、これから」
カレルの身に起こった異変は、非常に問題となっている筈だ。
公爵家の次男であるカレルの立場は、決して強くない。しかし彼の呪法の才能は、一部の権力者には疎まれる程の才能だと知られていた。
もしも彼が水晶玉になる呪いにかかっている事を知られては、公爵家の立場を疎んじている勢力がどう出るか。
ヒューの疑問に、エスキルは答えない。代わりに漏れ出た言葉は、弱りきったものであった。
「困る、あいつがいなくなったら……俺は何の為に」
「何の為に、何ですか」
自分が何を口走りかけていたかを悟ったのだろう。焦ったように口籠るエスキルに、ヒューは告げた。
「しっかりしてください。先刻も言ったが、あんたが仕組んだ事なのだから、不測の事態が起きたとしても、あんたが采配を振るわなくちゃあんたの望みは叶わないぞ」
縋るようにヒューへと向けられていた視線が、ぶつけたられた言葉を飲み込むようにしてあらぬ方を向き、閉じ。
「悪かった」
「ああ」
こいつの事は情けないし碌でもないし口も悪いし、魔術の才能も偏っている。こいつが将来的に本当にひとつの領地を納める長として、土地を纏める事が出来るのか大いに不安がある。
それでも、長年傍で仕えた情がある。エスキルの肩を叩いた。
「ほら、大学に行ってください。あんたがふわふわおろおろしてたら、皆が不安がる。平常に振る舞って」
「ああ、はい」
学校へ行かなくちゃいけないのを忘れていたらしい。嫌そうにエスキルは返事をしてきた。