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ドレスをあの儘放置したら間違いなく二度と見られたものではなくなると言われ、恐れをなして取り敢えずドレスは洋裁店に任せてルドヴィカは帰宅する事にした。
恐る恐る家の中に侵入する。誰も見るな、気付くなと心の中で唱え続けるルドヴィカの耳に、ララの甲高い泣き声が鼓膜を直撃した。
「まだ泣いてんのか、あいつ……」
よくもまあ、こんなに長時間泣き喚いて飽きないものだと思う。理由がなくとも泣いている赤ん坊だって、そろそろ泣き喚くのにも飽きる頃ではなかろうか。
ララに限らず母の声もしている。子供と違って大人の喧嘩は一度拗れると中々終わらないらしい。特に普段口論を避けがちなルドヴィカの両親なら、尚更だ。
今ララに何か言おうものなら、母親にも自分が外出した事が露見してしまう。何処に出掛けたかと追及されるのは今は避けたい。どうせいずれ事実を告白せねばならないのはわかっている。これは逃げだが、出来る限りことの発見を遅らせたかった。
軋む音を立てる自宅の扉に大人しくしろと必死で言い聞かせつつ、ルドヴィカは家屋の中に潜り込んだ。
まだバレてない。母も父もララに夢中だ。抜き足差し足で、こっそりと階段へと歩くルドヴィカを、残念ながら見咎める者がいた。
「ルドヴィカ! 何しに来たの!!」
物音など立てていない。それなのに、今見付かるとこちらが困るとわかっているかのようにララが見咎めてきた。先程は気付かなかった癖に。
「別に何でもないけど?」
ララの事を許したつもりは微塵もないが、今はとても彼女に対する感情は凪いでいる。カレルが自分の気持ちに同意してくれたのが大きいが、結果的にララをやり込めた事で溜飲が下がったの事も大きな要因かもしれない。
故に振り返って素っ気なく答えたのは、ララに対する反抗でも何でもなく、ただただ今の自分の状況について言及されたくないが故であって、他の意図は一切ない。
だが、ララの方はそうは思っていないようだ。
大勢の人間を屠った大罪人を捌くような瞳でルドヴィカを睨みつけると、勢い良く怒鳴り出した。
「何なの?見下した顔して! わたしの事をいじめてそんなに楽しい!?」
「はあ?」
この期に及んでララには自分のこれまでの言動に対する後ろめたさや罪悪感は一切ないようだ。
「いじめてたのはあんたじゃないのか」
ほとほと呆れて思わず言い返してしまった。自分が一方的な被害者だと信じているらしいララには、何も通じちゃいなかったが。
「何でそんな酷い事を言うの……!」
打てば響くように叫び返してくるララを見て、やっぱりな、と胸中で嘆息する。その様子も気に食わないのだろう。また怒鳴られた。
「ちょっと! 待ちなさいよっ」
「まだ何かある?」
「何で呪い解いたの?」
目敏い。他の部位と同じ程にのびた髪を摘む。
「わたしが好きで呪われてる訳じゃないくらいわかってるんでしょ、ほっとけ」
簡単に解かれるとわかっていて、それでもしつこく呪いをかけ続けてくるのは、ルドヴィカの立場への憎しみからくる執念だろう。絶対に幸せになどして堪るか。先程の言い合いからも、ララが如何にルドヴィカの境遇に嫉妬しているかはわかる。
ルドヴィカはララの行動を許容した事など一度もない。呪いを解かない事もあったが、ララのしつこさにうんざりして放置していただけであって、ずっとその儘にしていた事もない。
カレルに解呪の力を見せる為なんて理由がなくとも、ルドヴィカがララのかけた呪いを解く事に難癖付けられる謂れなどない筈だ。それなのにララは食い下がってきた。
「今、そんな事しなくても良いじゃない。わたしにとっての大事で唯一の確かな力まで、あなた如きに捻じ伏せられるのを今は見たくなかったのに……」
まるで彼女にとってかけがえのないものを、ルドヴィカが無惨に踏み躙ったような物の言い方である。力なく泣き崩れるララの相手をするのも最早面倒臭くなって、無視して自分の部屋へと歩き出したルドヴィカを、今度は違う人物が呼び止めた。
「待った。ちょっと待ちなさい、ルシカ」
「……何」
リアノルだった。今一番会話をしたくない、ララよりほっといて欲しい相手に話しかけられてしまった。
内心の激しい動揺が漏れ出ないようにと、言葉少なに返事をすると、母は呆気なく生命線を引き千切ってきた。
「先刻はこの人への怒りが勝ってて気にする余裕もなかったけど、あんた、着てたドレスどうしたの?」
「えっ」
簡素な心の鎧はあっという間に崩れ去った。露骨に顔に焦りが浮かんでいたのだろう、母の瞳に剣呑な色が滲む。
「何か、先刻帰ってきた時汚れていた気がするのよね……出しなさい。ルシカ」
「いえ、あの。ほら、高いドレスって聞いたから、早めに洗うべきでしょ?だから、メリアの店に持ってったよ」
「は?お金持ってないあんたが?どうやって?つけ?つけにしなくちゃいけないって、どんだけ汚したの!?」
いかん。言い訳が思い付かない。
露骨に表情筋のどこかしらが引きつっている。嘘を吐くのはもとより得意ではなかった。
「ルシカ、早く本当の事を言いなさい」
この状況下でも、自分が悲劇の主人公とばかりに涙ぐんでるララが、何だか無性に憎たらしくなった。もう、お前どころじゃないよと言ってやりたい。