庶民の矜持 1
カレルにとってルドヴィカの存在は小さくもただひとつの、自身を取り戻す為の希望だったのかもしれない。余程ショックだったのか彼にかけられた呪いが見えない、と伝えた後に彼は全く話をしなくなってしまった。
何を話しかけても反応がない。頭上の水晶玉を手にしようとすると、跳ね上がって転がり先程ルドヴィカが突っ込んだ麻袋の中に自ら入ってしまい出て来なくなってしまったのだ。
「カレル様、出て来てくれませんか?呪いが解けないって決まった訳じゃないんですし。もっと明るいところで見たらヒントが見付かるかも」
自分でもちょっと楽天的過ぎやしないか、と思いつつなんとかして励まそうとしたが、麻袋は動かない。不安になって麻袋を持ち上げて口をひっくり返して見ても落ちて来ない。改めてこの水晶玉、水晶玉の範疇を超えたおかしな能力があるだろうとルドヴィカは思った。
「困ったな」
ルドヴィカには魔術も呪法も才能がないらしく、勉強したところでそちらの方面の能力が開花する様子はなかった。
それ故に単純な腕力でしか水晶玉を取り出すしかないが、残念な事にルドヴィカには男並みの腕力はない。この珍妙な水晶玉を引っ張り出せそうには思えなかった。
まさか自分の言葉がこんなに誰かに衝撃を与えるとは、自分の粗忽さは自覚していたつもりだったが、ルドヴィカが自覚するで以上に酷いのかもしれない。顔が見えなくともショックを受けているとわかる水晶玉の様子に、こちらも気分が落ち込む。
困り果てて部屋の中にある私物でなんとかならないか、と室内に視線を巡らしてある事に気が付いた。
「忘れてた!」
思わず水晶玉やララの事も頭からすっぽ抜け、麻袋を机に置くと、部屋の隅に放置していたそれに飛び付く。
手にしたそれは、公爵家との顔合わせだからと舞い上がった両親が庶民には得難い大金はたいて作って貰ったドレスである。林の中を歩いてきて、室内の灯りの元露わになった悲惨な状況にルドヴィカは頭を抱えた。
「うわ、うわあーやばい、やらかした!!」
洋裁を営む近所の女性に声をかけられ、心配された事もすっかり忘れていた。
いよいよ自分のいい加減な性格が嫌になるが、ここで頭を抱えていても仕方がない。
「カレル様、わたし出かけてきますがここにいてくださいね!明日もっとちゃんも調べてみましょう!わたしに出来る事は全部やってみますから!!」
言うだけ言うと、ドレスを抱えて部屋を飛び出した。
階下に向かって駆け下りるとルドヴィカの耳には、未だに女達の怒号や泣き声が続いていたが、お陰で後ろを駆け抜けるルドヴィカの姿には誰にも気が付かなかったようだ。勢い良く自宅を飛び出し、家の近くにある服飾店に駆け込む。
「あ、ルシカ遅いよ待っていたのに」
「忘れてたんだって、ごめんって!」
「忘れたって……あんた、だから直ぐにうちに来いって言ったのに」
ルドヴィカの女性らしくない性格も気配りのなさなどもよくわかっている、と言わんばかりの呆れきった彼女の様子を見ていると、ルドヴィカは情けないやら悔しいやらで、少し泣きたくなった。
「今そんな事を言ってる場合じゃないよ、母さんにバレたら絶対怒るんだよ、なんとかならない!?」
「怒るに決まってるでしょ。馬鹿だねあんた」
「これでも大学行ってるけど!」
「生活の役に立つ事も勉強しなさいって事よ。減らず口叩くな!全くあんたは怒られても、何か言い返せなきゃ気がすまないよね、昔から」
ぶつくさ言いながらも、泥に汚れたドレスを注意深く点検し、彼女は顔をあげた。
「ルシカさ、こんな格好で何処を駆けずり回ってきたの」
「い、言いたくない」
「あのさあ」
お説教が続くかと思いきや、深々と溜息を吐かれた。文句は言われたくないが、その態度も最早打つ手無しと投げ出されたようで少し悲しい。
「どっかに引っ掛けて破けたとか解れたとかはないみたいだね。時間が経ってるから、完全にきれいになるかどうかは怪しいところだけど、なんとかなると思う。ただし、高くつくよ」
「うぐっ」
悲しいかな、ルドヴィカ自身に自由になる金子の持ち合わせなどない。
両親に莫大な大学に通う費用を負担してさせている分、普段の生活は慎み深くあれと、無駄金なんて呼べるものは一切持たされていなかった。
こうなるとドレスの修繕費の出費は親に頼むしかなくなる。
「怒られるな、絶対怒られる……どうしよう」
今ならララに母の怒りは向いているから、そのどさくさで頼み込めばなんとなく誤魔化せないだろうか。いや無理だ。ただでさえ頭に血が上っている時にこの惨事を見せ付けられ、修繕費を払えなんて言うのは火に油を注ぐに等しい。
そもそも汚すなと予め釘を差されていたにも関わらず、この現状である。言い訳はおろか、謝罪を口にする時間すら許されるかどうか。
「つけにしてあげても良いけど、金額は覚悟しておくことね」
つまり、庶民には一度では支払えない額の請求がくると言う事か。
「ちょ、ちょっとまけてもらえない?無理?」
「まけたうえで、覚悟しなって言ってんの」
その場で崩折れ悲劇の主人公よろしく嘆き悲しみでもしたい心持ちではあったが、どうせタダにならないのならやる意味もない。ルドヴィカはあらぬ方に視線をそらした。
灯りの届かない、うっすらと闇に覆われた天井の隅をただ凝視しただけだった。