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周囲がルドヴィカの能力を信じざるを得ないとなったきっかけは、父親の時計屋に修理を依頼しにきたさる御婦人の服が呪われていた事件が原因だった。
偶々父親に金勘定を申し付けられ、ぶつくさいいながらも慣れない金銭を必死で数えていたルドヴィカの目に入ったのは、きらきらと眩く輝くような衣服を身に纏い、髪を結い上げた御婦人の姿だ。間近で見た魔法で作られたかのごとく眩く輝くドレスに、ルドヴィカは息を呑んだ。
が、それも一瞬の事だ。直ぐにそのドレスの異常さにルドヴィカは頬を引き攣らせた。
美しいがプライドの高さも見え隠れする彼女はルドヴィカの姿を認めると、優雅に微笑んで見せた。棒立ちの儘会釈すら碌に返せないルドヴィカの態度も、自身の美しさに気圧されての事だと理解でもしているのか気分を害した様子はない。
しかしてその笑顔の麗しさなど、ルドヴィカの目に入らない。彼女の衣服に完全に意識が奪われていたからだ。金を放り出し、彼女の元へと向かうと挨拶もなく質問をした。
「身体が辛くないですか?」
そう尋ねたルドヴィカに、夫人は頷いた。ここのところ身体が締め付けられるように感じる。呼吸が辛い、と。
「そのお洋服は何処で仕立てたんですか?」
畳み掛けるように質問するルドヴィカに、彼女は戸惑ったような顔をしたが教えてくれた。
「素敵でしょう?馴染みの仕立て屋にお願いしたのよ」
「それです。それを着てる時だけ苦しいんじゃないですか?」
無礼な小娘の言葉に絶句する夫人の様子を無視して、ルドヴィカは何枚ものレースを重ねた美しいスカートを睨む。そこに見えたものは、愛する人を奪った女への怒りだった。
「旦那さん、愛人がいますね」
自身の美しさと妻としての器量に、彼女は余程の自信があったのだろう。そんな女性には、夫が自分という妻を差し置いて他の女にうつつを抜かす事など、あってはならない事態に違いない。
彼女は唇を引き攣らせたかと思うと、恐ろしい表情をルドヴィカへと向けた。
「あなた、何を言っているのかしら」
先程見せた微笑は化け物に被せた仮面だったのか、と疑う程の形相にルドヴィカは恐怖に慄き、一歩引いた。彼女のプライドに、真正面から泥をぶつけようとした自覚など全くなかった。
「ま、待ってください!」
そう言って、夫人とルドヴィカの間に割って入ったのは父親だった。幾つもの呪いを解呪してきたのを見たからか、この頃にはルドヴィカの能力を認めざるを得なくなっていたのか、助け舟を出してくれた。
「娘の不作法をどうかお許しください。ですが、うちの娘の話少し聞いていただけないでしょうか」
父は幸い仕事人としてはそれなりに評価されていた為か、金持ちからも信頼があった。その父親が頭を下げた事で、ルドヴィカは彼女の怒りを免れたと言っても良い。
「……お嬢さん。あなたの言う事は侮辱にあたるわ。だけど、今回は許しましょう」
「あ、ありがとうございます」
呪われてるのを放っておいたら不幸になる一方だから指摘してやったのに、何故こんな居丈高な振る舞いをされねばならぬのか。耐えた自分はこの女より遥かに立派だと、自身に言い聞かせながらルドヴィカは口を説明した。
「わたしにそのドレス、貸して貰えませんか。一日、いや半日で良いんです。多分それ、呪われてます。貸してもらえたら何とか出来るかもしれません」
寛容さを知らしめたかったのか、それとも単に小娘が美しいドレスを欲しがっているだけだとでも思ったのか。快く彼女はドレスを貸してくれた。返ってきたドレスがほつれでもしていたら、それを口実に時計屋に圧力でもかけるつもりだったのかもしれない。
下々の善性を信じているらしいカレルに、ルドヴィカは真実を告げる。
「カレル様は庶民に呪いなんかかけられない、とお思いでしょうがそんな事はないんですよ」
だが水晶玉は未だ納得していないようだ。
『そうは言うが、きみ達では呪いを依頼するのもそう簡単ではないだろう』
呪法師に呪いを頼むにしても、依頼料はばかにならない。彼はその事を言っているのだろうが、そこに疑問を向けるのが、カレルが世間知らずだという証明でしかない。
「依頼なんて必要ないです。自分で呪ったんだから」
この時は呪いそのものが、仕立て屋の娘本人の手によるものだったらしい。彼女には呪法の才能があったのだ。
『いや、それはおかしい。呪法の才能があったとしよう。だが、呪法の知識がなければ呪いをかける事は不可能だ』
彼の言葉は尤もだ。どんなに天賦の才を秘めていたところで、剣の振り方を知らなぬ若者ご戦場に出たところで、ただ無駄死にするだけだ。それとおなじである。
しかしその指摘もまた、無意味だ。
「カレル様は、学生が皆立派な法術師になれるとお思いですか?」
『何?』
大学に通える者は大学側に認められ、莫大な学費を支払える者に限られる。それでも、決められた成績を納め術師として認められる者などほんの一握りだ。
それも当然の話だ。学生の殆どは貴族や商人、豪農や金貸しなどの裕福な家柄ながら、家を継ぐ権利のない長男以外の男子か、嫁ぐまでの行儀見習いついでに学徒を選んだだけのお嬢様である。
彼らが全て真面目に学業に専念すると、誰が思うだろう。責任のない立場で育った、貧困に喘ぐ経験のない未熟な少年少女が、監視の目がない場所に解き放たれてどうなるか。
「いやいや学校に通うやつの中には、遊ぶお金欲しさに親が買った勉強道具を売ったりするやつもいるんですよ」
水晶玉は黙り込んだ。彼には想像が付かなかったのか。
「わたしも、大学に入る為にそういった人から買った事あります。勉強に一生懸命なやつなんて、そんないませんよ」
件の呪法を使った犯人も、学生が入れ込んだ娘にドレスを贈る為に、仕立て屋に高価な勉学道具一式を持ち込んだと聞いた。
仕立て屋の娘が夫人の夫、つまり得意先の主人に手を出されていたとわかったのはその直ぐ後の事だ。
件の娘が夫人が健康を取り戻した事に取り乱し、主人に泣きながら取りすがった事で自体が発覚し、それはもう大変な事態だったそう。
後日夫人からは礼を言われたが、仕立て屋の娘がどうなったのかは知らされる事はなかった。実に後味の悪い事件だったのでよく覚えている。
「呪法が使えないわたしが法術を学んでいるのは、呪法に使われる言葉や文言を学ぶ為なんです。わたしの解呪の能力をのばすには、呪法師が如何に呪いの言葉を使うのかを考えなければならない」