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疑い深い性分はこの呪いの所為だ。
呪法をかけられ続ける娘を守ってくれない両親も、この呪いをかける犯人も、ルドヴィカの心から他者への信頼を奪った。こんな人間が身内じゃあ何も信用など、出来ぬ。物心ついた時からそう思っていた。
それも大学に進み両親に負担をかける事に微かな罪悪感を覚えながらも、勉学にのめり込む理由のひとつになったように思う。卑屈で可愛げもないが、大学に通えるだけの能力が自分にある。その、確かな成績と才能のみが信用出来る確かなものだった。
一般庶民でも通える中等学校に在籍していた時には、同級生からは呪われ女呼ばわりされて執拗にいじめられていた時代もある。これも疑い深さに拍車がかかった原因だと思う。
そんなルドヴィカが、他者への信頼という感情を取り戻せそうになったのは、エスキルの存在だった。
身分の差や、公爵夫人という立場の責任感や重圧を考えると身が竦む思いだったが、エスキルの伴侶としての生を得られるというならば、覚悟を決めるべきではないか。
恋心とまでは言えないかもしれない。うぶで拙い感情かもしれない。それでも、彼の傍で生きて良いのならば。
そのような覚悟と希望は、顔合わせの場にて一切合切、何の容赦もなく打ち砕かれた。
顔合わせの場は、王家も視察に訪れた際に利用する歴史ある高級ホテルである。
こんなところに来たのも初めてであり、そしてエスキルは勿論公爵家の方々と顔を合わせる事に緊張していた。
「こちらへ」
主人が客人として呼び出したからなのか、ホテルで迎えてくれた使いの者はうやうやしく案内してくれた。彼らからすれば、ルドヴィカ達など遥かに下の身分である筈だが、そんな事をおくびにも出さない。
未だ若いのだろう。侍女が部屋の前で待ち構えている。綺麗に背筋をのばした彼女は、どこか人形のような佇まいだった。
「お待ちしておりました。主人は既に、部屋におります」
彼女がドアノブを捻ると、重たいドアがゆっくり開いた。侍女は重たそうな素振りひとつ見せずに、微笑みながらなかへと促した。
緊張に足を踏み入れる。
分厚いじゅうたんが靴の音を吸い込む。部屋の奥行きは広く天井は高い。分厚いカーテンには金の刺繍がされていて、それは見事な模様だ。
大きく広いテーブルの向こうで一人の女声が微笑んでいる。
「どうぞ。腰掛けてください」
公爵夫人は癖のある茶色の髪をひとつに纏め、装飾の少ないドレスを身に着けた痩身の女性だった。
名はガートルード。隣国の現王の末妹だ。政略的な婚姻の後若くして男子を二人産んだ為に、このヴェルン領を治める公爵家で盤石な地位を得たと噂に聞く。
「は、ありがとうございます」
娘のルドヴィカに対して散々失礼ないようにと繰り返していた両親だが、いざ公爵家に名を連ねる人間に出会った瞬間の緊張具合は、ルドヴィカに注意忠告をできた義理ではない程に冷や汗をかき、ぎくしゃくと頭を下げていた。
「テオ・バレンシスと申します。これは妻のリアノル。本日は娘のルドヴィカとエスキル様の婚姻をお望みいただけたとの事。光栄であります」
「そんな緊張するものではないわ。わたくしは所詮、他国から嫁いだ異国のものですから」
異国といえど、彼女もまた高貴な血筋の女性である。そのような言葉を貰ったところで、一般庶民がくだけた態度を取れる筈がない。
身に付けるものも化粧も過度に多く派手に飾り立てるような女性ではないが、公爵夫人の笑顔はルドヴィカを圧倒するには充分だった。彼女の立場が、こちらを尻込みさせているだけなのだろうか。
「さあ、お話はお茶の後でも大丈夫でしょう?」
その言葉とともに、侍女が椅子を下げる。裏返りそうな声で礼をして、ルドヴィカは椅子に座った。
ホテルの部屋が普段の生活では触れた事もなければ、当然見た事もない高価なものばかりなのもあるだろう。がちんこちんにかたまっている両親同様、緊張に身を硬くしていたルドヴィカだったが、ガートルードの視線とかち合った瞬間、違和感に漸く思い至った。最初に気が付くべきである事態だ。
エスキルがいない。
公爵家の方々は当然ながら、庶民のルドヴィカの血筋や、育った環境を知らない。この縁談がエスキルの提案だったにしても、彼等がルドヴィカとその家族との対面を必要とするのは当たり前の事だった。
今日の席は公爵家の方々がルドヴィカだけではなく、両親や家庭を把握する為の顔合わせである。つまり、品定めだ。
公爵も、エスキル本人もいない。ガートルード以外はお付きの方と護衛のみのようだ。
初めて面と向かって会話を交わす高貴な方相手に、喉がからからに渇く。ホテルの接待係が全員の前に紅茶をサービスしてくれたが、勿論そんなものに手をつける余裕はない。
故に、がさがさの調子の悪い声をなんとかルドヴィカは振り絞る。
「すみません、質問しても良いですか?」
「何かしら。小さなお嬢さん」
年の割に小柄な事を揶揄われたのかと、ルドヴィカは無意識に口の端を歪める。
何がおかしいのか、ガートルードは微かに肩を震わせると口元を抑えた。
「ごめんなさいね。わたしが旦那様の元へ嫁いだ時の事を思い出しただけ」
「どうしてですか?」
適当な言葉で誤魔化されている、と思い込んだ訳でもないがあまり納得もいかない。ルドヴィカの追及にも彼女は不快そうな態度は見せない。
「あの頃のわたしはそれはもう、痩せっぽちで地味な小娘だったの。あなたも小さくて、でもあの頃のわたしよりもきれいだわ」
本当か嘘かなど、婚姻当時の夫人を知らぬルドヴィカにはわからない。黙って、頷いた。