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顔も声をあげる口も、身振り手振りで感情を示す肉体もない今のカレルに自身の感情を訴えるのは難解な事なのだろう。水晶玉はぽんぽんと跳ねては、天井近くまで舞い上がって落下する。彼の今の驚きを表現しているらしいと気付き、少し面白くなった。きっと本人にとっては必死なのだろうが。
跳ねながら机の上を移動してきたかと思うと、その儘一際高く跳ね上がるとルドヴィカの頭に落下した。別に痛くないけど、この人(今は人の姿をしてはいないが)自分の事を丁度よい椅子か何かと勘違いしていないか、といった考えがルドヴィカの脳裏をよぎった。
『今のはどういう事だ』
「どういう事って、呪いを解いたんです。どうです見てください。髪の毛のびてるでしょ」
『それは見ればわかる!』
会って間もない相手だが、彼らしくもない余裕のない口調だった。ルドヴィカを探して、呪いを解いて欲しいと説得してきた時ですら冷静であったので、よほど信じられない事らしい。
『理屈が知りたい。あれはきみに対する呪言ではないのか?』
「そうですよ」
先程ルドヴィカが唱えた言葉は、非常に簡単な呪いの呪文だ。
呪いたい相手の名前と素性、それにおおまかな居場所。加えて神に対する祈りの言葉がおまけ程度に添えられているだけで、複雑さも皆無な上文言も穴だらけである。それでも最低限の必要な言葉は配置されている為か、ララが意気揚々とルドヴィカにかける呪いは必ず成功している。
鏡に向かって再び顔の右側にある髪に触れる。
視界がクリアになる程度に切り揃えた前髪以外、今のルドヴィカの髪は全て同じ長さで背中に流れていく。先程まで不自然に短かった髪の存在はなかったようだ。
「呪いを解けば、生命ある限り元に戻る。カレル様もご存知ですよね」
実は解呪する方法そのものは、これまで全く発見されなかった訳ではない。
正当な方法で呪いを解こうとすると、これまた難解な手順が必要となる。最低事項として解呪の際調べあげなければいけないもとのとして、呪いをかけた呪法師の名前と所在地がある。
その二つを調べるのは通常、難航を極める。
呪法師はそのような事情もあり、基本的にその姿をひた隠しにするか、偽名を使う。偽名というと聞こえは悪いが、神殿にて洗礼名を授かりそれを公の名前として使用するのだ。
自身の正体を知られていては、呪法師は手のうちをひけらかしているようなものの為、彼らは自分の名前を明かすのにことさら慎重になる。
それでも呪いが解かれた事例も存在していて、法術に関する専門的な資料として残されている。そこには解呪によってもたらされる利益と不利益も、はっきりと記載されていた。
「正当な手順で呪いを解いた場合も、呪われる前と同じ状態に戻るらしいじゃないですか。同じ事ですよ」
呪法によって心臓に大きな疾患を抱えた被害者も、呪法師を突き止め呪い返しさえしてしまえば、衰弱した肉体も以前の健康なものへと一瞬にして元に戻ると文献には記されている。
医者にも手の施しようのない患者の病の正体が、実は患者の存在を疎ましがった人間の依頼により、呪法師が呪いをかけたという事件は確かに過去あったようだ。
とはいえ解呪が間に合わず被害者が死んでしまえば、解呪も最早意味がない。呪いをかけた張本人を突き止めるのが難しい以上、呪いを自力で解くのは殆ど不可能だ。
『理論上はそうなのかもしれないが……そうだ。きみの解呪の方法を聞いてなかった』
「今見せたじゃないですか」
『筋道立てて説明して欲しいと言ってるんだ!』
まあ、そりゃそうか。彼が言いたい事がわかっていたのにそらっとぼけた自分も悪い。頭をかいて天井を見上げた。この態度は果たして不敬罪にあたるだろうか。
「わたしにも理屈はわかってないんです。それは本当です」
頭に水晶玉が乗った儘椅子へと腰を下ろす。近くにあった、大学で使用する呪法に関する教科書を引き寄せると机の上に開いた。
「呪われた人を見るとわかる能力があるみたいなんですよ。わたし」
『はあ?』
お貴族様にあるまじき、なんとも珍妙な声で聞き返されたが、まあ気持ちはわからんでもない。
『そんな事有り得ないだろう。ある筈がない』
呪いとはあくまで媒体となる紙片に呪言を刻む事で、術師の望む結果を対象に発現させるのだ。対象に呪言を書き記す必要はないし、しようとして出来る訳もない。ましてや、呪われた当人に見えるような形で呪われた、などとわかってしまってはわざわざ呪法師に依頼した意味が半減してしまうだろう。
人が人を呪う時、そこには悪意を漏らす訳にはいかないという意図が存在している。病気や不運な事故で消えたと周囲に思わせる為に呪法に縋るのに、呪法による結果相手が舞台から消えたとなれば、犯罪探しが始まる。自分が疑われない為の呪法が、自身に跳ね返ってくるのだ。