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呆気にとられたような沈黙の後、カレルが話し出した。
『試す?どうやってだ?』
「簡単な事です。今呪いを解けば、どういう事になるのかわかりますよ。カレル様もわたしが解呪の力が本当にあるのか、少しは疑ってますよね?証拠を見せます」
水晶玉は何も答えを返さないが、それをルドヴィカは肯定として受け取った。
なんのことはない。自分だってこの水晶玉の事を散々疑ったのだから、同じように疑われている可能性がある事程度は承知の上だ。そこに異を唱えるつもりはない。
人間など他者からどれだけ自分に有益なものか得られるか、が行動指針に決まっている。その為なら他人の信頼を欺くに。そんなものだ。
ララがあんなに感情的になって取り乱しているのを、ルドヴィカは初めて見た。彼女の行動の動機は全て、ルドヴィカへの嫌がらせの為だ。あの様子ではルドヴィカが呪いを解いたとわかると、ますます激昂するだろう。再び直ぐに呪いをかけてくるに違いない。
ルドヴィカの持つ特異性をカレルに示すには、絶好の機会と言えた。
「ここで見ていて下さい」
そう言い置いて、勉強机の上に水晶玉を置いた。これは近くの商人の家から格安で頂いてきたもので、それも商売敵と揉めたところ家の前に虫がわく呪いをかけられたのを解呪してやったところ、お礼として格安で譲ってもらう事が出来た。
ルドヴィカの部屋に全身が映る程の大きな姿見がある理由は、決して姿の主が若い娘で身嗜みに気をつかうから、なんて理由ではない。
姿見の前に立ち、自分の姿を見つめる。じっと、全身を睨み付けながら全身にくまなく視線を注いでいくうちに、段々と意識がどこかへ埋没していくような錯覚に襲われていく。
勿論そんなものは気の所為でしかなく、現実の自分は鏡の前で棒立ちになっているだけだ。鏡に映る貧相な小娘は、鏡の向こうに誰か敵でもいるかのような険しい形相でじっと見ている。
その姿が本当に自分のものなのか、誰か姿も知らぬ誰かではないか。ふつりと浮かんだ疑問は直ぐに意識の隅に溶けて消える。同じように沢山の意味のない思考や疑問。それらが次々に消えていく中にそれは現れる。
はっきりと鏡の中に現れたのは、古語で記された幾つかの情報だった。
法術を人々にもたらした賢者の始祖が記した文字を古語と言った。現在ルーフスで使用されている文字、言葉とはあまりにもかけ離れている為かの言葉は、専門分野を学んでいなければ読み取るのは不可能に近い。
ルドヴィカの、本来反対側と同じように耳の傍にのびている茶色の髪がある筈の部分、今はルドヴィカの後ろにある窓が映っている場所にそれははっきりと浮かび上がっていた。
それを凝視しながら、現れた文字を読み上げた。
「ルーフス。国の東の地、ヴェルン。人体。切り捨てる」
それらはルドヴィカの現状を望んだ人間の目的を示唆していた。
人体の一部を切り捨てる、という言葉は実に不穏な意味を内包しているように思えるが、実際はそこまで大きな意味を持っていない。
ララにはそもそもまともな学がなかった。もっと細やかに文字として呪いを指定出来ていれば、髪のみならず肉体の重要な器官を欠損する事すら可能な筈だが、彼女にそこまでの知識がないのは不幸中の幸いである。
「呪いを今から解きます」
水晶玉に向かって宣言すると、なくなった髪の毛に触れる。
耳のあたりで切り揃えられた、短い右側の髪の毛は不自然に短い以外には何の違和感もない。柔らかく癖のない髪質にも、色にも他の部分と全く差異はない。何も知らない人間が見るとルドヴィカ自身の意思でこの一点だけを短く切り揃えているように見えただろう。
必要などないが呪われた時。この髪の呪いを解こうとすると無意識に髪に触れているのに気付く。怒りか怨念か。ララの意思がこの髪に纏わりついているように感じる。それを振り払うように乱暴に柔らかな髪を弾く。
言葉は大したものではない。呪いの言葉とは呪う相手の名前と居場所、呪いの内容だけがわかっていれば使用出来る。
自分にかけられた呪いの内容を口にして、語り出した。
水晶玉がルドヴィカの方へと机の上を転がったが、落下しかけたのか端で動きを止めた。
「世界へ希う。世界をしるものよりの知恵と言葉を讃え捧げる。世界よこたえたまえ。アーテルより南の地、ルーフス。小国ヴェルンの下のうち。時計屋の血をひく女名をルドヴィカ・バレンシス。十六の歳の女。これの一部を永遠に切除し、二度と戻らぬよう希う。力を宿し、そこに陥らんことをララ・バレンシスは願い祈る。世界よ。こたえたまえ」
浮遊感とでも言うのだろうか。肉体が、軽くなったような、地に押さえつけられていたものから刹那解放されたような感覚が襲い、一度目を閉じる。
しかしそれも一瞬の事だ。目を開けると変わらず姿見が、ルドヴィカの姿を映していたが、そこにいる女は明確に先程と違う特徴を持っている。
「呪いは解けました」
そう言って水晶玉を置きっぱなしにしていた机に向かう。よく見えるのかどうかは知らないが、顔を姿に近付けると、長くのびた髪の毛を一房摘んで掲げて見せた。