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心配しているかもしれないからと、一度祖父母の元に顔を出す為に料理屋へと向かおうかとも考えて立ち止まる。
今の自分の格好を見下ろして嘆息する。
「これでは顔出しにくいな」
『確かに淑女にあるまじき風体ではあるな……』
誰の所為だと思ってる。とは思っても口には出来ない。ルドヴィカは水晶玉の言葉なぞ聞こえない振りをして唇を曲げる。
ドレスは泥にまみれているし、頭の上で水晶玉がころんころんと動き回った所為で朝には整えられていた髪も乱れている。
何よりドレスをふんだんに汚した孫娘の姿を見たら余計に心配するだろう。祖母には汚さないように言ったのに、とお説教されるかもしれない。
「まあ、良いか」
少しばかり悩んだものの、ルドヴィカは真っ直ぐに自宅に戻る事にした。祖母に顔を見せるにしても、明日大学から戻ってからでも良かろう。
ルドヴィカの自宅は父テオの営む時計屋の工房兼自宅になっている。その為周囲には店や市場があって日が沈みかけた時間帯でもかなり明るい。
『こんななのか、町って。古くて……広いな』
先程断りを入れたので、カレルの言葉は一人言だろうと判断し、ルドヴィカは返事をしなかった。なんと返せば良いのかわからなかったのもあるのかもしれない。
自分達庶民の生活や立場に興味も、関心もないのだろう。そう思っていたが彼の言葉には、そういった、庶民を見下すような響きは感じられない。それがどんな意味を持つのか、ルドヴィカには察する事が出来ないでいた。
足早に町を歩く。祖父母の代からこの町で暮らしているのもあって、ルドヴィカは自分の愛想のなさとは裏腹に、地元民から可愛がられている。この格好でいると何か何かと問い詰められそうだったからだ。
「どうしたの? ルシカその格好……って何か薄汚れてない?」
そんな事を考えているそばから、母親と同年代の洋裁を営んでいる女性に呼び止められた。
ルドヴィカのドレスは控えめに見ても、薄汚れているなんて控え目な言葉では表せない程に酷い有様となっていたが、こちらが一応若い娘だから気を遣ってくれたのかもしれない。
しかし今のルドヴィカには彼女の気遣いに答えるどころか、そこに勘付く余裕すらありはしない。更に歩みを早めると、彼女に向かって大声をあげつつ、大通りを駆け抜けた。
「ごめん急いでるから、それじゃあ!」
「いや、あんた……早く汚れ落とさないと大変な事になるよ、それ」
「うん。後で持っていくからお願い!」
呆気に取られた様子の彼女とすれ違い、大通りから広場に向かう途中に並ぶ何軒もの商店が立ち並ぶ場所に向かう。その中のひとつ、時計屋を示す看板を掲げたのがルドヴィカの自宅兼工房だった。
店の奥が自宅になっている為、裏手にまわるとそちらにも入口がある。ルドヴィカがそちらにまわったところで、喧しい話し声がするのに気付いた。
『なんだか剣呑な雰囲気を感じるんだが』
頭上の水晶玉が言う通りだ。ボリュームの大きな話し声はどう考えても、自宅の細く長い扉の向こう側から聞こえてくる。
本来両親はともに良く言えば平和主義、悪く言えば事なかれ主義の温厚に物事が進む事を何より良しとする人物だ。それはお互いに対しても同じで、ルドヴィカは両親が喧嘩しているところなんて見た記憶は殆どない。
「カレル様……大丈夫だと思いますが、落ちないように気を付けてくださいね」
何が起きているかはわからないが、狼藉者が暴れていた場合ルドヴィカの身にも何か起こらないとも限らない。頭上の水晶玉にも注意を促しておく。
わかった、と声が届いたところでルドヴィカはドアノブを掴む。
ルドヴィカの家は二階建てで、中で工房と自宅が繋がっている。細かく高価な部品も多い為に基本的に工房へと向かう扉には鍵がかかっており、ルドヴィカは立ち入りを禁止されていた。
居間に向かうと、騒ぎの原因は直ぐにわかった。
母リアノルが父親を挟んで、一人の女を激しく糾弾しているのだ。
「とにかく今度という今度は許さない、もう絶対にこんな事は止めて、止めなさい!」
女の方は怯える様子もなく、だからといってリアノルと堂々と渡り合うつもりも一切ないのだろう。テオの背に隠れるようにしている。ルドヴィカのいる場所からはその表情まではわからない。
「ただいま。何をしてるの、声が外まで聞こえてるんだけど」
両親と、女がルドヴィカの方に顔を向けた。
父親の背後から、覗き込むようにして顔を出した女の顔は笑っていた。