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食事を終えた後に、改めて用意されていた衣装に着替える為に席を立ち、ルドヴィカは自室に向かった。
階段をあがるルドヴィカに、母親がようやっと気を取り直したのか、明るい声をかけてきた。
「きれいな髪飾り、買っておいたのよ。後で降りてきた時につけてあげるからね」
「うん。わかった」
こんな時の為に、という事なのだろう。流石に顔の横の髪が不自然に短く切り揃えられた状態で今日を迎える可能性を、彼らもルドヴィカと同じく予測はしていたらしい。
しかして本来不必要な出費ばかり重ねているのだ。これで、本日の話がうまくいかなければ、今後彼とどう顔を合わせるべきか。
……やはり、断るべきだった。
そう考えたが、胸中で直ぐに否定した。王家の血をひく公爵家がわざわざ指名してくださった縁談を拒否する資格など、こちらにあるわけがない。
ルドヴィカ・バレンシス。愛称はルシカ。王家の血統を汲むヴェルン公の治める領で暮らす、一般庶民である。
父親は時計職人、母親の両親は料理人の家系で今もルドヴィカの実家の近くで小さな料理屋を営んでいた。どちらも生粋の、地元に根付いた庶民だ。
本来ルドヴィカのような身分では、大学に行く為の資金を調達するのもまた無謀なのだが、ある理由にて特待生として大学に通い法術を学んでいる。
「お金ばかりかかる娘だ」
親は言わないが、そう思ってるのは確かだろう。その点においてはルドヴィカは両親に感謝していた。
十六歳のルドヴィカが、本来十八歳から入学資格が得られる大学に通っているのも特待生であるが故である。しかし、学務長直々の命令によりその理由は黙秘しているが為に、学内ではひどく浮いていた。
それは仕方がない、とルドヴィカ自身も思う。
ただでさえ一定の身分を持つ者が通うのを前提とした大学であるし、その中でも優秀な法術の才能を持たねば学んだところで何の役にも立ちはしない。
法術とは魔術と呪法と呼ばれる二つの学問を総合して呼ぶ。どちらも、文明の発達においても替えの効かない能力であり、利便性を持つものを習得するにはルドヴィカのように専門の学び舎の門を叩く必要があった。
この世の人間は必ず、魔術か呪法のどちらかの才能を持って生まれてくるとされる。しかしその才能が社会で役に立つように磨く事が出来るのは、一握りの才能と財力の持ち主だけだ。本来なら一般庶民は抜きん出た才能があっても、まず専門の教育を受けられず挫折する。
庶民の上に自分にどんな才能があるのかそれともないのか、それすらもだんまりな生徒が特待生と言われたところで、不信感しかないだろう。
「エスキル様と、結婚……なんて、なあ」
この日の為に日々の清貧な生活の結果、貯まった金をはたいて父が購入してくれた立派な生地のドレスを前に、ここにきても現実感のなさにルドヴィカは首を振る。やっぱり信じられない。
エスキルは現王家の血統を持ち、順位が低いとはいえ王位継承権を持つこのヴェルン領を治める公爵家の長子だ。
とんでもない事だが、そのような立派な肩書を持つエスキルとルドヴィカの縁談が持ち上がったのは十日程前の事だった。あちらからの突然の申し出で、印章を持つ使いが我が家の前に馬車を停めた時には何事か、お前は大学で公子様に何をしたのかと両親に詰め寄られたものである。
彼が自分との婚約を希望した、その理由は未だ不明である。大学でのルドヴィカの懸命に勉学に励む様子を見たエスキルが見初めたという建前を、使いの方からの書面でいただいたがはっきり言って信じ難い。
「ルシカ、あんた玉の輿じゃない!喜びなさいよ!将来の公爵夫人よ、あんた!」
そう言ってはしゃぐのは両親と、近所に住む昔からの顔馴染の人々である。ルドヴィカ自身は生来の疑い深さからそんな文面を真正面から受け止める事は出来なかった。
エスキルもルシカと同じく法術大学で、特に魔術を中心に学んでいる。確か二十歳になると聞いた。
父親である公爵譲りの金髪と、若い頃の公爵そっくりだと口々に語られる長身。加えてその穏やかな雰囲気はルドヴィカだけではなく、他の学生からも身分関係なく慕われている……ように思う。
法術大学にはそれなりの魔術、もしくは呪法の才覚がなければ通う意味など存在しない。とはいえ貴族の子息や令嬢が何かしらの学問を納める事で将の縁談の為に、行儀見習い代わりに通う者もいるようだ。
魔術は人の操る奇跡。呪法は見えない災いと例えられる、どちらも人にしか使用できない力だ。
今は大陸で大きな戦争や、他国の介入が必要な災害は訪れていないとされている。
特にこの王国、ルーフスは神の僕であり、魔術と呪法を人に広めた賢者の子孫という言い伝えが強い。
現王家の一族が、賢者の血をひく云々の真実はルドヴィカに知る由はない。しかしその言い伝えが真実として広く伝わる以上、他国はルーフスに対して慎重な態度を取ってくる、この利点は大きい。
そのような事情もあって、この国だけではなく、他国からしても重要な立場の人間が、こんなちんくしゃの勉強しかして来なかった小娘を娶るなど、何の冗談であろうか。
これまでの人生でおおよそ袖を通した事のないような、ドレスの老舗で注文したという、上等な生地で仕立てられた服に着替えると、ルドヴィカは再び姿見の前に立つ。
身に余る派手な衣装だ。これから母親が張り切って化粧まで施してくれるようだが、とびきりの美女になれるとも思えないしそもそも相手は普段のルドヴィカの顔を知っている。気合を入れ過ぎた姿は、逆に恥ずかしい。
そして何より。
不自然に切り揃えられた、右側の一房の髪の毛。
「……こんなしょうもない呪いをかけられ続けている女を、妻にしてくれるの?」
そんなもの、エスキル当人に問いかけなければ意味などない。わかっていたが、面と向かって問う勇気なんてない。