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案の定林を抜けると随分外は暗くなっていた。
足早に町へと向かう道すがら、よく誰にも林で会わなかったなとルドヴィカは安堵していた。
あの辺りは人気が少ないように思えるが、法術大学の学生がよく魔術の練習に使用している。魔術は呪法とは違って被害が目標以外にも出る危険が大きい為、練習といえども広い場所が必要になる。
「誰かに見られたら、面倒になるところだ」
ひとりごちる。
専門の大学で学び、法術の専門家として仕事に従事している人間以外には誤解されがちだが、魔術と呪法は全く違う力である。
魔術は森羅万象に繋がる力を、使い手の思考や望みに従って操る能力だ。その力は呪文として言葉にした瞬間目の前で発生する。
暑く乾いた土地を水で潤し、爆薬を防ぐ為にその場で岩場を精製する。都市の水道や生活の為のエネルギーも魔術師の力によって保たれているものが大きい。呪法には自然界ではなく、呪文を使用する者の呪いに対する強い怨念が必要となり、それによって対象に変化を与える。そこに至る結果も、必要となる条件もこの二つでは全く別物なのだ。
ややこしい事に、魔術と違って呪法は術者の呪文が成功したのかどうかが見分けにくく時間もかかる。
例えば魔術であれば、その場で呪文を唱えて炎が瞬時に術者の示す場所に現れる。失敗したならば、何も起こらない。効果が目に見えてわかるのだ。
それに反して呪法の場合は目に見える炎や水、土壁の変化などは起こらない。呪いをかけた対象者に自覚症状が出て、初めて呪文が成功した事が確認出来る。病を発生させる呪いなどは相手が倒れ、体調の変調を訴えるまで確かめようがない。
更に厄介なのが、魔術の場合は呪文が成功した瞬間に術者の目の前に魔術が発現するのに対して、呪法は対象がどこにいるかを指定する必要がある。目の前の動物に呪法をかけようとしても、場所が正確に呪文に組み込めなければ呪法は成立しない。逆にいえば呪法が戦時に利用された場合、魔術では攻撃不可能な遠くにいる敵の所在さえわかれば、敵の元に向かう必要なく相手を呪う事が可能だ。術者の身元が明かされない限り、完全犯罪が遂行出来てしまう。地味なようで危険な力だ。
そういった利点と欠点が魔術と呪法には存在しており、魔術師の場合は魔術を究めんとすると必ずひとつの苦難が到来する。すなわち、魔術の実践する場所の確保だ。
ルドヴィカの通う法術の専門大学にもそのような、安全に魔術の練習場として利用出来る場所は存在する。だが学生の数に反して場所が足りないのは否めない。学生の不確かな経験則による魔術の結果、どんな効果が生まれるかもわからない故に広大な敷地を使用するにも許可が降りるには時間がかかる。
そういった事情もあり、魔術師を志す学生はあのような管理も不確かで放置されている森や廃屋でこっそりと魔術の練習をしている事が多い。特にあの林は大学からも近く、大学側も半ば彼等の行為を黙認している状態だ。恐らく、何か事故が起きても大学側は関与していない状態で起きた、という大義名分が出来る故だろう。
「他人に見つからないうちに早く帰らないといけませんね」
大学内では庶民の上に法術に関して何の心得もない癖に特待生扱いされている、とルドヴィカを見る学生の目は基本的に冷たい。
面白がって声をかけてくるものも時にはいたが、その殆どが身の程知らずが何をしに、と蔑みがこもった言葉ばかりだ。そんな輩に見付かって、尚且つ水晶玉と会話をしているところを見られたらどんな扱いを受けるか、考えたくもない。
その事を踏まえてそうだ、と町の明かりを目指して歩きながらルドヴィカは頭上の水晶玉に話しかける。
「これから人気のある場所を通ります。話しかけられても、答えられない場合もあるので了承をお願いしますね」
『きみが一人言を話しているだけの、奇妙な人間に見えるからか?』
「そういう事です」
魔術も呪法も世界に利便性をもたらし、そのおかげで文明の発展の手助けしているものの、その全てが平等に世の中に広まっている訳でもない。特異な呪法と魔術のかけ合わせによって、遠くにいる人間と対話する装置が生み出されたりもしていると話には聞いたが、そんなもの下町で暮らす人間が触れられる筈もなく。今のルドヴィカが一人で会話をすればそれは不審者以外の何者でもない。