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彼が呪われた身ながら、ルドヴィカの居所を探して現れた理由に漸く合点がいった。考えてみれば単純な話であった。母親と兄に焚き付けられたのだろう。
「それは……エスキル様やガートルード様からわたしに呪いを解くようにと、お言葉があったのですよね」
『いや、違う。僕の独断だ』
水晶玉の返事は意外なものだった。
「でも、カレル様はお屋敷の外には殆ど出ないと窺ってます。わたしの名前や解呪の事を、エスキル様以外の誰から聞いたんですか?」
『立ち聞きしたんだ。いや、こんな身体だから立ち聞きとも違うかもしれないが』
それは今日の昼を過ぎた頃の話だという。
カレルは普段から滅多に人前には姿を現さない。それはこのような異様な姿になる前からだったが、こうなってからは更に屋敷内の自室に籠もるようになった。
『この姿だと食事も入浴も睡眠も必要としないから凄く楽でね。今は身の回りの世話人も全員下がらせているんだ。今日の事だ。小さくなって屋敷を転がっていたら母と兄の会話が聞こえてきたんだ』
大人しく聞いているつもりだったのに、到底聞き逃がせない言葉が転がり込んできてルドヴィカは口を挟んだ。
「いやちょっと待ってください。転がってたんですか?」
王族の血をひく公爵家の男子ともあろうお方が、広大で立派なお屋敷の中をころんころんと転がっているのを想像する。プライドはないのか。
しれっとした調子で水晶玉は言った。
『便利なんだ。屋敷の人間も殆どの者が僕が病気で臥せっていると思っている。小さくなってしまえば、目撃される可能性も低いし、万が一見付かってしまったとしてもこの姿の僕を見てカレルだと思う者はいないだろう』
「そう、ですね。現にわたしもあなたが本当にカレル様なのかと疑ってます」
『そうだろう』
「今も疑ってます」
『そうだろう』
なんとなく頭上の水晶玉が威張っている気配がする。手も足も、それどころかまともな胴体すらないのに、そんな気がする。しかし威張るような事柄ではない。
「ええと、それで転がっていてどうなったんですか?」
心持ちルドヴィカも公爵家子息に対する礼儀や言葉遣いではなくなってきている。外見が水晶玉だというのもあるが、水晶玉の話し方がどうにも高貴な方にしてはのんびりしていて、気が抜けてしまうのだ。
『ああそうだった』
しかも水晶玉当人もルドヴィカの言葉遣いに特に不満もなさそうだ。ぽむ、と一度頭上で跳ねてから再び話し出す。
『母の執務室から兄と話す声が聞こえたんだ。その時に、母と兄が口にした言葉が気にかかった』
自分の事をエスキルが話していた。その言葉にルドヴィカの心の隅が、軽く跳ねた気がした。
『なんとしてもルドヴィカに呪いを解く事を了承して貰わねばならないと、エスキルはそう言っていた』
「……」
咄嗟に言葉が出てこなかった。自分はカレルを救う手段でしかない。そう突き付けられた気がする。
「そう、ですか」
なんとか言葉を絞り出し、納得したような振りを見せながらも絶望にも似た心持ちだった。
エスキルはルドヴィカとの婚約話の変更も、その理由も全部わかっているのだ。いや、もしかしたらエスキルからガートルードに焚き付けたのかもしれない。弟を救うのに丁度よい、と。
何なんだ、その態度は。偉いからって。
段々腹が立ってきた。公爵家が自分の事を歯牙にもかけていない事は想像出来ていたが、ここまであからさまにルドヴィカという人間を、便利だが扱いが厄介な道具扱いされてはいそうですか、とそのお言葉を神妙に受け入れる気には到底ならない。
「……あなたはお兄様方のお話を耳にしたので、そりゃあ便利だとわたしを探していらっしゃった、という訳ですか」
この水晶玉は何処まで知っているのかが気になった。自分とルドヴィカが呪いを解くのを目的に血痕の話が持ち上がっていたのを、彼は知っているのか。
「カレル様。わたしは解呪の才能があると認められ、法術大学にも通ってます。まだわかりませんが、ひょっとしたらあなたにかけられた呪いも解けるかもしれません」
『それは……凄いな。世界的にも稀有な才能だろう』
「あなたは何をしてくださいますか」
水晶玉の返事が途切れた。僅かな思考を要したと想像出来る時間の後、再びルドヴィカに直接その声が届く。
『何をとは、何だ』
「呪いを解いたあかつきには、どのような対価を支払っていただけるか、という話をしています。まさか公爵家の一員ともあろう方が、無償の奉仕を乞うような真似はなさらないでしょう?」
完全なる八つ当たりであったし、付け加えるならあまりにも態度も物言いも、高貴な方に向けるようなものではない生意気極まりないものであった。不敬罪とこの場で本来捕らえられても、致し方ない。自覚はあったが内心どうとでもなれという気分でもあった。
ころころと、軽い音がしてルドヴィカの頭から水晶玉が転がり落ちた。
地面にめり込む。柔らかい土の中に埋まるかと思い、ルドヴィカは咄嗟に取り上げ、自分の手のひらの上に乗せた。
「危ないですよ。何で落ちてくるんですか」
『いや……ちょっと、そうか。すまない。全く考えてなかった。そうだな、僕はきみに対して失礼だった』
心なしか、ルドヴィカの頭上に乗って得意気に跳ねていた時より小さくなっているような気がする。
『この呪いを解いて欲しくて必死なつもりだったが、きみにとっては安く見積もられたようなものなのだな。すまない』
庶民如きに生意気が過ぎる口調で詰問されたにも関わらず、水晶玉が殊勝な態度なのにルドヴィカは驚いた。
カレルは、この水晶玉は違うのかもしれない。他の公爵家の人々とは。そんな考えが過った。